北野天満宮 紅梅殿と西の広場
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本殿西にある梅苑の入り口を入ると、「紅梅殿・西の広場」への矢印がありました。本殿の南西部を「西の広場」といい、梅苑から行くことができたのです。
幕の外は「豊国神社」、「一夜松神社」などいくつかの社(やしろ)が並んでいます。本殿南西部にあるこれらの社にお参りするには、梅苑に入る必要はありません。
こちらは東の方の社
楼門前の入り口から梅苑に入ると分かり難いのか、西の広場にあまり人がいませんでした。
向こうに見えるのは、「紅梅殿(こうばいどの)」 この建物は、本殿西にあったお供えの調理所として使われた建物を、昨年夏に「曳き家工法」でここに移築したものです。
道真の邸宅は紅梅殿と呼ばれ、都を追放されるときにこの住み慣れた邸宅を明け渡すことになりました。紅梅殿には、このとき詠んだ歌「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな」が掲げられ
内部は国宝「北野天神縁起絵巻」の情景を再現したものだそうです。主人の悲運に嘆き悲しむ北の方と侍女?
北野天満宮では、道真の没後1125年(西暦2027年)の半萬燈祭(はんまんとうさい)に向けて大規模改修を進めて、西の広場に小川を流し、「紅梅殿別離の庭」として曲水の宴などの行事も開く予定とのことです(朝日新聞デジタルより)。
ところで、後になってこの歌を聞いた邸宅の梅が、太宰府の道真の元へ一夜の内に飛んで来たというのが「飛梅(とびうめ)伝説」です。
この「飛梅伝説」について、最近ニュースがありました。下の写真は、昨日の記事にも出てきた本殿前の梅ですが、「全国的にも珍しい品種で恐らく唯一の梅であろう」と代々伝えられてきたそうです。
最近の調査で、神社所蔵の「宮仕日記」の寛政5年(1793)11月25日に「庭上(本殿前)の梅の木はいわゆる飛梅の種に間違いなく、この梅の前に『飛梅木』と記した石碑を建てるか否か」などのやりとりが記されていました。下の写真は西の広場の北
本殿前の梅が寛政年間より植えられていて、「飛梅伝説」伝承の梅であったことが分かったのです。そして、住友林業筑波研究所の調査で、実際に樹齢が約300年と推定されました。
梅の寿命は一般には150~200年だそうで、珍しい品種の一本だけ残っている梅が絶滅してしまう恐れがありました。下の写真は北から見た西の広場
そこで、北野天満宮と住友林業はクローン技術で組織培養して苗木を増やすことに取り組み、それが成功したことが3月5日に発表されました。
組織培養によって梅の苗木の増殖が実用化されるのは世界初だそうです。
この苗木を2、3年かけて成長させて境内に植樹し、増やした苗を全国の天満宮に分けることも検討するそうです。
「飛梅伝説」の梅が、今度は全国に飛んでいくことになるかも知れません。明日は、御土居と(従来の)梅苑に向かいます。
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コメント
空もすっかり春ですよね。
今週は、だいぶ、あたたかくなってきそうだとか。
春、嬉しいよね、花粉症で、面倒ですが・・・汗。
投稿: munixyu | 2015年3月 9日 (月) 12:40
ご無沙汰しています。
飛梅伝説をめぐる古代現代をつなぐお話、面白い。
道真公がより身近になりました。
我が家で愛でる梅はといえば、マンション2階にいる私は階下の方が裏庭に植えられている紅梅を見下ろし眺めている次第。
投稿: Zu-Simolin | 2015年3月 9日 (月) 18:25
紫白幕はお茶ですかね~ 表千家の所でもこの色の幕を見て、気になって調べたりしましたw
飛び梅残っていてよかったですね~
梅はウィルスが付くと大変だそうですし。。。
青梅の梅がウィルスでやられて、全て伐採されてしまったのはちょっと可哀そうだったなぁ。。
投稿: ばるさろ | 2015年3月 9日 (月) 22:23