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2010年5月23日 (日)

出水の七不思議・華光寺と五却院 宴の松原

新しく来て下さった方は目次もご覧くださいね。

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※写真は全て拡大します。

出水の七不思議を次々紹介するといって・・・1回目から間を置き過ぎました。m(_ _)m

「出水の七不思議」には幾つか諸説あるようですが、
 ・光清寺の浮かれ猫(記事にしました) ・観音寺の泣く山門 ・地福寺の日限薬師 
 ・極楽寺の両袖の潜り戸、金谷水 ・玉蔵院の円山応挙の幽霊掛け軸
 華光寺の時雨の松、五色椿 五却院の寝釈迦 
今日は「華光寺」と「五却院」をお届けします。

その前に・・・西陣の出水通の周辺には、一番町から七番町という町名があります。これは、天正15年(1587)、豊臣秀吉が聚楽第を築くにあたって、大内裏址の内野の地に一番から七番の組屋敷を置いたことによるといわれています。場所はここです

TOPの写真・・・何が見えますか?? 五却院というお寺の門です。

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門の潜り戸の木目に「お釈迦様が横たわる姿」が見えますでしょ。頭は右です。 (⌒人⌒)

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つづいて・・・華光寺 「出水の七不思議」は『時雨の松』と『五色椿』です。

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華光寺  (出水の毘沙門さま) 日蓮宗
天正11年(1582)妙顕寺の12世日堯が隠居所として開創。豊臣秀吉が伏見城に安置していた毘沙門天像を寄進し、寺の守護神とした。江戸時代以降、この像が開運厄除けの神として信仰を集めた。像は平安後期の作と伝える。

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時雨の松
秀吉手植えの松という「時雨松」 晴れた日でも枝から雫を落としたと伝わりますが・・・

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鎌倉後期の代表作で戦時中の供出をまぬがれ府の文化財指定を受ける鐘の下に「時雨松」の枯れた幹が置かれていました。

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「五色椿」・・・五色の花を付けたといわれますが枯死しました。
「出水七不思議」の一つに数えられた2つの銘木とも枯死してしまいましたが、境内の庭園では子孫の松や七種の椿が名残を惜しみます。

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梅の時期に訪れました。

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椿の代わりに・・・梅の花を。

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ところで・・・このあたりは・・・
朝堂院の北東には内裏(天皇の住まい)があり、内裏の西には「宴の松原」(えんのまうばら)という空閑地が広がっていました。大内裏の諸殿舎は、火災や大風などでたびたび被害を受け、大内裏内外の諸官庁も平安時代後期頃から廃絶するものが増え、13世紀になるとほとんど殿舎を失い、大内裏の跡地はいつしか内野(うちの)と呼ばれる荒れ野になり妖怪などが登場する寂しい地に成っていったと言われてます。
また近世には五番町という遊廓も栄え、一大歓楽街となりました。

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「宴の松原」は・・・「えんの松原」または「うたげの松原」と言われたようで、恐いお話も残っているようです。

 あはれにも 今は限りと思いしを まためぐりあふ えんの松はら (栄花物語より)

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出水の七不思議はまた続きます。

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■散策1 平安京 聚楽第」カテゴリの記事

コメント

え~頭が右。 涅槃の図を思い起こせばええんやろか。

投稿: Tacchan | 2010年5月23日 (日) 08:27

こんにちは、りせさん。
五却院の木目、なんとなくそんな気が‥
五色椿、残念です。
梅の花はかわいいですね。

投稿: さらそーじゅ | 2010年5月23日 (日) 10:44

★Taccha~n こんにちは♪
そう・・・涅槃図は頭が左やけれど、右が頭。
頭は小さく、心臓のあたりに年輪の中心の○が。
衣の襞が綺麗に足もとに流れてる。
分かっていただいたかな?

投稿: りせ | 2010年5月23日 (日) 11:23

★さらそーじゅさん こんにちは♪
そういわれれば・・・見えて来ますでしょ。
お口が開いてるみたいに見えるのが可愛いです。
紅梅が綺麗に咲いていました。

投稿: りせ | 2010年5月23日 (日) 11:27

いやぁー七不思議とかあるのね
なんとなく怖いですなぁ

投稿: munixyu | 2010年5月23日 (日) 11:29

★munixyuさん こんにちは♪
古い歴史の地区にはいろんなことがあるようですね。
「宴の松原」には恐いお話があるようですが・・・!!(゚ロ゚屮)屮

投稿: りせ | 2010年5月23日 (日) 14:43

「五番町夕霧楼」て小説がありましたね。水上勉でしたか。ヒロインの名前を冠したお菓子は京都土産の定番か。いや、読んだことはないんですが…。
千本界隈もここ数年で大分様変わりしましたね。
何年か前にはいかにも昔遊廓でした風の二階建てが残っていたりしたんですが、いつの間にか取り壊されてデイサービスセンターに…。
中立売から一条通りにかけての商店街は昭和っぽい雰囲気があって、歩いていて愉しいですね。

投稿: わびすけ | 2010年5月23日 (日) 19:02

★わびすけさん こんばんは♪
「五番町夕霧楼」「五弁の椿」とか・・・悲しそ過ぎて怖くて読めません。
もしや・・・生八橋の「夕子」って・・・知らなかったです。そうなのですか。
五番町の方も少し撮って来たので、またしますね。遊廓でした風な建物も1つ見ました。古い看板がレトロでした。

投稿: りせ | 2010年5月23日 (日) 21:31

うゎ~。ほんとや解ったわ。ありがとう。(*^-^)

投稿: Tacchan | 2010年5月23日 (日) 21:34

寝釈迦さま。誰が最初にどなたが、「あ、お釈迦さんやがな」と、認識したのでしょうね。門の木目もきれいですね。

投稿: Zu-Simolin | 2010年5月23日 (日) 22:41

★Taccha~n こんばんは♪
1度分かったら、もう絶対分かるやろ。

投稿: りせ | 2010年5月23日 (日) 23:53

★Zu-Simolinさん こんばんは♪
そう言われなかったら分かりませんねぇ。
ホント、これをお釈迦様の寝姿に見えた人の想像力は凄いです。
門を潜る時は常に合掌ですね。 (⌒人⌒)

投稿: りせ | 2010年5月23日 (日) 23:57

七不思議があるのですね。

投稿: 金魚 | 2010年5月24日 (月) 16:19

★金魚さん こんばんは♪
はい、あるんです。

投稿: りせ | 2010年5月24日 (月) 22:44

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