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2011年8月16日 (火)

奥嵯峨 祇王寺 2 苔の庭

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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写真は全てクリックで拡大します。

祇王寺
現在の祇王寺は、昔の往生院の境内である。往生院は法然上人の門弟良鎮に依って創められたと伝えられ、 山上山下に亘って広い地域を占めていたが、いつの間にか荒廃して、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれる様になりました。

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祇王、仏御前の物語を「平家物語 巻の一」から  

平氏全盛の頃、都に白拍子の上手「祇王と祇女」という姉妹がいました。

姉の祇王が清盛の寵愛を得、妹の祇女も有名となり、毎月百石百貫の手当てもあって安穏と暮らしていました。

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ある日、仏御前と呼ばれる白拍子が清盛の館にやって来て、舞をお目にかけたいと申し出ました。

「祇王がいるところには叶うまいぞ」と追い返したものの、祇王が「私も同じ白拍子の身」と取り成して、今様(いまよう)を歌わせました。

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すると、昨日までの清盛の祇王への寵愛は何処へやら、清盛は仏御前に心を移し祇王を追放します。

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もとの貧乏暮らしに戻った祇王の家族に代わり、仏御前の家族は栄えます。

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翌年、清盛は仏御前が退屈しているからと祇王を無理矢理呼び寄せました。

はるか下の座敷に祇王が通されたのを知った仏御前は気の毒でなりません。祇王をこちらへ通し自分には暇を出して下さいと願いますが清盛は聞き入れませんでした。

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「かくて都にあるならば 又うき目を見むずらん 今は都を外に出でん」と言い、祇王(21才)、祇女(19才)、母刀自(45才)3人は尼となり嵯峨野のこの地で仏門に入りました

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母子三人が念仏しているところに竹の編戸をたたく者が。。。

清盛の館を抜け出し剃髪して尼の姿でやって来た仏御前(17才)でした。

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祇王は「わずか十七にこそなる人の、浄土を願わんと深く思い入り給うこそ」と4人で住むこととし、みな往生の本懐を遂げたのでした。

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先ほどから緑の苔の絨毯の上で、のんびりお昼寝中なのは・・・まろみちゃんです。

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    ◆壁紙 祇王寺・吉野窓とまろみちゃん・・・使ってくださいね。

    サイズ:1280×1024  サイズ:1024×768  サイズ:800×600

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竹林の道を抜けると、昨日紹介した吉野窓のある草庵に向かいます。

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今日の写真はコースに沿って並べていません。

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左が祇王、祇女、母刀自の墓 右が平清盛の供養塔です。

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※今日16日は五山送り火の日です。
陸前高田市の被災松の件では対応が2転3転して、京都市民として残念な気持ちです。放射能が検出されなかった最初の松のときに、幅広い市民の意見を聞いておけば、こんな結果にはならなかったと今でも思っています。今年は少し複雑な感情ですが、近しい故人と震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたいと思います。

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もう16-7才になっていると思います。まろみちゃん、いつまでも元気でいてね。

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■散策3 嵯峨野 鳥居本」カテゴリの記事

コメント

お盆休み、最終日。
りせさん、おはようございます

昔は、この苔の緑に心を奪われて、吉野窓は、あまり印象に残らなかったものです。
あらためて解説を読みながらお写真を拝見していると、
もう一度、祇王寺に行きたくなりました

苔に映えて、白いまろみちゃん、艶やかにみえますね。

投稿: サブリナ♪ | 2011年8月16日 (火) 08:18

苔がちがうんだ
苔寺より凄いかも

いやぁー、いい寺ですなぁ♪

投稿: munixyu | 2011年8月16日 (火) 12:29

こんにちは、りせさん。
10枚目のお写真、気に入りました。白っぽい幹の曲線がいいです。
竹林の道は、以前来た時に素敵と思って歩いたように思います。
最後のお写真のまろみちゃん、お昼寝から起きてぼうっとしてるのかな、それとも考えごと?

投稿: さらそーじゅ | 2011年8月16日 (火) 13:50

★サブリナ♪さん こんにちは♪
私が最初に祇王寺に行ったのは高校時代だったと思います。その時の記憶は吉野窓と狭い庵の中。そこを鈴虫寺と間違って記憶していました。
苔の良さはその歳では記憶に残らなかったようです。
まろみちゃんはどこでも自由自在。まろみちゃんのおうちのようです。

投稿: りせ | 2011年8月16日 (火) 17:41

★munixyuさん こんにちは♪
ここの苔の密度、分厚さとかは秀逸です。色も良いし、艶々しています。
苔寺の苔1寺院分に相当するかも。美しいです。

投稿: りせ | 2011年8月16日 (火) 17:45

★さらそーじゅさん こんにちは♪
10枚目・・・木々が白いのと奥の竹林の青白っぽい色が、不思議な感じでしょ。どこで切り取ろうか凄く迷いました。
まろみちゃんは物怖じしないし、悠々自適に生きてそうです。毛づくろいしたら庵の方へ行きましたよ。

投稿: りせ | 2011年8月16日 (火) 17:58

りせさん、こんばんは♪
祇王寺の美しさに心奪われた一人です。
写真は全部拡大して見ました。
どれも絵葉書よりキレイですね!
物語の主人公達は17~21歳、そんな歳で分別が有るのがビックリですね。
おっと!まろみちゃんも同じようなお年頃ですね(笑)
緑の絨毯の上は冷たくて気持ちが良いでしょうね。
昨夜の諏訪湖の花火は大盛況でした。
4万発は大迫力でした。
しか~し、家に帰り着いたのは0時40分でした。
今日は、一日ぼ~っとしていました。

投稿: fmk | 2011年8月16日 (火) 19:20

キャロルです。
祇王寺の苔もいいですねぇ。
平家物語の巻第一“祇王”のところは、現代語訳付きの古典文のものを何度か読みました。
今現在の嵯峨野はとても賑わっていますが、平安当時は閑散としたところだったようですね。祇王・祇女・母刀自の庵はどこかこの近辺にあったようですが…。
最後の猫の“まろみちゃん”、白くて、おとなしそうで、かわいいですね。

投稿: キャロル | 2011年8月16日 (火) 19:39

まろみちゃん、そんなに,年を召しているように、見えませんね。真っ白で、可愛いです(^_-)
男の人の心変わりに、ほんろうされて、かわいそうな人生ですね。なんで、清盛さんも、ここに、墓があるのか、不思議ですね!

投稿: ごま | 2011年8月16日 (火) 20:59

★fmkさん こんばんは♪
真っ白なまろみちゃん、実は元気にしてるんだろうか心配でした。
昔の人はシッカリしてますね。
こちらでは琵琶湖の花火が有名ですが、規模は同じかも。昔はよく行きましたが、もう何十年も行っていません。最近は宇治川と、亀岡に行きましたが7500発だったと。
ホント、スケールが違いますね。
ちょっと歩いただけで「疲れた」と感じます。上高地では痛み止めを飲んで歩きました。
今日あたりからどっと疲れて・・・なのに送り火の日で。。。また疲れが倍増です。

投稿: りせ | 2011年8月17日 (水) 01:17

★キャロルさん こんばんは♪
当時の奥嵯峨は都からは遠く離れ竹藪の中の淋しいところだったんでしょうね。
祇王寺のまろみちゃんを最初に見たとき、受付の人に聞いたら「連れて帰っていいですよ・・・」なんて言われて。迷惑な迷い猫かと思ってたんですよ。

投稿: りせ | 2011年8月17日 (水) 01:27

★ごまさん こんばんは♪
平清盛のはお墓じゃなくて「供養塔」です。お墓は何処でしょうね。立派だと思いますよ。
まろみちゃん・・・以前見た時より一廻り小さくなっていました。片目がちょっと変になってて・・・歳いったなあ・・・と思いました。

投稿: りせ | 2011年8月17日 (水) 01:35

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