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2010年3月17日 (水)

東福寺・塔頭 即宗院 2

新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。※写真は全て拡大します。

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今日は東福寺・塔頭 即宗院のつづきです。裏山の方に行きます。

即宗院は、南北朝時代、元中4年(1387)藩主島津氏久が島津家の菩提のため、東福寺第五十四世住持、剛中玄柔和尚を開基として東福寺山内南部に創建されたのが始まりで、その後、永禄12年(1569)に焼失したため、慶長18年(1613)この地に再建され、現在に至っています。

後ろを向いて撮ったりしていますので進行方向じゃないのもあります。
月輪殿の庭園を塀が囲んでいます。

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無造作(?)に燈篭が置かれています。

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道に沿って三ノ橋渓谷が流れています。ちょっと下を覗いてみます。木造橋廊の偃月橋が・・・向こうの屋根は東福寺方丈。

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塀沿いの道は山に向かいます。

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石臼などが並んでいます。

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境内奥地には明治維新の際、西郷隆盛と月照上人(清水寺の僧)が、幕軍の難を逃れつつ、井伊打倒の為に密議を行ったの茶室「採薪亭」(さいしんてい)の跡もあります。

説明の方がおられなく、立ち入り禁止もあったので、場所は分かりませんでした。

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江戸時代の土塀だそうです。下を除くと庭園が見えます。

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羅漢像が点在します。

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眼鏡の羅漢さん。

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西の空を静かに眺めてらっしゃるよう。

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西郷隆盛は慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦に際しては、当地に薩摩郡の屯営を構え、裏山山頂に砲列を敷き、淀より進む幕軍に向かって砲撃をくわえ勝利しました。

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倒幕後、隆盛は斎戒沐浴(身を清めて)して、鳥羽伏見の戦や戊辰の戦闘で戦死した524名の薩摩藩士の霊を供養するため、明治2年に「薩摩藩士東征戦亡の碑」を建立しました。石の鳥居もあり神として祀られています。

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西郷隆盛自筆の「薩摩藩士東征戦亡の碑」

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※説明は即宗院の栞を抜粋しました。いやはや、歴史に疎くて・・・勉強になります。

もっとお知りの方は補足をお願いいたします。

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月輪殿に沿った板塀の下に・・・・見付けました。牛。

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即宗院を後にして・・・

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次は泉涌寺の塔頭 雲龍院の紅梅を見に行きました。次回をお楽しみに。

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とっても素敵な牛・・・闘牛のような牛ですね。

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○ 4 東福寺・塔頭」カテゴリの記事

コメント

闘牛
なかなかええですなぁ

投稿: munixyu | 2010年3月17日 (水) 11:51

「討つもはた、討たるるもはた」


「東征の碑」、黒谷金戒光明寺とあわせて訪れると、感慨深いですね。


薩摩藩といえば、明治の頃、滋賀県知事や京都府知事を歴任した中井桜洲の墓がこちらに有るようです。案内の立て札は見たのですが、どうも立ち入り禁止の墓地の中に有るらしく、どの墓がそうかまでは判らなかったですが。
知名度は高くはないですが、ユニークな人であったようです。

投稿: わびすけ | 2010年3月17日 (水) 12:37

牛、立派ですね。

投稿: 金魚 | 2010年3月17日 (水) 14:38

ひっそりした佇まいで、観光客もあまり訪れないスポットみたい。朽ちかけて土塀、名もなき石仏などもあり、癒しの空間ですね。

投稿: なりひら | 2010年3月17日 (水) 15:53

土塀、牛、積もる枯葉。いい感じです。短い感想ですみません。

投稿: Zu-Simolin | 2010年3月17日 (水) 17:37

★munixyuさん こんばんは♪
木の塀の下が開いていて足だけ見えました。
カッコいい牛でしょ。

投稿: りせ | 2010年3月17日 (水) 18:42

★わびすけさん こんばんは♪
予備知識無しで行ってますから、「そうだったのかぁ~」の連続。
黒谷の金戒光明寺には会津藩の御墓がありますね。
平安時代の雅な庭園などを撮ってる時は、ほとんど観光客気分ですが、こういう近代史の場所に立つと今を創った歴史の地に居るんだ!って・・・不思議な感覚を持ちますね。
裏山も羅漢さんがポツポツ、これから増えるんじゃないでしょうか。整備もされて行きそうです。

投稿: りせ | 2010年3月17日 (水) 18:55

★金魚さん こんばんは♪
塀の下から撮りました。
「あんた目ざといなあ・・・」ってよく言われますが。
近眼のくせに目ざといんです。

投稿: りせ | 2010年3月17日 (水) 18:58

★なりひらさん こんばんは♪
ここは年1回公開されるか、されないか・・・通常見れないところです。
あの朽ちた土塀だけが歴史を語ってるのかも。

投稿: りせ | 2010年3月17日 (水) 19:04

★Zu-Simolinさん こんばんは♪
いえいえ・・・いつもコメント有り難うございます。
朽ちた土塀と西郷隆盛の東征の碑に通じる道がそれとなく古さと歴史を感じますが、月輪殿や周りは新しいので写真をご覧になっても感想はそれ程無いと思います。

投稿: りせ | 2010年3月17日 (水) 19:10

あの牛は日展に出された方が寄進されたそうです。
採薪亭に向かう途中にあった道標(右西国街道左京街道)はたんなる遊びです。両脇にあった漬け物石、石臼などもおっさんの遊び心です。ちなみに牛のあった土塀の下には「髑髏?」がありましたが、御覧になりましたか?

投稿: ねこまんま | 2010年3月21日 (日) 20:07

★ねこまんまさん 初めまして♪
管理人のりせと申します。お訪ねくださってコメントも・・・有り難うございます。(o^-^o)
漬け物石、石臼・・・ぎょうさん並んでました。嬉しかったので2-3枚撮っています。写真を1枚追加しておきました。
髑髏・・・気が付きませんでした。塀の周りの写真を全て調べましたが、どくろは写っていませんでした。残念です。
あの牛さん・・・そうなのですか。。迫力がありました。流石です。(牛の写真もたくさん撮ったので追加しておきました)
「馬穴杓子」って何ですか???・・・なんて馬鹿な質問をしました。( ´艸`)プププ そこにも遊び心の方がおられて、堅苦しさがほぐれました。
秋に公開があったらもう一度行きたいと思っています。その時は、忘れず探したいと思います。
いろいろ教えていただきまして有難うございます。これからもどうぞ宜しく。

投稿: りせ | 2010年3月21日 (日) 22:16

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