笠置寺 1 弥勒磨崖仏
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昨日は本格的に梅雨を感じる雨でした。家からは出ることも無く・・・
ずっとやり残している「笠置寺」に取り掛かることにしました。
京都府の南部に位置する相楽郡笠置町。
1331年に鎌倉幕府の倒幕計画が発覚した後醍醐天皇は、三種の神器を保持して笠置山にて挙兵、篭城。元弘の乱の発端となりました。
信仰の対象としての笠置山の歴史は弥生時代にまで遡るとされ、かつて修験道の行場であり1300年の歴史をもつ笠置寺があります。
笠置寺 (かさぎでら) 真言宗智山派 山号:鹿鷺山(しかさぎさん)。
開基は大友皇子または天武天皇と伝える。歴史的に南都(奈良)の東大寺や興福寺などと関係が深く、解脱房貞慶(げだつぼうじょうけい・海住山寺を中興)などの著名な僧が当寺に住したことで知られ、日本仏教史上重要な寺院である。また、境内は鎌倉時代末期、元弘の乱の舞台となったことで知られる。
磨崖仏(まがいぶつ、自然の岩壁に直接彫り刻んだ仏像)の巨大な弥勒仏を本尊とする寺で、平安時代以降、弥勒信仰の聖地として栄えました。
椿本護王宮(鎮守)
修験道の行場めぐり(1周約800m)に出発です。
笠やん 追悼碑・・・かつて、テレビで見たことを思い出しました。
「笠やん」・・・観光客を道案内するかのように先導して歩く可愛い猫の姿を。そうですか、もう既に亡くなってたのですね。「追悼の碑文」は※拡大します。読んでくださいね。
愛し猫よ ひと声なりと 雪笠置 森 義久
まず、巨岩に目を見張ります。
笠置石 笠置町の名の由来となった石
天智天皇の子である大友皇子はある日、馬に乗り鹿狩りをしていた時、笠置山中の断崖絶壁で立ち往生してしまった。そこで山の神に祈り、「もし自分を助けてくれれば、この岩に弥勒仏の像を刻みましょう」と誓願したところ、無事に助かった。次に来る時の目印として、自分の笠をその場に置いていった。これが笠置の地名の起こりであるという。
弥勒磨崖仏が見えて来ました。
御本尊の弥勒仏です。
磨崖仏は高さ約15メートル、最大幅は約12メートル。1300年程前の奈良時代の作とみられ、花こう岩に線で彫られています。元弘の変(1331年)の戦火などで、現在では光背を残すのみで、ほとんど姿が消えてしまっています。
◆2010年10月、高精細のデジタル画像で復元されました。
→デジタル復元 PDF形式 - 文化財復元センターホームページ
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正月堂 本尊の弥勒大磨崖仏の礼拝堂です。
東大寺で行われる「お水取り」はここが起源で、第一回目はここで営まれました。正月堂という名前も、東大寺の二月堂・三月堂と関連があります。
石造十三重塔も見えます。
正月堂は、清水の舞台のような造りとなっています。
・
千手窟
東大寺の開山で初代別当であった良弁(ろうべん)は、東大寺大仏建立の用材を木津川を利用して奈良に送る計画であったが、日照り続きで水量が少なく計画が危うくなった。良弁の弟子実忠(じっちゅう)が千手窟に籠って修法を行い、大雨を降らせ予定どおり大仏殿を完成させたと伝わります。
以後、大仏殿の修理の折には必ずこの場で無事完成を願っての祈願法要が行われたといいます。
「お水取り」の起源
笠置山には龍穴という奥深い洞窟があり、その奥は弥勒菩薩の住む兜率天へつながっていると言われていました。良弁の弟子・実忠はある日龍穴で修行中、思い立って龍穴の奥へと歩いていくとやがて兜率天に至りました。兜率天の内院四十九院をめぐった実忠が、そこで行われていた行法を人間界に伝えたのが東大寺のお水取りだといいます。
虚空蔵磨崖仏の下に立ってらっしゃいます。
虚空蔵磨崖仏(こくうぞう・まがいぶつ)
高さ12m・幅7mの花崗岩に、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)が刻まれています。
この仏様は、図像的な特徴から、如意輪観音坐像であるとも言われており、製作年次も平安時代・奈良時代と確定していません。
伝・虚空蔵磨崖仏 (立札)
寺伝では弘仁年間(810-824)弘法大師がこの石に登り一夜にして彫刻したといわれています。彫刻の様式から中国山西省雲崗の磨崖仏に相通じるところから、本尊弥勒磨崖仏と同様 奈良時代の渡来人の作と考えられる。
幸運にもまわりに建物がなかったからか元弘の戦乱の炎を受けることもありませんでした。
修験道の行場めぐりは始ったばかりです。次回につづきます。多分、明日のつもり。
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右端に磨崖仏があります。お山を登ってぐるっと廻って来ます。
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コメント
今日は、暑いですねf(^ー^;
いろんな話があって、おもしろいです(^_-) 言い伝えとか、いわれを聞くと、その建物、仏像に、愛着が湧きます。大野にも、磨崖仏がありますが、ここも、立派ですね!あんなところに、彫るなんて、すごいなと思います!!(゜ロ゜屮)屮
笠やん、皆さんに愛された猫ちゃんだったんですね。可愛かったでしょうね(^_-) 会いたかったな!
投稿: ごま | 2012年7月 2日 (月) 12:15
うわー、切ない!
笠やんの事が目に入ってしまったら、他の事は見えなくなってしまいました。
皆に愛されて碑文まで残された笠やん、雪の朝冷たくなっていたなんて、なんて悲しい終わり方なのでしょう。
せめて誰かに抱きしめられた記憶でも残してあげたかった気がします。涙が止まりません。
昨日の紫陽花、素晴らしい色ばかりで感動しました。
投稿: fmk | 2012年7月 2日 (月) 13:03
へぇえええー、これが磨崖仏っていうやつなんですね
聞いたことはあるけど、みたことなかったですわぁ
岩のうえに、うまいこと描いてはるんですなぁ
うん、凄いもんですよね
投稿: munixyu | 2012年7月 2日 (月) 13:33
「寺は壺阪、笠置、法輪」と『枕草子』にありまして、平安時代にはすでに広く知れ渡っていたようです。
ごまさんのおっしゃる大野寺の磨崖仏は鎌倉時代にここ笠置の弥勒磨崖仏を摸刻したものだそうです。
当尾にある「ミロクの辻磨崖仏」は大きさは2m程と小さいですが、同じ形の光背を持ち、条件がよければ線刻された姿を見ることができます(なにしろ水際で日陰にあるものだからカビがひどい…)。
他に仁和寺にも「笠置磨崖仏」を筆写したものが伝わっていて、これが最も正確なものであるようです。
現在、これらを参考にした復元作業が進んでおり、お寺ではいずれ磨崖仏そのものを復活させたいと考えていらっしゃるようです。
投稿: わびすけ | 2012年7月 2日 (月) 16:09
この季節にふさわしい笠置寺の紹介やね。
行ったこともないけど奥が深くてええとこやね。
土曜日、近所の葛飾八幡宮で大祓いの神事に参加。貴女のブログを紹介、お気に入りに入れてもらいました。うれしかったです。ヽ(´▽`)/
投稿: Tacchan | 2012年7月 2日 (月) 16:16
こんばんは、りせさん。
笠置寺、すごいですね。
弥勒磨崖仏のデジタル画像、美しかったです。
笠やん、最後はかわいそうだったけれど、追悼の碑文を作ってもらって幸せな猫ちゃんだなと思います。
先週、日帰りで伊勢神宮に行ってきたんです。
清浄な空気をいっぱい頂いてきました。
五十鈴川がとってもきれいでしたよ。
投稿: さらそーじゅ | 2012年7月 2日 (月) 19:33
★ごまさん こんばんは♪
以前は言い伝えなどはあまり載せなかったのですが・・・Wikipediaを読んでいたら・・・楽しいから載せるようにしました。
笠置寺のHPに大野寺の弥勒磨崖仏はこれを模写したものだって書いてありました。
笠やんの活躍中は何度かテレビで見たことがありました。キジトラちゃんだったと思いますが、お山を案内していましたよ。
投稿: りせ | 2012年7月 2日 (月) 21:55
★fmkさん こんばんは♪
笠やんは当時テレビで取り上げられることが多くて、何度か見ました。5年間だったのですね。駐車場というのが・・・何かあったんじゃないかと思って・・・テレビでしか見たことはないですが、辛いですね。
碑を見て・・・横のお地蔵様を見て・・・笠やんが特別な猫だったんだと。皆に可愛がられ、愛されていたんですね。
投稿: りせ | 2012年7月 2日 (月) 22:02
★munixyuさん こんばんは♪
大きな岩でしょ。そして大きな仏様。
刻むのに失敗出来ませんね。
投稿: りせ | 2012年7月 2日 (月) 22:05
★わびすけさん こんばんは♪
わびすけさんは笠置寺には何度も行ってらっしゃるでしょうね。
この写真はデジタル画像復元された直ぐ後でした。
当尾に「ミロクの辻磨崖仏」ってあるのですか? 加茂町のお寺は古くて重要なのが多いですね。
仁和寺の「笠置磨崖仏」筆写・・・わびすけさん、詳しいですね。私が何も知らなさ過ぎかもですが・・・勉強になります。
投稿: りせ | 2012年7月 2日 (月) 22:15
★Taccha~n こんばんは♪
30日、夜はどこか大祓いに行こうかと思ってたんですが・・・雨がキツクなって来たので辞めました。
笠置寺というか笠置山あたりは川もあって夏のリクリエーションにも良さそう。
東京でも・・・またまた有り難う。o(*^▽^*)o
投稿: りせ | 2012年7月 2日 (月) 22:23
★さらそーじゅさん こんばんは♪
2010年の10月の写真です。ちょうどこの頃にデジタル復元がされてたのですね。
笠やん、早死にだったんじゃないかなあと・・・切ないです。
和歌山ってほとんど行った事が無いのですが、伊勢神宮、白浜、高野山・・・良さそうですね。
投稿: りせ | 2012年7月 2日 (月) 22:31