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2013年1月23日 (水)

浄土院 (大文字寺) と丹後局

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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※写真は全てクリックで拡大します。

銀閣寺の隣にある浄土院、初めて中に入りました。

浄土院 (大文字寺) 山号:清泰  浄土宗知恩院派
如意ヶ嶽(大文寺山)の送り火を管理するお寺で享保7年(1722)の建立。通称大文字寺とも呼ばれ、毎年8月16日の大文字の送り火には、精霊送りが行われ、多くの参拝者で賑います。
弘法大師も併せまつり、大文字送り火時に山上の弘法大師前にて、歴代住職が読経されます。

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この地には、もと、「浄土寺」と呼ばれた天台宗の寺院がありましたが、文明14年(1482)、東山殿(後の銀閣寺)造営に際し、相国寺の西に移されました。
当院は、その跡地に残された草堂を泰誉浄久が浄土宗の寺として復興し、浄土院と名付けられました。その後、享保17年(1732)には、随誉により堂宇が再建され、今日に至っています。現在の寺は昭和の初期に再建されました。

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門前に「日本の楊貴妃 丹後局 お木像 座所」とあります。

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塀の横は銀閣寺の門になります。

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仏足石

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本堂に安置する寺宝の黒仏(藤原仏・阿弥陀如来坐像)は、等身大のもので、「義政公の持仏なり」と「坊目誌」に記されており、旧浄土寺本尊と伝わります。

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浄土寺門跡建立因縁の、浄土寺二位尼・丹後局「日本の楊貴妃」を祀っています。

ガラス越しの為、綺麗には撮れていません。

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丹後局(たんごのつぼね)
平安時代末期、鎌倉時代初期の女性。後白河法皇の寵妃。法皇の皇女観子を生む。京都政界で権勢をふるい、平氏没落後の鎌倉幕府との折衝などに力をふるった。後白河法皇の死後は出家し、浄土寺二位尼と呼ばれた。

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通称 丹後局と呼ばれる高階栄子(たかしなえいし)は・・・
高階 栄子(仁平元年(1151)? - 建保4年(1216))、父は法印・澄雲とも上座・章尋とも言われている。

後白河法皇の側近であった平業房の妻となる。そしてこの間に権中納言となる藤原教成(藤原実教の猶子)ら数名の子供を生んだ。しかし治承三年の政変で平清盛によって後白河法皇が鳥羽殿に幽閉されると、法皇の側近であった業房も解官の上、伊豆国に流罪に処された。しかし業房は脱走しようとしたため、怒った清盛の捜索によって捕らえられ、福原において処刑された。

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業房の死後、丹後局は鳥羽殿に幽閉された後白河法皇に近侍する。もともと美貌の持ち主だったらしく、たちまちのうちに法皇の寵愛を得た。養和元年(1181)10月には法皇の皇女・覲子内親王を産んでいる。同年閏2月の清盛の死去もあって、これを契機に丹後局は法皇の寵愛と信任を得た第一人者となり、政治にも介入するようになる。『玉葉』では丹後局のことを「朝務は偏にかの唇吻にあり」と評しているが、丹後局の権勢は著しく、かつての唐の楊貴妃にたとえられたとまで言われている。
(以上参照:丹後局:Wikipedia←より詳しくは)

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朝廷から去った丹後局が、亡き夫・業房の所領にあった浄土寺に住んだことで、「浄土寺二位」と称されたといいます。

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浄土院へは初めて入りました。
銀閣寺の門のすぐ横にこのようなお寺があったとは・・・知らない京都がまだまだ。

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昨日リリのことを記事にしたことで、心に区切りがついたように思います。
何となくスーッと軽くなったように思います。こういうことってあるのですね。

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 3 哲学の道 寺院」カテゴリの記事

コメント

おっはよう!
一年が経つのも早いもんですね、少しはスッキリなされた
ようでホットしております。思えば去年の今朝、訃報が届き同じ愛猫家として心を痛めておりました。
22日にお邪魔しますと言ったのは一緒に合掌したいと思いまして・・・これからもリリの事忘れずに生きて下さい、
家族ですもの。

投稿: uzu | 2013年1月23日 (水) 07:14

おはようございます。りせさん。
丹後局のこと、初めて知りました。日本の楊貴妃とは、すごい人です。
最後から3枚目のお写真、すすきがいい感じですね。

リリちゃんのこと、心に区切りがつかれたとのこと、よかったです。ずっと、ずっとりせさんの近くにいて見守り続けてくれると思いますよ。

投稿: さらそーじゅ | 2013年1月23日 (水) 09:57

最後2枚目の写真が、何だろうか、不思議です。
丹後局のことは、知っていましたが、木像があるのを、知りませんでした。ガラスに、紅葉が写って、きれいです(^_-)
リリちゃんのこと、私、忘れませんよ。はじめて、服を着たリリちゃんを見た時、猫のお姫さま、なんて、きれいな猫ちゃんって、思いました。リリちゃんを見て、同じチンチラのさくらちゃんを思い出したものです。リリちゃん、いつも、りせさんの側にいていると思います。

投稿: ごま | 2013年1月23日 (水) 10:32

お久しぶりですー
相変わらず素敵なお写真ですね^^
楽しませていただきました!

投稿: わこう | 2013年1月23日 (水) 11:21

まだまだ知らない京都がたくさんあるんですね
いやぁー、深いもんですねぇ。でも、こういう謎って
魅力的ですね♪

投稿: munixyu | 2013年1月23日 (水) 17:57

★uzuさん こんばんは♪
遅くなりました。m(_ _)m、また孫のお守りに行っていました。
そうだったのですか、覚えてくださってたのですね。有り難うございます。m(_ _)m
猫の寿命からいってもあと5、6年は生きれてたと思うと、あと5年ほどは辛いと思います。
お骨は全部いただいていますので、可愛く飾り付けています。
今までは納得したくなかったし、お骨も棚に置きっぱなしでした。最近になって綺麗に飾り付けて・・・リリはいえに居ることが分かりました。
昨日の記事で、リリの写真を一杯見て・・・もう二度と会えないことが納得出来たのかもしれません。心のお葬式をしてなかったのですね。
今残っている2匹を大切にしていこうと思います。
uzuさん、覚えていてくださって有り難う。リリの姿を1人でも多くの人に覚えていてほしいと

投稿: りせ | 2013年1月23日 (水) 21:49

★さらそーじゅさん こんばんは♪
昨年大河ドラマの平清盛では登場しなかったのでしょうか、シッカリ見てなかったから。。。
歴史には全く疎いから、さっぱり知りませんでした。
ススキの向こうの棚にずらーっと奉納の小さな仏様が並べてあります。
有り難うございます。いつも寝てましたから今も何処かで寝ています。きっと。

投稿: りせ | 2013年1月23日 (水) 21:58

★ごまさん こんばんは♪
あの写真、全体が写ってないか見てみました。蓮の花の下は水道の管になっています。ハスの花の先から噴水のように水が出るみたいですよ。
リリは性格も私に似ていたのが可愛くて、愛おしかったです。今も見守ってくれていると思います。
有り難うごまさん。

投稿: りせ | 2013年1月23日 (水) 22:10

★わこうさん こんばんは♪
いえいえ、じっくり撮ってないからどうも中途半端な写真です。今日のお寺はどこを撮ったら良いか分からないお寺でした。
今日は暖かめでした。なかなか雪の降らない京都です。
今年になって、まだ一度も撮影用に出かけてなくて・・・まだ紅葉が続きますが、宜しく。
コメント有り難うございます。

投稿: りせ | 2013年1月23日 (水) 22:23

★munixyuさん こんばんは♪
銀閣寺のすぐ隣にこんなところがあったとは・・・
まだまだ見逃しているところがありそうです。

投稿: りせ | 2013年1月23日 (水) 22:27

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