補陀洛寺(小町寺) 小町終焉の地 1
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鞍馬街道沿いに、市原野と呼ばれる集落があります。かつてこの市原野は、小野氏の領地でした。今日は小野小町終焉の地と伝わる小町寺です。◆地図です。
小野小町ゆかりの地といて、観光ルートに載っているのは・・・
・下御霊神社・・・安部清行との逸話 (◆下御霊神社)
・随心院・・・ 深草少将の百夜通いの舞台。 (◆随心院の紅葉)
そしてここ、補陀洛寺(小町寺)は、小町臨終の地といわれています。
遠く陸奥路まで、漂泊の身を運んだ一世の美人小野小町も、年老いて容色も衰えた身を、ここ市原野に、昔、父が住んでいた懐かしさから、荒れ果てた生家を訪れ、朽木の倒れるようにあえなく亡くなるが、葬う人とても無く風雨に晒され、小町の髑髏から生い育った一本のススキが風に震えていた。 この伝記に因んで穴目のススキ、老衰した小町像や、少将の通魂塚が作られている。(京都謡曲史跡保存会駒札より)
補陀洛寺(ふだらくじ) 通称:小町寺 天台宗
当寺は、清原深養父が建立した補陀洛寺の名を継いだと伝え、また小野小町が「小野とはいわじ、薄(すすき)生ひたる市原野辺に住む姥ぞ…」と名乗る謡曲『通小町』や、当寺に祀られている小町像に基づいて小町寺と称されようになった。
13本の幹が出る十三本檜 横の石燈籠も由緒ありそうです。
右にあるのが、小野皇太后供養塔(鎌倉時代)
木の隙間から・・・左に叡山電車の線路が見えます。
穴目のススキ、小町姿見の井を離れたところから。
「あなめの薄」(穴目のススキ)の碑。左の石に彫られていつのが百人一首の
「はなの色は うつりにけりな いたつらに 我身よにふる なかめせしまに」・・・だと。
小町姿見の井 (小町化粧水) 水は枯れています。
真っ平らな大きな石。
本堂は1999年再建
阿弥陀三尊像、(勢至菩薩、阿弥陀如来、観世音菩薩) 右に小町老衰の像
小町寺は要予約と書いてあったので電話したのですが、生憎この日は行事があったようです。境内は自由に見れますということで伺いました。
深草少将供養塔や小野小町供養塔は反対側の西北に位置しますので、次回に続きます。
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コメント
昨日の、人が雀になった話も、おもしろかったです。
どんな美人さんも、最後は、おばあさんになって、寂しく、亡くなる、寂しいものです。私は、美人じゃないけれど、独り身なので、最後は、同じような運命になると思います。。
投稿: ごま | 2013年10月 7日 (月) 10:24
小野小町は、こういうところに最後
住んでいたんですね。寺に住むっていうのも
意外と楽しいのかも。
投稿: munixyu | 2013年10月 7日 (月) 13:27
★ごまさん こんばんは♪
人生皆そんなもんです。┐(´-`)┌
投稿: りせ | 2013年10月 7日 (月) 22:46
★munixyuさん こんばんは♪
最後に京都に帰ってたのは知りませんでした。奥州で亡くなったと思っていました。
穴目って・・・ドクロの目の穴ですね。「美」をそこまではかなく空しい表現しなくても・・・と思います。
投稿: りせ | 2013年10月 7日 (月) 22:50
おはようございます(^_^) 今日は、夏ですね。秋は、どこへいったのかな?京都も、暑いですか?
投稿: ごま | 2013年10月10日 (木) 10:37
★ごまさん こんにちは♪
3日も休んでしまいましたね・・・しようとしている小町寺の2回目・・・お墓と石仏ばっかりなんですヨ。秋を感じて好い雰囲気なんですが・・・でも。。。
やりかけては、休んで・・・「お墓をどう切り取れば良いか・・・」で悩んで・・・忙しいのもあって進みません。
明日は更新決行のつもりです。
投稿: りせ | 2013年10月10日 (木) 11:56