紫式部邸宅跡・廬山寺 桔梗の源氏の庭
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廬山寺 (ろざんじ) 紫式部の邸宅跡として知られ、本堂前の「源氏の庭」は白砂と苔の庭で、今の時期は桔梗が可憐です。蘆山寺 廬山寺
廬山寺は天台圓浄宗大本山で、正しくは廬山天台講寺といいます。
比叡山天台18世座主・元三大師良源(慈恵大師)によって、天慶年中(938年~947年)に船岡山の南に創建されました。
室町時代に応仁の乱で焼失後、元亀3年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちは正親町天皇の女房奉書により免れたが、豊臣秀吉の寺町建設によって天正年間(1573~1593)に現在地・紫式部邸宅跡に移りました。
当地は紫式部の曽祖父の権中納言藤原兼輔から叔父の為頼、父の為時へと伝えられた広い邸宅で、鴨川の西の堤防に接していたため「堤邸」と呼ばれ、兼輔は「堤中納言」の名で知られていました。蘆山寺 廬山寺 盧山寺 ろざんじ
紫式部は100年ほど前に兼輔が建てた「旧い家」で一生の大部分を過ごしたといわれ、藤原宜孝との結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ・大弐三位)を育て、長元4年(1031)59歳ほどで死去したといわれています。
紫式部は藤原香子と呼び、「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」などは、ほとんどこの地で執筆されたものです。
源氏庭
本堂前の庭園は一面の白砂に設けられた苔地のたおやかな曲線が優しい平庭の枯山水、源氏庭と呼ばれます。源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことで、紫式部に因み、紫の桔梗が6月から9月末まで花開きます。(以上説明:廬山寺HP、パンフより)。
「源氏物語」の花散里の屋敷はこのあたりであったろうといわれています。
桔梗がこっちを向いてくれているかと・・・午前中に行ったのですが・・・
ほとんどの花が向こうを向いていました。蘆山寺 廬山寺 盧山寺 ろざんじ
◆ 紅葉の「源氏の庭」は→こちらです。紅葉のお庭も良いもんですよ。
◆2006年にも桔梗の源氏庭を撮っています。→こちらです。
紫式部の邸宅址を記念する顕彰碑
天明の大火(1788・天明8)で失った堂宇は、皇室の援助で復興されました。
現在の御仏殿(本堂)と御黒戸(尊牌殿)は寛政6年(1794)、光格天皇が仙洞御所の一部を移築し、女院、閑院宮の御下賜でもって造営されたものです。
こちらは別のお庭。
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな (紫式部)
有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする (大弐三位)
裏手にまわると・・・御土居 (桃山時代・史跡)
秀吉が都の防衛のために掘った御土居堀の跡があります。こちらは都の東側で、北野天満宮には西側、鷹ガ峰には北西の堀跡が残っています。
「雲水の井」の井戸跡があります。謡曲「東北」にも出てくるそうです。
◆「・・・つれづれ編」の「京の名水 4」に載せています。→こちらです。
廬山寺 (ろざんじ) ◆場所はここです。 Tel 075-231-0355
住 所 :上京区寺町通広小路上ル1丁目北ノ辺町397
※写経が出来ます。
拝観料: 500円
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節分の日の3鬼さん(現在本堂は屋根瓦の葺き替えで工事中です)
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コメント
お花が向こうを向いていて
残念でしたね。
でも、綺麗です。
投稿: 金魚 | 2010年7月14日 (水) 11:24
桔梗?
いやぁーこの花
とぉおおおーっても綺麗ですよね
投稿: munixyu | 2010年7月14日 (水) 11:47
★金魚さん こんにちは♪
桔梗の花・・・もっと早く行かなきゃいけないのかしら?
離れて見るお庭だから、花の裏表は分からないから良いですが・・・。
投稿: りせ | 2010年7月14日 (水) 12:14
★munixyuさん こんにちは♪
とぉおおおーっても綺麗ですか・・・ヽ(´▽`)/
長く咲き続ける花ですね。
投稿: りせ | 2010年7月14日 (水) 12:16
こんばんは、りせさん。
源氏庭、きれいです。
曲線が美しいですね。
桔梗の花、楚々としていて好きです。
紫式部は藤原香子と呼ばれていたんですね。
知りませんでした。
この前行った建仁寺の禅居庵にも少しだけ桔梗が咲いていていました。
3鬼さん、ユーモラスです。
投稿: さらそーじゅ | 2010年7月14日 (水) 22:12
★さらそーじゅさん こんばんは♪
源氏庭・・・とっても珍しい感じでしょ。苔の曲線が綺麗ですね。
私はブログを作りながら、勉強している感じでなのですよ、今日も3つくらい賢くなりました。(o^-^o)
桔梗は長く咲くみたいですね。でも何となく弱弱しくて・・・この激しい雨に打たれて可哀そうです。
節分の3鬼さんだけ撮りに行きました。追儺式も見たかったのですが・・・またこんどです。
投稿: りせ | 2010年7月15日 (木) 03:45
なかなか個性的なお庭で(笑)。
枯山水に桔梗の立ち姿が面白いですね。
紫式部というのは『源氏』のヒロインの名前から付けられた通称で、藤式部(とうのしきぶ)というのが本来の呼び名であったようです。藤は藤原の藤。ちなみに清少納言の清は清原氏から。
ところで後世の京都では、紫式部が死後地獄に落ちたという伝承がまことしやかに流布していたようです。男女の愛欲の世界を描いた咎なんだそうですが、勝手な言い種ですよね。
で、その迷える魂を救ったとされるのが、エンマ様に仕えていたといわれる小野篁。時代は篁の方が本当は少し古いんですが。
現在何故かこの二人の墓(前に記事にされてましたっけ?)が隣同士だったり、篁ゆかりの千本えんま堂の境内に紫式部の供養塔が建っていたりするのは、そういう縁なのだそうです。
投稿: わびすけ | 2010年7月15日 (木) 20:47
★わびすけさん こんばんは♪
小野篁と紫式部の塚は、過去に行っています。
http://kyoto-albumwalking2.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_7168.html
何故2人の塚が並んであるのか不思議でした。・・・そういう云われがあったのですね。
投稿: りせ | 2010年7月15日 (木) 23:33