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2011年6月20日 (月)

西陣散歩 三上家路地ほか 

新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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写真は拡大します。

「足利将軍室町第跡」の碑は烏丸今出川の室町通りの北角にあります。

今日はここから、うろうろと歩いてみます。歩いたのは2月の末、
凄い方向音痴の為、どの辺りを歩いたか・・・今地図を見てもさっぱり分からずです。

「足利将軍室町第跡」
足利3代将軍義満が永和4年(1378)に造営した邸宅。室町幕府があったところ。室町殿・室町御所・花の御所ともいわれます。
烏丸通と室町通、今出川通と上立売通に囲まれた東西110メートル、南北220メートルに多くの殿舎、庭園美をきわめ、室町時代の政治、文化の中心地でした。しかし応仁の乱で焼失、いくつかの町名を残します。

東北角に石碑 「足利将軍室町第跡」があります。地図・・・A地点です。

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同志社大学・新町キャンパス

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諸君ヨ、一人一人ハ大切ナリ   新島 襄

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直ぐそばに「三時知恩寺」(さんじちおんじ) があります。 

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三時知恩寺  
浄土宗の尼門跡寺院。応永年間(1394年 - 1428年)北朝4代後光厳天皇の皇女見子内親王が北朝3代崇光天皇の御所で一条西洞院にあった入江殿を寺に改めたのに始まる。足利義満の娘の覚窓性仙尼(性善尼とも)を開山とした。
内親王は深く仏教に帰依し、宮中に安置された唐より招来の善導大師像を宮中から賜って当寺の本尊とされた。崇光院帝の旧御所を当寺にたまわり、「入江御所」と称された。

後柏原天皇の代に「三時知恩寺」と称されるようになったが、これは宮中における六時勤行(1日6回の勤行)のうち昼間の3回をこの寺で行うようになったことによる。

以来、皇女が相次ぎ入室され明治維新に及ぶ。
天明8年(1788)の大火に堂宇は焼失し、現在の堂宇は桃園天皇皇女御恭礼門院の旧殿をたまわり再建されたものである。 

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川は無いのに橋の欄干があります・・・

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この辺りの住所は「水落町」  小川通りというのもありますね。

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堀川通りを渡って・・・

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上京区堀川上立売下る一筋目西入北側に「山名宗全邸宅跡」の駒札と「山名宗全旧蹟」の石碑があります

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山名宗全  1404(応永11)~1473(文明5)
名を持豊といい、後に宗全と号したが、赤ら顔であったので赤入道ともいわれた。但馬をはじめ数ヶ国を領し、強大な勢力を持っていた。
子供が無かった将軍足利義政は弟義視(よしみ)を後継にしようとしたがその後、義政の夫人富子に義尚(よしひさ)が生まれたため、将軍職をめぐる後継者争いが起り、「応仁の乱」に発展した。
義尚を擁する宗全はこの邸宅を本陣として分かれて、室町今出川の花の御所に陣を置く義視方の細川勝元と東西に分かれて11年間に及ぶ戦いを繰り広げた。このため、京都の町の大半は焦土と化した。
   なれや知る都は野辺の夕雲雀 あがるを見ても落ちる涙は
                             (飯尾彦六左門尉常房)

この地にあった山名家代々の邸宅も焼失し、宗全は文明5年(1473)、陣中で没した。この辺り一帯を西陣と呼ぶのは宗全が幕府の西に陣を敷いたことによる。

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つづいて・・・「三上家路地」です。

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三上家路地(みかみけろじ)
西陣は、古くから織物産業が盛んな町。紋屋辻子の中ほどに、昔ながらの長屋の残る「三上家路地」があります。

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かつて天皇の衣装をつくった御寮織物司。三上家17代当主が大家さん。昔はこの長屋に職人達を住まわせていましたが、今は職人に代わって、写真家、陶芸家など芸術家達の工房やはちみつ専門店が店子(たなこ)として入っています。

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最近では、テレビドラマや映画の撮影に使われたり、雑誌の表紙を飾ることもあって、有名になっています。

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場所はこのあたり。方向音痴の私は再び行けるでしょうか。

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図子・・・辻子、逗子とも書き、通り抜けのできる町の道。平安京でも条坊とは別にみられ、鎌倉期にも設けられた。京都市中の商業発達により通路となる図子はふえその小路を基盤とする「図子町」が生まれた。図子数もしだいにふえ、江戸期の1685年(貞享2)に47、1863年(文久3)に91などの記録もある

路地・・・露地とも書き、通りに面した2軒の家の間の狭い通路。行き止まりが多いが、通り抜けの可能な道もあり、京都ではロージと発音。先斗町から木屋町通へ抜ける路地はよく知られている。

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京都市考古資料館に出たところで・・・次回に続きます。

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春も桜を求めて歩きましたが、やっぱり迷ってばかりでした。

「西陣」というのがどの辺りまでをいうのか、はっきり分からず・・・目次でも広範囲過ぎて、ややこしいことになってます。m(_ _)m

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■散策3 西陣 市中」カテゴリの記事

コメント

川は無いのに橋の欄干
うんうん
そういうところって、たまにあるよね
不思議ですよね

投稿: munixyu | 2011年6月20日 (月) 13:37

確か平野神社あたりに西軍の本陣があったと聞いたことがあります。
西陣の路地裏ときたらホントにしっちゃかめっちゃかで、学生時代にもしょっちゅう道に迷ってましたし、未だに覚えらません。

投稿: わびすけ | 2011年6月20日 (月) 14:02

「ロージ」懐かしい響きやわ。
「応仁の乱」社会科の試験を思い出す。

先日、日本橋散策で漆器の「象彦」さんでお抹茶と和久傳の「希水」をいただき、しばし京都に思いを馳せらせました・・・。(;´д`)

投稿: Tacchan | 2011年6月20日 (月) 14:19

ロージとは、知らなかったです。ここも、歴史があって、皇室ゆかりの地なんですね。西陣の由来は聞いたことがあります。そうそう、2013年の大河ドラマは、同志社大学の創立者の奥さんが主人公だと聞きました。今日は、京都市で、ガスの水漏れの事故があったとか。りせさん、大丈夫ですか?

投稿: ごま | 2011年6月20日 (月) 15:30

★munixyuさん こんにちは♪
あの橋の下・・・暗渠になってるんだろうか??
京都にもいろんなところがありますね。

投稿: りせ | 2011年6月20日 (月) 16:02

★わびすけさん こんにちは♪
桜を見に雨宝院、妙蓮寺、立体寺とかうろうろしました・・・去年も行ったのに。
範囲は広くないのに、~~あ~~歩き疲れました。くたびれたのなんのって・・・┐(´д`)┌ヤレヤレ

投稿: りせ | 2011年6月20日 (月) 16:07

★Taccha~n こんにちは♪
「ろおじ」って言った方が正しいかもしれへんね。
忘れたけれど、NHKのヒストリアルで応仁の乱の発祥の単純さというかをやっていたのを見て・・・「京都の街を焼き尽くした憎っくき応仁の乱メ!!」ってとこ。
東京には京都の老舗のお店がたくさんあるんやねえ。和菓子と器の京都の老舗同士の取り合わせかあ・・・グッとくるねえ。

投稿: りせ | 2011年6月20日 (月) 16:15

★ごまさん こんにちは♪
京都の大きな通りは碁盤の目になってますが・・・京都の中心というか、あの辺りは地図で「図子」「路地」がいっぱいです。
2013年の大河ドラマ・・・そうなんですか。もう決まってるんですね。
御心配ありがとう、私もお昼のニュースで事故を知りました。右京区って言ってました。10000世帯にガスと水道が止まってるようですね。酷いことになってますね。

投稿: りせ | 2011年6月20日 (月) 16:22

西陣素敵ですね。
道に迷いながら散策も楽しいですよね。
平等院の睡蓮、素敵ですね。

投稿: 金魚 | 2011年6月20日 (月) 17:47

★金魚さん こんばんは♪
しんどいので、うろうろするのは止めておきます。
平等院の睡蓮、これからが季節だから長く楽しめますね。

投稿: りせ | 2011年6月21日 (火) 00:13

この辺りには、全く詳しくなかったのですが
京都の町は、どこを切り取っても素敵な絵になると感じるのは私だけじゃありませんよね

それにしても、りせさんは、歴史にもかなりお詳しくて
お勉強になります

投稿: サブリナ♪ | 2011年6月21日 (火) 08:48

★サブリナ♪さん こんにちは♪
まさかまさか・・・私、全然歴史・地理には詳しくないですよ。
Wikipediaや京都市の駒札、お寺のHPをコピーしてるだけです。
これだけのことをスラスラ書けたら、京都検定1級なんて軽々ですよ。
京都検定は受けたこと無いから・・・受けるつもりも無いから・・・
私は写真を撮って・・・皆さんが見て読んで、楽しんで頂けるブログを作ってるだけです。
・・・どこを切り取っても・・・
何処を切り取るかは、人それぞれの感性によって違うと思いますヨ。(o^-^o)

投稿: りせ | 2011年6月21日 (火) 11:01

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