御香宮 蟇股(かえるまた)の装飾
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御香宮神社 (ごこうのみやじんじゃ)
社伝によれば、貞観4年(862)境内から清泉が湧き出て、その香気が漂い、その水を飲むとたちまち病が癒えたので、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。
以後、伏見の産土神として人々の信仰を集めたが、度々の兵乱や天災により荒廃した。文禄年間(1592~96)豊臣秀吉は、当社を伏見城内に移し、鬼門の守護神としたが、慶長10年(1605)徳川家康により旧地である当地に戻され、現在の本殿(重要文化財)が建立された。桃山期の特色ある建築物のうち表門や極彩色彫刻の本殿は重文。鳥羽伏見の戦いでは薩軍の屯所になりました。
表門 (伏見城大手門)
元和8年(1622)、徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の追手門を拝領して寄進したもの。◆場所はここです。
今日は御香宮の蟇股の装飾ばかりに致します。
門の上には中国二十四孝の物語を彫った四つの蟇股(かえるまた)があります。
左から・・・
「孟子」・・・孟子は寒中に病弱の母が筍を食べたいというので、
雪の中に彼の孝養に感じ寒中にも拘らず筍が出てきた話。
「唐夫人」・・・夫人の曽祖母は歯が無かったので、
自分の乳を飲ませて祖母は天寿を全うした話。
「郭巨」・・・郭巨は母に孝行する為に子供を殺して埋めようとした所から
黄金の釜が出土、子供を殺さず親孝行が出来た話。
「楊香」・・・楊香と云う名の娘が猛虎より父を救った話。
拝殿
寛永2年(1625)徳川頼宣の寄進。 平成9年6月に半解体修理ご竣工、極彩色が復元されました。
正面軒唐破風。 五三桐の蟇股。
その上には、右に「鯉の瀧のぼり」・・・すなわち、龍神伝説。左はこれに応ずるが如く、琴高仙人が鯉にまたがって瀧の中ほどまで昇ってる光景。
蟇股(かえるまた)
社寺建築で、梁(はり)や桁(けた)の上に置かれる、輪郭が山形をした部材。構造上必要な支柱であったが、のちには装飾化した。厚い板状のままの板蟇股と、内部をくりぬいて透かせた本蟇股とがある。
これはその時撮り忘れたもので、もっと以前に撮ったもの。遠目に撮っているのでぼやけています。(撮り忘れる所っていつも同じですね。)
もう一か所、右の狛犬の所にある蟇股3つをいつも撮り忘れます。こんど行った時、忘れてなかったら追加しておきます。
今回の特別公開の本殿の極彩色の装飾は次回の記事になります。こちらも数々の蟇股がありました。
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コメント
いやぁー、日本の建築、建造物は本当に細かくて凄いもんだと
わかってはいるけれど、蟇股とか見てみると、やっぱり
魅了されますよね。彫刻や絵師?って本当に
凄いもんだと思います♪
投稿: munixyu | 2013年5月26日 (日) 14:14
かえるまた、難しい名前ですね。いわれがあって、親孝行の話が、奥深いです。装飾しているかえるまたの美しいこと、うっとりします。絵画みたいですね(^_-)
投稿: ごま | 2013年5月26日 (日) 20:59
★munixyuさん こんばんは♪
彫刻も素晴らしいし、色彩が鮮やかですね。
門の蟇股は両面彫刻です。歴史ある芸術品ですね。
投稿: りせ | 2013年5月26日 (日) 22:32
★ごまさん こんばんは♪
漢字は難しい「かえる」ですね。読めません。
でも「かえるの股」って分かったら、一発で納得ですね。
新しくて色が綺麗ですね。
投稿: りせ | 2013年5月26日 (日) 22:34