一休寺 4 虎丘庵と一休さん
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酬恩庵一休寺の4回目 「虎丘庵」です。虎丘庵は普段非公開です。
虎丘庵(こきゅうあん) (説明は酬恩庵一休寺HPより)
方丈庭園の背後、小高い位置にある小さな茶室。
かつて一休さんが森女さんとお住まいになっていたところです。
もとは京都東山のふもとにあったのですが、一休さんが74才の時に起こった応仁の乱(1467年~1477年)から避難する時に、ここに移築されました。
虎丘庵は、京都府指定文化財に指定されています。
虎丘扁額 宝物館にありました。
虎丘庵庭園
室町時代の代表的な禅院枯山水の庭園。村田珠光の作と伝えられています。
庭石と二個の手水鉢とを布置し、これに木斛、梅、椿などと刈込とを配しています。
中央
左に振ると・・・
虎丘庵は二畳の水屋と、六畳、三畳の小部屋だけの簡素なたたずまいの建物です。
水屋
三畳の小部屋
そして六畳の間。部屋の奥から額縁のように前庭が見えます。
左の窓から差し込む光が眩しいですね。
窓の向こうは御廟所(墓所) です。
文明7年(1475)、一休禅師が82才の時自ら建立せられたものです。
こうして自らの墓所をご覧になっていたのですね。
一休さんは後小松天皇を父として生まれました。なので御廟所は天皇家の造りです。
下の写真は再登場です。
一休禅師の頂相(禅僧の肖像画) HPの写真を使わせていただきます。(説明も)
一休の頂相(禅僧の肖像画)は割合に多いが、これはその中でも特にすぐれたもので、重要文化財に指定されています。
頂相からうかがえる、一休の人間像
右足を曲げて、左足のもも上に組んで座っています。
これは一種の「半跏坐」という姿勢であるのですが、それにしても一休さんのこの姿はちょっとお行儀の悪い姿勢だと言えます。
おそらくこれは、一休が形式ばった禅林の規則をさけ、常に親しみやすい姿で人々に接したことのあらわれ、と考えられています。かみそりをあてず、ざんばら髪で、無精ひげをのばした顔つきは、およそ貴族化した当時の禅僧とは縁遠い姿です。このような半跏像としての頂相は、一休の尊敬する師、華叟宗曇(かそうそうどん)の頂相(大徳寺・祥瑞寺)にも同じく見られます。
表面的な似顔絵ではなく、性格。精神をも表現したものです。
絵馬を近づいて撮るのを忘れていました。「一善一年」
ところで・・・一休寺納豆 御住職様の手作りです。(◆こちらのページをご覧ください)
2年ものというのをいただきました。とっても辛いのですが、甘い物の後にちょっと頂くととっても美味しいのです。お菓子も納豆も双方美味しくなる感じです。
御住職様 有難うございました。 写真がダメだったら即削除します。仰ってくださいね。
一休寺はもう1回いたします。
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