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2013年6月 4日 (火)

相国寺・塔頭 慈照院

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日も「京の冬の旅」の非公開文化財特別公開で行った時のものです。

慈照院 (相国寺・塔頭)
足利八代将軍義政と桂宮家の菩提所 書院「棲碧軒」 狐の伝説で知られる 茶室「頤神室」 ・・・とポスターには書かれていました。
 地図です。(相国寺・本坊からは離れたところにあります)

門の正面に庫裏が見えます。

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門からは枯山水の庭園が参道の脇に続きます。

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訪れた時は、1本の梅の花が満開でした。

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ここが入口

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花頭窓

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慈照院は、初め大徳院と称し、延徳2年(1490)室町幕府八代将軍・足利義政の菩提所となったことから、その法号より慈照院と改めた相国寺の塔頭寺院。

また、当院第七世仏性本源国師が、桂離宮で知られる桂宮(八条宮)智仁親王や智忠親王と親交があり、桂宮家の菩提所たなったことから皇室とも深い関わりを持った寺院です。

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客殿(本堂)
桂宮智仁親王が尾張藩主・徳川義直の猶子となった縁により尾張徳川家によって尾州檜の材によって建てられました。

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客殿(本堂)前の庭園。
船を形どった「陸船松(りくせんしょう)」と呼ばれる見事な枝の美しい松。

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松の向こうには、枯滝石組が美しい枯山水庭園が広がります。

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書院「棲碧軒」(せいへきけん) 桂宮の御学問所として建てられました。

下はポスターから切り取った書院の中の写真。ここで説明を聞きますが、拝観者でいっぱいです。

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茶室「頤神室」を見るため露地庭園に降ります。
仏性本源国師が千利休の孫にあたる宗旦(そうたん)と交流があり、宗旦との合作という茶室「頤神室」(いしんしつ)が残っています。

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茶室は中も外も撮影禁止、中も暗くてよく見えませんが・・・
粟田焼きの布袋像があって、その首は千利休の首とすげ替えられるようになっており、利休切腹後は公然と利休像を祀ることが出来なかったためのに作られた仕掛けだといいます。また、床の間には宗旦に化けて見事なお点前を披露したという伝説の「宗旦狐」の軸が掛けられています。

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宗旦狐(そうたんきつね)
江戸時代の初め、相国寺の境内に住んでいた一匹の白狐。その狐はしばしば茶人・千宗旦(1578~1658)に姿を変え、時には雲水にまじり、座禅を組み、また寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していた。
宗旦になりすまして茶人宅に赴いてお茶を飲みお菓子を食い荒らしていたそうな。
追いかけられて井戸に落ちたとも、狩猟で撃たれたともいわれる宗旦狐の祠を雲水がつくり供養しました。

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「相国寺・開山堂」の記事の後ろの方に、宗旦狐を祀っている「宗旦稲荷」を載せています。こちらの記事をご覧ください。

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-----ここからは慈照院の外-----------

桂宮西ノ墓地

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桂宮東ノ墓地

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お隣の「慈雲院」

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