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2010年3月15日 (月)

東福寺・塔頭 即宗院 1

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紅葉の頃に公開があると聞いていたのに、今年は「冬の旅」としての公開だったのでちょっと残念な感じです。

龍吟庵の東に隣接する通常非公開の寺院です。本坊の横を突き当って左に・・・

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偃月橋(えんげつきょう)が見えてきました。

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偃月橋は龍吟庵 即宗院に至る三ノ橋渓谷に架かる木造橋廊です。下流の通天橋・臥雲橋とともに東福寺三名橋と呼ばれています。

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右の階段の先が重森三玲氏の庭園で知られる龍吟庵です。

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臥雲山即宗院
薩摩藩 東福寺城の守護大名だった六代目島津氏久の菩提のため、南北朝元中4年(1387)、剛中玄柔和尚(東福寺第54世住持)を開基して建立したのが始まりとされています。院号は氏久の法名に由来します。

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山門は、江戸時代初期の慶長18年(1613)の遺構で左右に石造りの仁王像を配した貴重な建造物です。阿形(あぎょう) 仁王像については説明を拡大してくださいね。

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吽形(うぎょう)  2つとも高さは1m位だったと思います。

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月輪殿(つきのわどの)
平安時代後期、関白藤原忠通(近衛家)がこの地に御所の東御堂として建立し、その子兼実(九条家)は関白を辞して後、自身が別称「月輪殿」と呼ばれたこともあって、「月輪殿」と称して山荘にしました。本院はその跡地です。

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太平洋戦争で荒廃したが、昭和52年に復元され京都市史跡に指定されました。

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室町後期の庭園としては稀な公家寝殿造系で、鈎(かぎ)の手(心)になった池の地割り・瀧の位置など、その往時が偲ばれます。

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室内からの庭園を。 御本尊の前の庭園。

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先に進んで・・・

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今回は庭を歩くことは出来ませんでした。

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幕末維新の舞台ともなった即宗院。
篤姫が江戸輿入れの際立ち寄ったといわれ、薩摩藩士・西郷隆盛が清水寺の僧・月照と倒幕計画を密かに練った地でもあります。
裏山には西郷隆盛銘文の顕彰碑もあります。次回は裏山を紹介します。

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コメント

月輪殿
なかなかいい感じなところですなぁ

投稿: munixyu | 2010年3月15日 (月) 12:31

★munixyuさん こんばんは♪
遅くなりました。 (*_ _)人ゴメンナサイ
月輪殿・・・春夏秋冬ステキなお庭みたいですが、
いつも見れないのがちょっと残念です。

投稿: りせ | 2010年3月15日 (月) 18:44

龍吟庵、素敵でした。
こちらも、素敵ですね。

投稿: 金魚 | 2010年3月17日 (水) 14:49

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