« 銀杏並木 東大路通り 吉田寮 | トップページ | 2010 紅葉 清滝川 高山寺あたり »

2010年11月14日 (日)

琵琶湖周遊記2 沖の白石ー竹生島

新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

Jmh_6118a
※写真は全て拡大します。

沖島を出て、船は「神の住む島」といわれる竹生島に向かいます。

途中で何回も水鳥の群に出会いました。

Dsm_9559a

約30分ぐらいすると、4つの岩のそばを通ります。「沖の白石」といい、丁度琵琶湖の中心にあります。名前の由来は、日が傾くと白く見える、あるいは、鳥の糞で白いから、という説があります。それはともかく、このあたりの水深が約80m、岩は14mの高さがあり、大きな岩が湖底から突き出ているのですね。

Jmh_6081a

また、安曇川河口(船木崎)の東約5.5kmのところにあります。晴れた日には湖岸から3つの岩が見えるので「船木三ッ石」とも呼ばれます。この岩だけを見るクルーズもあるようです。(見る角度によって石の数が違って見えます)

Dsm_9562a

さらに30分くらい北に進むと、竹生島に到着します。 さっきの沖の白石は高島市(西岸)に属しますが、こちらは長浜市(東岸)です。周囲2キロメートル、沖島についで2番目に大きな島です。島の名前は「神の斎く(いつく)住居(すまい)」を意味し、その「つくすまい」が「つくぶすま」と変わって、「竹生島」になったそうです。

Jmh_6117a

上陸すると、「琵琶湖就航の歌」の歌碑の向こうに竹生島神社と宝厳寺に上る石段が見えます。

Dsm_9619a

沖島にはなかった土産物屋さんが並んでいます。この先に石段の上り口があります。

Dsm_9621a

まず右の方にある竹生島神社に行くことにしました。

Jmh_6139a

途中で、木組の上にある建物の下を通ります。後でこれが何か分かりました。

Jmh_6152a

琵琶湖に面した見晴らしのよいところに竜神拝所があります。

Dsm_9654a

宮崎鳥居、かわらけ投げができます。鳥居をくぐれば願い事がかなうとか。

Dsm_9650a

本殿はあいにく修復工事中でした。

Jmh_6177a

本殿から竜神拝所

Jmh_6186a

本殿から宝厳寺観音堂へ行くことができる渡廊。秀吉の御座船の材木を用いて建てたという言い伝えから「船廊下」ともいいます。さっき見た木組の上がこの船廊下でした。ところで、なぜ神社とお寺が渡廊でつながっているのでしょうか。

Jmh_6198a

かって竹生島は神仏一体の聖地でしたが、明治の神仏分離令によって、弁才天を本尊とする「宝厳寺」と浅井姫命を祀る「都久夫須麻神社」(竹生島神社)に分かれたのです。

Jmh_6205a

重文・宝厳寺観音堂、西国三十番札所です。正面は右に入ったところですが、ここはお札がびっしりと貼りつけてあります。

Dsm_9697a

国宝・唐門、豪華絢爛といわれた桃山様式の唐門の代表的遺構。この寺は秀吉との関係が強く、多くの書状、や宝物が寄贈されています。慶長七年(1602年)には、その遺命により秀頼が豊国廟より観音堂や唐門などを移築させました。

Jmh_6228a

さらに石段を上ると見晴らしがよくなり、リオグランデ号が見えます。

Jmh_6236a

神亀元年(724年)に聖武天皇は、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ、というお告げを受けた。そこで、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが竹生島宝厳寺の始まりとされています。

Jmh_6245a

宝厳寺本堂(弁才天堂) 行基は、早速弁才天像を彫刻し、ご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しました。

Jmh_6252a

これは姫だるまのおみくじです。

Jmh_6256a

本堂前の竹生島流棒術発祥の地の碑。鎌倉時代初め、摂津出身の武将難波平治光閑は、竹生島弁才天に詣で、武運長久を祈り、ついに長刀(なぎなた)一流を夢想・会得したといわれている。流派は今も活動を続け、平成7年に流祖800年を記念してこの石碑をつくったそうです。

Jmh_6249a

本堂からさらに石段を上ると、江戸時代初期に焼失し、10年前350年ぶりに復元された三重塔があります。再建10周年を記念して、先日特別に内部の公開をしたそうです。

Jmh_6275a

出港時間が近づいてきたので、船着き場に戻ります。昔から琵琶湖観光の中心的存在の竹生島でしたが、その歴史は古く、ゆっくり落ち着いて見学するのもよいでしょう。この島めぐりの観光船もあります。

Dsm_9632a

このブログはランキングを励みに毎日作っています。
                両方クリックしていただくと、とっても嬉しいです。
-------------------------------------------------------------------
   是非よろしく→ 人気ブログランキングへ   こちらも是非 → にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

竹生島神社の本殿から、次の目的地の多景島が遠くに見えます。

Jmh_6188a 

|

« 銀杏並木 東大路通り 吉田寮 | トップページ | 2010 紅葉 清滝川 高山寺あたり »

 2 滋賀県 福井県 奈良県など近県」カテゴリの記事

コメント

いろんな思いが残っている竹生島で~す。(ノ_-。)

投稿: Tacchan | 2010年11月14日 (日) 10:24

♪瑠璃の花園 珊瑚の宮
古い伝えの竹生島…

いつか行ってみたいです。

沖の白石かぁ。こんなのがあると、本当に海みたいですね。そういえば、琵琶湖の底に栓があるって伝説がありませんでしたっけ。

去年、彦根城に行きましたが、天守閣から多景島が見えました。近いんですよね。黄砂と西日のおかげで竹生島までは見えなかったですが…。

投稿: わびすけ | 2010年11月14日 (日) 11:40

ここは結構大きい島ですなぁ
神社とかもしっかりしていて
ええですなぁ♪

投稿: munixyu | 2010年11月14日 (日) 12:01

★Taccha~n こんばんは♪
竹生島には昔何度か行った筈なのにスッカリ忘れていました。
良い想い出があるの~♪

投稿: りせ | 2010年11月14日 (日) 21:23

★わびすけさん こんばんは♪
琵琶湖周航の歌・・・三高ボート部遭難の悲しい歌なのですが、素晴らしいですね。
今、琵琶湖周航の歌を検索したら・・・遭難って一言も書かれていませんが・・・違ったのですね。私は大学時代、歌うたびに、何となく情景を想像して・・・泣きそうになったものですが。
沖の白石は綺麗です・・・♪見る角度によって違うから、面白いし不思議な光景でした。
琵琶湖の底に「栓」ですか・・・う~~ん、聞いたことがあるような、無いような・・・
彦根城も昔行きました・・・先日テレビでやってました。また行ってみたいです。
京都にいると海みたいな琵琶湖って良いですね。船旅は楽しいです。

投稿: りせ | 2010年11月14日 (日) 21:32

★munixyuさん こんばんは♪
階段が多くて・・・集合時間に間に合うように帰るのに大変。
大きな島でしたよ。

投稿: りせ | 2010年11月14日 (日) 21:38

コメント、又、遅れてしまいました(___) 姫だるまのおみくじ、可愛いらしい(^_-)-☆ 白いへびみたいなのが、かわらけっていうんでしょうか?琵琶湖って、たくさん、島があるんですね。びっくり(×o×) 岩の風景が雄大ですね。

投稿: ごま | 2010年11月14日 (日) 22:59

追伸です。

遭難、ではないですが、この歌の作詞者も作曲者も、お二人とも二十代で夭逝されているんですね。

実は今日、旧制三高の同窓会がありました。毎年うちのホテルをご利用いただいているのですが、会の最後は皆さんで肩を組んで、「琵琶湖周航の歌」の合唱です。
最高齢の方は百歳を超えていらっしゃるそうで。
歌を聴いていて、ほろりときてしまいました。

投稿: わびすけ | 2010年11月14日 (日) 23:05

★ごまさん こんばんは♪
毎日ごまさんが見てくださってると思い浮かべております。
お疲れだと思います。
コメントは無理しなくて、お休みしてくださいね。
姫だるまのおみくじは何度見たでしょうね。少しだけ模様が違うんですよ。
姫だるまのおみくじ、見たら可愛いから買ってます。そのまま持って帰って家に飾っています。
琵琶湖の島の数・・・いくつでしょうね。滋賀県人じゃないから分かりませんが。
沖の白石綺麗ですよ。

投稿: りせ | 2010年11月15日 (月) 02:19

★わびすけさん こんばんは♪
追伸有り難うございます。
寄寓というか・・・今日旧制三高の同窓会が・・・
昔テレビで年末に寮歌祭といって旧帝大とかの応援団のお祭りやってましたが、紋付袴に帽子を被って歌ってらっしゃるのを見たことがあります。
そうですか・・・100歳の方も・・・今日の日を毎年待ってらっしゃるのでしょうね。

遭難のこと・・・母から聞いたんでしょうね。

今、もう一度検索ワード「三高 ボート部 遭難」で調べたら分かりました。
遭難の歌は「「琵琶湖哀歌」、鎌倉七里ヶ浜での遭難の「富士の嶺」・・・そのあたりを母も混乱してたのかも。(そう思ってる方多いそうです)。私も今までそうだと信じていました。

投稿: りせ | 2010年11月15日 (月) 02:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 銀杏並木 東大路通り 吉田寮 | トップページ | 2010 紅葉 清滝川 高山寺あたり »