京都御苑 梅林と白雲神社と「蛤御門の変」
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御苑内にある宗像神社を出て、南北の通りを北に歩きます。すぐ左手に下立売御門が見えます。この門も「蛤御門の変」の激戦の地となりました。
この北にある「出水の小川」 この小川は、地下から水をくみ上げ、子供が水にふれあう場として整備された100mほどの人工の小川です。
ここは桜のみどころの一つですが、水辺には様々な動植物も見られます。
このあたりから梅の木が増えて、梅林となっています。少し北に行って振り返ると
北を見ると紅白の梅が見頃でした。
向こうに見えるのは「出水口」 御苑の出入り口・九門五口の一つです。
梅林には、約200本の梅の木があり、主に昭和20年代に京都各地の神社から譲り受けた穂を接ぎ木で育てたものです。
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少し行くと右手に「白雲神社」があります。旧西園寺家の鎮守社で、妙音弁財天と称する市杵島姫命を祀っています。
妙音弁財天は、琵琶の宗家である西園寺家に楽神として伝えられました。明治になって公家町が御苑に含まれ、西園寺家が東京へ移った後、鎮座社は昔の名をとって白雲神社と改められました。
明治から昭和にかけて首相や元老として活躍した西園寺公望が、家塾「立命館」を創設したのもこの地だそうです。
左手に「蛤御門」が見えます。「八月十八日の政変」で弾圧された長州藩は、名誉回復のために御所に進軍します。そして、この蛤御門周辺で激しい戦闘が起こりました。
昨日の記事にある堺町御門を攻めた長州藩の山崎隊と呼応して、天龍寺に布陣していた長州藩士は、戻橋で国司隊、来島隊、児玉隊の三隊に分かれ、それぞれ、中立売御門、蛤御門、下立売御門を攻めたのです。まず、越前藩が守っていたこの中立売御門が最初に突破されてしまいます。
そして、桑名藩が守る下立売御門を突破した児玉隊も国司隊に合流して、蛤御門の激戦に加わります。下は東にある京都御所の拝観入口となっている「宜秋門(ぎしゅうもん)」
勢いに乗った長州藩は、会津藩が守る蛤御門を激しく攻め立て、会津藩は浮き足立ちます。このあたりから北は桃林に変わります。
ところが、下の乾御門を守っていた薩摩藩が蛤御門に援軍を送り、激しい戦闘の末に長州藩は敗退しました。蛤御門には現在でもその時の弾痕がいたるところ残っています。
この後、乾御門から今出川通に出て、梅の名所で知られた例の神社に向かいました。
京都御苑には、いろいろな時代の史跡が残っています。これから本格的になる梅や桃、桜の季節に、歴史探訪をするのも面白いかも知れません。
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コメント
御所は端から端まで歴史の塊。
歴史探訪なら、もってこいの所ですよね。
投稿: munixyu | 2015年3月 7日 (土) 12:05
幕末の御所のお話、大好きです。
御所の梅は昔よく見に行きました。
花粉症が強く出るようになってからは
丁度時期が重なるので、敬遠気味です。
投稿: 8mama | 2015年3月 8日 (日) 16:09