新熊野神社 八咫烏と後白河上皇お手植の樟大権現
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瀧尾神社の神幸祭のお昼の休憩の時、久しぶりに新熊野神社に行ってきました。境内が随分綺麗に変わっていました。
新熊野神社 (いまくまのじんじゃ) ◆地図です。
平安後期、熊野詣盛んな頃、後白河上皇が平清盛に命じ、熊野の神をここに勧請するため、熊野より土砂材木等を運び社域を築き社殿を造営、神域に那智の浜の青白の小石を敷き霊地熊野を再現した熊野の新宮。創建は永暦元年(1160)境内の大樟は当時熊野より移植した後白河上皇お手植といわれています。
カラフルな幟が揚がっています。
・熊野大権現 日本一霊場 神仏習合発祥の地
・くすのき大権現 健康長寿 病魔退散 特にお腹の病気
・京の熊野古道
・能楽発祥の地 芸能上達の神 縁結びの神
・八咫烏 身代わりお烏さん
その中から・・・八咫烏 (やたがらす) (※以下説明は 新熊野神社HPより)
熊野に係る神社は、摂社・末社を含めると全国に3000以上あります。その御神鳥が八咫烏ですが、その姿形は神社によって異なります。
左↓の提灯にあるのが、ここの八咫烏です。
八咫烏は日本神話に登場する三本足のカラスで、神武天皇を樫原宮(即位場所)に導いた熊野の神の化身。三本足鳥伝説は世界各地にありいずれも太陽神と結びつけて「幸運を呼ぶ鳥」とされます。このことから八咫烏は「目標達成」「勝利」「幸運」をもたらす神とされ、そのため熊野では「身代わりお烏さん」を身に着けて我が身に代って不幸や災難を引き受けてくれる鳥神として信仰されています。
※神武天皇を樫原宮に導いたように、日本サッカー協会が八咫烏をシンボルマークにしたのはワールドカップに導き、優勝させたいという願いです。因みに・・JFA公認 サッカーお守りはここには売っていません。(◆記事→熊野神社にはあります)
咫(た)とは長さの単位で、親指と人差指を広げた長さ(約18cm)を一咫と言います。ここでは単に「大きい」という意味に使われています。下は「身代わりお烏さん」
影向の大樟(ようごうのおおくすのき)
「大樟」は当社創建の折、紀州熊野より運ばれた「後白河上皇手植えの樟」と伝えられており、樹齢は900年と推定。(こちらの「くすのき」は「楠」でなく「樟」ですね)
影向とは神仏が現われるという意味で、現在では「樟大権現」「樟龍弁財天」として多くの人々に信仰されています。
◆因みに市内には平清盛が太政大臣に任ぜられた時に手植えした樹齢800年を超す大楠があります→若一神社の大楠。
大権現とは熊野の神の化身、樟龍弁財天とは弁財天(仏)の化身という意味です。
樹齢900年の老木でありながら現在でも成長し続けていることから「健康長寿」「病魔退散」、特に「お腹の神様」として御利益があります。 (京都市指定 天然記念物)
そしてここでは・・・「抱き付いて祈願しなさい」ですよ。
お許しを得たことですので、抱き付かせていただきます。霊験あらたか大権現様。
これぞ、パワースポットではありませんか!!。
本殿を囲むように「京の熊野古道」があります。そして「御神木」には実が一杯成っていました。それは明日に致します。
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やはりこの写真を入れないと大樟の大きさが分らないかと。(東山通りに目立って張り出しています)
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