知恩院 七不思議
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新緑の眩しい知恩院
今日は知恩院の七不思議などをお届けします。
三門 国宝
建立:元和7年(1621) 徳川二代将軍秀忠公命による。
入母屋造本瓦葺、高さ24m、横幅50m、屋根瓦約7万枚。構造・規模において、我国現存木造建築最大の二重門。額の「華頂山」は、畳2畳以上。
上層部(楼上)内部は、仏堂となっており、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像(いずれも重文)を安置。天井や柱、壁などには迦陵頻伽や天女、飛龍が極彩色で描かれています。
不思議の一つである三門を建立した棟梁、五味金右衛門夫妻の白木の棺があり、木像が安置されています。
三門 三解脱門
「三門」は迷いと煩悩から解脱するために通過しなくてはいけない三解脱門で、「空門」・「無相門」・「無願門」の悟りに通ずる三つの解脱の境地(三境地)を経て仏国土に至る門とされています。
男坂の急な石段の上から見降ろして・・・
阿弥陀堂 現在工事中の御影堂の方にここから行きます。
象のドアストッパー・・・(o^-^o)
いま御影堂は修復工事中
◆旧:京都を歩くアルバムの知恩院のページ→こちら。見て下さいね。
◆知恩院七不思議
①抜け雀 狩野信政 復元模写図
大方丈の菊の間の襖絵は狩野信政が描いたもので、紅白の菊の上に数羽の雀が描かれていたのですが、あまり上手に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれています。説明書きには「←雀が抜ける前・雀が抜けた後→」と襖絵を指しています。
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②三方正面真向の猫 狩野信政筆 復元模写図
大方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵で、どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいるのでこの名があります。
親猫が子猫を愛む姿が見事に表現されており、親が子を思う心、つまりわたしたちをいつでもどこでも見守って下さっている仏様の慈悲をあらわしています。
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③白木の棺 三門楼上には、将軍家より三門造営の命をうけた大工の棟梁、五味金右衛門夫婦の二つの白木の棺が安置され、中に自作の木像が納められています。彼は立派なものを造ることを心に決め、自分たちの像をきざみ命がけで三門を造りました。完成した三門は工事の予算が超過。夫妻はその責任をとって自刃したと伝えられています。この夫婦の菩提を弔うため白木の棺に納めて現在の場所に置かれております。
④大杓子 大方丈入口の廊下の梁に置かれている大きな杓子。 「すくう」すべての人々を救いとるといういわれから知恩院に置かれ、阿弥陀様の慈悲の深さをあらわしています。
⑤忘れ傘 御影堂正面の軒裏 当時の名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、御影堂を建立するとき、このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼し、それが出来たお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したという説とが伝えられています。
⑥瓜生石 誰も植えたおぼえもないのにこの石から瓜のつるが伸び、花が咲いて、瓜があおあおと実ったという説と、八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し一夜のうちに瓜が生え実ったという説とが伝えられています。
また石を掘ると、二条城までつづく抜け道があるとか、隕石が落ちた場所であるとか。
◆瓜生石、忘れ傘等の載っている記事→こちら。
⑦鴬張りの廊下 御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る全長550mの廊下。静かに歩こうとするほど鶯の鳴き声に似た音が出るので「忍び返し」ともいわれ、曲者の侵入を知るための警報装置の役割を担っているとされています。
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