« 深草 真宗院 青もみじの参道 | トップページ | 高台寺 ライトアップ 1 »

2013年9月10日 (火)

蹴上発電所と庭園用水路

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

Jmn_0989a
※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事では蹴上のインクライン上端の蹴上舟溜りまで行きました。そこで第1疏水と第2疏水が合流して「合流トンネル」を通りその出口には田邉朔郎が揮毫した石額があります。「藉水利資人工」(すいりをかりてじんこうをたすく)と書いてあります。このあたりの水路は鉄柵の中を通ります。

Jmn_0987a

ところで、疏水建設の当初の目的に一つに「水車の動力」がありました。インクラインの工事中に関連都市の視察のために渡米した田邉と区会議員・高木文平は、開業したアスペンの水力発電所の情報を持ち帰ります。

Jmn_1000a

帰国後、田邉はただちに水車動力の計画を廃止して、水力発電所建設に取り掛かります。大きな計画変更でしたが、たびたび行われた他の変更に比べれば費用は比較的少なくてすんだといわれています。

Jmn_0993a

上とTOPの写真は合流水路にある洗堰、ちょっとした滝です。水は発電所の取水設備に流れていきます。

Jmn_1028a

発電所に送水する水圧鉄管。

Jmn_1033a

ここで、発電所を見に一旦下に降りました。途中に殉職者の慰霊碑(発電局)があります。

Jmn_1010a

インクラインの下を通る「ねじりまんぽ」、 「ねじりまんぼ」ではありません。

ねじりまんぽの三条通り側の入口には「雄観奇想」(素晴らしい眺めと優れた考え)の額があがっています。
素晴らしい琵琶湖疏水の眺めと、疏水を電力や水運に活用するという優れた発想。「舟が陸を走る」という奇妙な光景でもありますね。

因みに出口のこちらは 「陽気発処」の額があがっています。
いずれも、琵琶湖疏水建造に尽力した第3代京都府知事・北垣国道の手によるもの。

Jmn_1017a

アーチ部分の煉瓦がねじるように積まれていて、田邉朔郎が学んだ工科大学の教科書「ランキン氏土木学」に記載されているそうです。

Jmn_1023a

三条通を渡ったところに関西電力の蹴上発電所があります。明治24年(1891)に蹴上発電所(第1期)が日本で最初の水力発電所として運転を開始しました。都ホテルのすぐ前を送水管が通っています。

Jmn_0900a

電気は市内の工場に供給され、インクラインもこの電力を利用しています。また、明治28年(1895)に開通した京都電気鉄道・伏見線(日本で最初の市街電車)にも電力を供給するなど、京都の近代化の大きな原動力となりました。写真は第2期発電所の建物

Jmn_0890a

昭和11年には第3期工事が行われ、蹴上発電所は100年以上経った今なお京都の街に電気を送り続けています。 

Jmn_0887a

疏水記念館のジオラマは、ボタンを押すといろんな水路を表示してくれます。発電所の送水路

Jmn_0832b

発電所を通った水は、南禅寺舟溜りに流れ込みます(写真下から)。

Jmn_1160a

水車動力が廃止されたことにより、動力を得るための水路と水車の価値がなくなりました。それに代わる用途として、円山公園の噴水に導水されました。発電所の取水施設のそばにある取水池はこのような庭園用だと思われます。

Jmn_1036a

さらに、七代目・小川治兵衛は、手掛けた南禅寺界隈の多くの庭園に疏水の水を導きました。並河家庭園、無鄰菴庭園、平安神宮神苑、白河院庭園、南禅寺界隈別荘庭園群など、琵琶湖疏水系庭園と呼ばれています。例のジオラマによる庭園用水路

Jmn_0837a

インクラインの脇を通る小川や疏水記念館にある洞門もこのような庭園用水路です。これらも、南禅寺舟溜りに流れ込みます。

Jmn_0864a

疏水の水は、産業の振興だけでなく京都の文化的景観を作り出すためにも大きな役割を果たしたといえます。

更新の励みになります。ランキングの応援を宜しく。m(_ _)m
-------------------------------------------------------------------
 
2ヶ所クリック宜しく 
  人気ブログランキング   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jmn_0886a

|

« 深草 真宗院 青もみじの参道 | トップページ | 高台寺 ライトアップ 1 »

 4 蹴上から南禅寺境内 永観堂」カテゴリの記事

コメント

インクライン、疏水には水力発電所っていう
壮大なものが隠されていたんですね。
電気が騒がれている今、疎水技術が、光明の1つ
になってくるのかもしれませんね♪

投稿: munixyu | 2013年9月10日 (火) 12:36

いろんなことに、この水が活用されて、作った方々は、きっと、来世で、喜んでいらっしゃるでしょうね。レンガの赤が、温かみがあって、いい色ですね(^_-)

投稿: ごま | 2013年9月10日 (火) 15:18

りせさん
覚えていらっしゃらないかもしれませんが
何年も前に猫の服を頂いたり、少し交流させてもらっていた者です。
ショコラとこむぎというペルシャ猫を飼っていて。
その後仕事が忙しくなりホームページもブログも止めてしまっていたのですが、近頃時間が出来、いつまで続けられるか分かりませんが、ブログを始め、京都を歩くアルバムを時々のぞかせてもらっています。

お変わりなく京都のお写真を撮っていらっしゃるんですね。

懐かしく思いコメント致しました。

またお写真を見させてもらいます。

投稿: さきしま | 2013年9月10日 (火) 20:41

★munixyuさん こんばんは♪
先日のNHKのヒストリアに触発された主人が撮りに行ってきたものですが・・・
天皇が東京へ行ってしまわれた後の京都。あの姿が後々の京都市民の精神に引き継がれているようですね。

投稿: りせ | 2013年9月10日 (火) 23:30

★ごまさん こんばんは♪
疏水が出来て、そこに桜並木が出来て・・・桜の美しい京都が出来たのもインクラインのお陰です。

投稿: りせ | 2013年9月10日 (火) 23:32

★さきしまさん こんばんは♪
覚えてますよ・・・ショコラちゃんとこむぎちゃん。ふわふわ猫日記は今も置いていますから、今「キリ番さん」のページを見ました。
「猫の服製作に背中を押して いただいた お礼。しょこまるさん ありがとう」・・・ショコラちゃんとこむぎちゃんの可愛いドレス姿もあります。もう一度キリ番さんでも貰っていただいたようですね。
「ふわふわ猫日記」は本当に楽しかったです。猫ドレス用の毛糸と装飾のリボン、小物などまだ一杯あって、お店が開けそうなのですが・・・。
ショコラちゃんもこむぎちゃんも元気なのですね・・・良かった♪ こむぎちゃん小さいままて可愛いですね。
うちはリリが去年死んでしまって・・・今でもペットロス状態です。
猫日記でお付き合い下さった方々と、猫ちゃんは忘れませんよ。猫ちゃんたち元気かなあと、時々HPを探すのですがほとんど無くなってて。淋しいです。
これからも宜しく・・・ブログ訪問させていただきます。ショコラちゃんとこむぎちゃん・・・見れるの嬉しいです。
リンクして下さってて有り難う・・・♪。私もリンクさせていただきます♪
コメント有り難うございます。o(*^▽^*)o

投稿: りせ | 2013年9月10日 (火) 23:54

りせさん
覚えていて下さって嬉しく思います。
改めてよろしくお願い致します。
当時、楽しく交流させて頂いていたこと思い出します。

猫たちは10才と8才になりました。
だんだんおっとりとしてきていますが元気そうです。

リリちゃん天国へ旅立ったのですね。
きっと天国からずっとりせさんを見ているし、いつも近くで守ってくれているのでしょうね。

うちの猫たちもいつ何があるか分からない年齢です。
私は精神的にもろい所があるので
いつかくる別れをいつも覚悟しています。

クックちゃんが末永く元気でありますように。
またクックちゃんの姿も見せて下さい。

私のブログはくだらない日常生活ばかりで写真も携帯のカメラばっかりなのでお恥ずかしいですが
楽しく更新しています。

京都の美しい写真も重ねて楽しみにしています。

投稿: さきしま | 2013年9月11日 (水) 10:13

★さきしまさん こんばんは♪
猫のニットのドレスは想い出深くて、・・・「しょこまるさん」には感謝しています。
まだ小さい小さいこむぎちゃんでしたが・・・もう8才。ショコラちゃんはリリより小さかったのですね。リリが生きてたら11才ですから。
リリには支えてもらったから、特別の猫でした。今クックがやたらと懐いています。力でナナちゃんを押さえつけれなくなって・・・王者の風格無しというところです。
最近は京都も特にカメラ熱が凄いから、撮影に出かけるのが億劫になるくらいです。上達しませんが、出来るだけ長く続けれればと思います。
これからもまた宜しく。

投稿: りせ | 2013年9月11日 (水) 23:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 深草 真宗院 青もみじの参道 | トップページ | 高台寺 ライトアップ 1 »