ダムに咲く桜 夷川発電所
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川端通りから冷泉通りを疏水に沿って東に行くと「夷川発電所」があります。ソメイヨシノは満開でした。(撮影:4月5日)
この夷川発電所は、明治23年(1890)に琵琶湖疏水が竣工し、翌年にその水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設された後、第二疏水計画と軌を一にして、下流の墨染発電所と同時に建設されました。
川端通りからも小さく夷川ダムは見えます。
明治2年(1869)、東京遷都に直面して、京都の地位低下を怖れた京都の人々は、水路開発による都市機能の再生を願って、疏水計画を立てました。
疏水沿いには散策路があります。
明治24年(1891)に疏水を利用する蹴上発電所が設けられ、これにより工場動力の電化がはかられ、明治28年(1895)には、市街電車を全国にさきがけて走らせました。
疏水は現在も京都の上水道源としての役割を果しています。
逞しく流れる水辺に咲く桜。力強さを感じます。
◆夷川発電所には新緑の頃に訪れた記事に詳しく書いています。→こちらです。
勢いよく流れ出ます。
◆以前桜の季節に訪れた記事は→こちらです。
ダム湖には昔「踏水会」(とうすいかい)という歴史ある水泳学校がありました。今はダムの北側に移転して、オリンピック選手もだしています。
煉瓦造りはホッと和みますね。
桜の時期からGWにかけて運行される十石船は、ここで帰って行きます。
銅像は疏水計画を主導・推進した、第三代京都府知事・北垣国道。
ベンチもあってなかなか良い雰囲気の散歩道です。
※2006年1月27日にブログ「京都を歩くアルバム」を公開以来、本日で総アクセス数が250万を迎えます。4年2ヶ月です。皆様有難うございます。
・1年で無料の2,000 MBをほぼ使い切り(現・京都を歩くアルバム・・・その1)。
2007年2月から現・「京都を歩くアルバム」は、 10,000 MBのココログ・プロを使ってお届けしています。アクセス数は、開設当初からの合計です。
・更新を終えて3年あまりの「京都を歩くアルバム・・・その1」ですが、今も毎日300前後のアクセスがあります。このブログから回っていただいたり、検索で来ていただいているようです。これからも宜しく。m(_ _)m
ソメイヨシノも個々の枝を見ると花は落ちていますが、遠目にはまだ綺麗に見えます。賀茂川も高野川も昨日は綺麗な桜並木が続いていました。
桜が散らないうちに・・・天気の良い日に・・・膝・腰が痛いのについつい出かけてしまいます。こういうのを「貧乏性」っていうのでしょうか。
こういう性格だから仕方がないですね。興味ある限り京都を歩きまわります。宜しく。
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