松尾大社 三玲の庭と磐座信仰
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一昨日の記事では、松尾大社の歴史を振り返りながら境内を歩きました。今日は重森三玲の庭「松風苑」と磐座(いわくら)信仰について見て回ることにします。上の写真の奥にある受付から右に入ると、松風苑のひとつ「曲水の庭」の入り口があります。
重森三玲作の松風苑三庭は、四国・吉野川産の青石(緑泥片岩)を200余個用い、昭和50年に完成した、昭和を代表する現代庭園といわれています。
曲水の庭は、王朝文化華やかなりし平安貴族の雅遊の場を表現したものだそうです。松尾大社は、平安時代に京の都を守る西の神様とされ、隆盛を極めていました。
滑らかな曲線を基調に、洗練されたデザインで鑓水が表現されています。だだし、この日は水量が多く、岩と相まって渓流の雰囲気もしました。
雨が降ってさらに水量が増すと、どうなるのか見たい気もします。
上古(じょうこ)の庭の入口 遠く昔の上古の時代には神社も社殿もなく、山中の巨岩などが神霊のやどる聖地とされ、その場所を磐座(いわくら)と呼んでいました。
松尾大社でも本殿が建てられる以前は、神社後方の松尾山頂上近くにある磐座で祭祀が営まれており、この古代祭祀の場を模して造られたのがこの庭です。
この庭を出ると順路は坂道となり、、
その上に、「心願盃投げ」と「磐座遥拝所参道」の立て札がありました。
盃投げは、樽の中に盃を投げ入れる境内にあるのと同じものです。その後ろにタヌキがいてビックリしました。
磐座遥拝所は、磐座まで登らずにその方向を拝む場所です。庭園入り口にかかっていた大きな看板は「磐座登拝の心得」でした。
かっては神職以外は登拝ことができませんでしたが、特に希望する場合は、人数、時間、服装、携帯品その他の心得などの制約の上、神社の許可を得なければならないと書かれていました。
もう一度「磐座遥拝所参道」の入口まで戻り、山裾に沿う順路を行くと、磐座登拝口がありました。もちろん、許可者以外の登拝禁止とあります。日本の太古の信仰の形を、千数百年にわたって守り続けていることが驚きです。
さらに先を行くと、偶然登拝者に出会いました。服装も決められているそうです。
松尾山は七つの谷を持っていますが、社務所の裏の渓流を御手洗川とよび、霊亀の滝がかかっています。
滝の上部の岩に「天狗の顔」があるそうですが、お分かりでしょうか?
霊亀の滝の手前に「亀の井」という霊泉があり、酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混ぜて用い、また「延命長寿」「蘇り」の水としても有名だとか。
また、茶道や書道の用水あるいは家庭用水として、早朝から開門と同時に汲みに来られる方もいるそうです。
ここから境内に出て、茶店の横にある三玲の「蓬莱の庭」の入り口に来ました。
蓬莱とは不老不死の仙界の意味で、その島にあこがれる蓬莱思想が鎌倉時代に流行し、作庭技術にも採用されて来ました。
松尾大社は、鎌倉将軍・源頼朝を始めとして、武門の崇敬は変わることなく明治の時代まで続きました。
この庭は、そんな鎌倉期に代表される回遊式庭園を取り入れたもので、全体が羽を広げた鶴を形どっています。
池に浮かぶ島々(岩)を眺めながら周囲を巡ると、一歩ごとに景色が変わります。そのうちに、幽玄の世界にいる気分になって、三玲の心が少し分かったような気がしました。
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松尾大社の記事は終わりですが、昨日の下鴨神社について少し。昨日27日は下鴨神社の式年遷宮。お昼にちょっと寄って来ました。遷座祭は夜の7時から、正午には閉門、3時半からは参道も閉じられました。
4月29日から5月6日までは午前10時~午後4時まで「新殿昇殿参拝」「1番祈祷」が行われます。5月3日の流鏑馬、15日の賀茂祭(葵祭)社頭の儀に向けていろいろな行事が始まります。
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コメント
曲水の庭、少し変わった庭ですよね。
表現しようとしているものが違うっていうか、
うん、いろんな庭があるんですね。
投稿: munixyu | 2015年4月28日 (火) 12:11