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2012年8月30日 (木)

角屋 もてなしの文化美術館

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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※写真は全てクリックで拡大します。

角屋(すみや)は江戸時代の社交遊宴文化の余香を今に伝え、幕末には勤皇、佐幕派双方の会合場所となりった維新の旧跡といえるところです。
西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤皇志士たちが、軍用金調達のため時の豪商を角屋へ招いて会議を行ったところであり、また彼等を探し求めた新撰組が乱舞した場所でもありましたが乱闘の現場になったことはありません。

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角屋の説明は角屋保存会の公式サイトと、駒札から抜粋いたします。

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島原には、揚屋と置屋があり、揚屋は太夫芸妓などを一切かかえず、置屋から太夫等を呼んで宴会を催す場で、角屋の建物は揚屋建築の唯一の遺構として、国の重要文化財の指定を受けています。

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揚屋は今で言う料亭にあたり、角屋においては、その座敷、調度、庭のすべてが社寺の書院、客殿と同等のしつらいがなされ、江戸時代、京都において民間最大規模の饗宴の場でした。

揚屋建築の特徴は、饗宴施設のため、大座敷に面した広庭に必ずお茶席を配するとともに、客振舞のために、寺院の庫裏と同規模の台所を備えることにあります。

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角屋は揚屋としては明治5年(1872)まで営業し、それ以降はお茶屋業に編入されました。お茶屋業としては、昭和60年(1985)まで「松の間」において宴会業務を行っていました。また、揚屋は「一見さん」(紹介のない方)を迎えることがなく、支払いは「つけ(掛売り)」のみで、現金決済を行いませんでした。

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江戸初期から中期までの揚屋は、間口が狭く、奥行きのある小規模の建物であったため、一階を台所および居住部分とし、二階を主たる座敷としました。その二階へお客様を揚げることから「揚屋」と呼ぶようになりました。

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角屋の外観の格子は、近世初期の京都町屋に広く使用されていた格子のすがたを伝えています。したがって、江戸吉原の花魁(おいらん)を見せるための牢屋のような格子(籬 まがき)では決してありません。

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帳場

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多くの方が誤解されているのは、「江戸の吉原と混同されて遊郭だと思っておられる方が今もおられる」ということです。私もその一人でしたが、前回行った時に説明を受けました。

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以前行った時の記事です。←説明も多く入れていますので見て下さい。

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今回は京ことば源氏物語を聞きに参りましたから、角屋の説明は受けておりません。

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網代の間

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情緒のあるお庭です。

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網代に組まれた豪華な天井。赤い壁と黒い天井を行燈の灯りが照らします。

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昔の照明には、蝋燭を灯す燭台や灯油の行灯が用いられました。室内を明るくするためには、たくさんの蝋燭を灯すことが必要でした。

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その結果、油煙で天井、襖などの室内が真っ黒に煤けています。

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角屋の建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和27年、国の重要文化財に指定された。また、絵などは応挙・蕪村など、当時一流の画人の作品で、特に蕪村の「紅白梅図」の大作は重要文化財に指定されています。
江戸中期の島原には、俳壇が形成されており、中でも角屋の6代目・7代目の当主は、蕪村・太祇らを師として俳壇の中核として活躍していました。

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長谷川等雲筆    唐子の図

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2階の座敷が素晴らしいそうです。撮影一切禁止なので上がったことはありません。

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 角屋(角屋もてなしの文化美術館) 場所はここ 下京区西新屋敷揚屋町
      開館期間: 3月15日~7月18日、9月15日~12月16日
      開館時間: 午前10時~午後4時
      休館日  : 月曜日(祝日の場合翌日)
      入館料  : 一般1000円、中・高生800円、小学生500円
               (2階の特別公開料金を除く)

   2階特別公開 座敷(青貝・扇の間他) 事前に電話予約のこと
      075-351-0024 (受付:午前10時~午後5時)
      案内時間(約30分): 1日4回 定員: 各回20名。
      入館料 : 大人800円、中・高生600円(小学生以下はお断り) 

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 3 京都駅界隈 壬生 他」カテゴリの記事

コメント

しかし、趣のある建物やね。
そうか、遊郭ではないのですね。私も勘違いしていました。失礼いたしました。

昨晩、ご本人からのメールを頂戴し感激のあまりうれしくて電話をかけてしまいました。(^-^;
楽しみがふえましたが、チョット勉強していかんとあかんやろか?恥かしんやけどしっかり読んだことがないし。

投稿: Tacchan | 2012年8月30日 (木) 09:33

こういう明かりに照らされた部屋の雰囲気がいいですね。部屋が、すすで真っ黒、困るけれど、それも、味があって、いいかもしれません。
私も、吉原と島原と、同じと思っていました。時代劇を観ていると、そういうふうに、とらえられているように思います。
紹介がないとダメ、敷居が高いんですね。

投稿: ごま | 2012年8月30日 (木) 10:27

★Taccha~n こんにちは♪
島原の角屋は私もずっと遊郭だとばかり思ってました。すごい歴史ある建物なんですね。飲み代を踏み倒してばかりの新撰組には出入り禁止なんて書き物もありますよ。
こんど2階を是非見てみたい。テレビでは見たことあるけれど。
私もね、女優さんからメールが来た時は舞いあがりましたよ。
日本人としては富士登山と、源氏物語を読もうと思って・・・読みやすい田辺聖子さんの「新源氏物語」を読みました。文庫本で3冊。面白かったよ。
でも、前知識無しでも最初に背景なども分かり易く話されますから大丈夫です。

投稿: りせ | 2012年8月30日 (木) 12:26

★ごまさん こんにちは♪
祇園なども今は誰でも入れますが、かつては「一見さんお断り」でしたから、随分変わりました。
角屋の営業は終わってて、今は松の間で当時の説明を受けます。
吉原と島原・・・かつては私も1字違いで同じものって思ってました。

投稿: りせ | 2012年8月30日 (木) 12:34

江戸の吉原と混同されて遊郭だと思っておられる方です

いやぁー、揚屋と置屋があり、揚屋は太夫芸妓などを一切かかえずっていうから、てっきり置屋では
ああなって、こうなってーって妄想を・・・
そうかぁ遊郭じゃないのね♪

投稿: munixyu | 2012年8月30日 (木) 14:13

★munixyuさん こんばんは♪
習わないから、勝手に想像してるから・・・そう思ってる人は多いと思います。
揚屋さんも置屋さんも当方は縁がないから分からなくて当然ですよね。
munixyuさん・・・想像から妄想ですか・・・( ´艸`)プププ

投稿: りせ | 2012年8月30日 (木) 19:10

お久しぶりです。
夜遅くにすみません。
ずっと見て来たんですけど、
コメントさせてもらうのはしばらくぶりです。
こういう空間、
自分が求めて来たもののような気がします。
落ち着いたたたずまいといい、色合いといい…。
実際ここに自分の身を置いてみたいです。
あと、余談ですが、
僕もココログ登録してブログ作っちゃいました。
きっかけはりせさんです。
ありがとうございました。
ココログって楽しいですね。

投稿: キャロル | 2012年8月30日 (木) 23:33

★キャロルさん お早うございます♪
角屋は広々・・・調度も重厚、良いですよ・・・見学料が高いけれど。
2階は天井一面が扇面だったようにテレビのを記憶してるのですが素晴らしい!!。壬生にも近くて維新の歴史がいっぱい。
ココログで作られましたか。(o^-^o)
ココログには不満が一杯あるのですよ。今更変更できないし・・・でも、好きに作れて楽しいです。
ブログ教えて下さいね。

投稿: りせ | 2012年8月31日 (金) 10:27

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