長徳寺 満開のおかめ桜
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
百万遍の知恩寺を出て出町柳にくると、長徳寺の前に人だかりがしていました。下の画像だけ拡大しません。
鮮やかなピンク色のおかめ桜が満開でした。
長徳寺は、京阪/京福の出町柳駅の南の川端通に面しています。隣の常林寺、正定院とともに、浄土宗の「砂川の三軒寺」と呼ばれていました。四十八願寺の第23願
上の呼び名は、かって背後に流れていた小川がこの付近で鴨川に合流して、3寺が砂の川原に建っていたからだそうです。
長徳寺は、江戸時代初め(1605)に摂津溝口領主の長谷川宗仁によって、万愚牛廊を開山として裏寺町(中京区)に創建されました。山門
その後焼失し、1672年に現在地に移転・再建されました。
長谷川宗仁は、京都の町衆出身ともいわれ、信長、秀吉、家康のそれぞれに仕えた武将です。一方で、画業にすぐれ、茶人としても活躍した文化人でもありました。長徳寺が拝観や公開をしているところを見たことがありません。
庭の向こうの木に白い花が咲いていましたが、何の木か分かりません。
ところで、長徳寺は近代になって再び歴史の舞台に登場します。横手に周って
大正7年(1918)8月に起こった米騒動は、京都でも大きな騒ぎになりました。政府が8月初めにシベリア出兵を決定すると、各地の米屋が売り惜しみをして米価が吊り上がりました。
富山県魚津の漁村で起こった騒動は、瞬く間に全国に広まり、8月10日には京都にも騒ぎが及びました。
最初に、群衆が東七条派出所に押し掛け、そのうち米屋を襲撃するなどして騒ぎが拡大して、翌11日には京都市全域に騒動が広まりました。
騒動が最も激しかったのが、ここ出町柳付近の長徳寺でした。警察だけでは鎮めることができず、ついに軍隊が出動して翌12日の午前0時過ぎに長徳寺付近の騒動は鎮圧されました。
ちなみに、この全国的な米騒動で、軍隊が出動したのは京都が初めてだったそうです。
今週はまた寒くなるようですね。これからは、ときどき桜情報もお知らせしようかなと思っています。
今日もお越しいただき、ありがとうございます。お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をしてくださると嬉しいです(できましたら毎日)。
★こちらを是非よろしく→ ブログ村→
-------------------------------------------------------------------
| 固定リンク
「☆★ 2015 桜 1」カテゴリの記事
- 千本釈迦堂 おかめ桜(2015.04.01)
- 大豊神社 花咲く境内(2015.03.31)
- 哲学の道 最新桜情報(2015.03.30)
- 車折神社の溪仙桜(2015.03.29)
- 武道センター(旧武徳殿)の枝垂桜(2015.03.28)
コメント
今週は冴え返るんですよね。
不安定な天気。もうちょっと辛抱なのかな。
投稿: munixyu | 2015年3月23日 (月) 13:18
知恩寺は我が実家から近いし、たぶんそこのどこかのお寺さんの娘さんが同級生だったはずで、なじみ深いお寺です。
投稿: Zu-Simolin | 2015年3月23日 (月) 19:17