上品蓮台寺 (十二坊)
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桜が咲き始めた頃に訪れました。
上品蓮台寺を「じょうひん・・・」と駒札で調べたら出てこないわけです。「じょうぼん」と読むそうです。
駒札から次々辿って行きました。久しぶりにお寺のや土地の説明が多くなります。
上品蓮台寺 (じょうぼんれんだいじ) 通称名称: 十二坊 (じゅうにぼう)
蓮華金宝山九品三昧院と号する真言宗智山派の寺である。
寺伝によれば、当寺は、聖徳太子の創建と伝え、当初香隆寺と称したが、天徳4年(960)宇多法皇の勅願により、寛空僧正が再建し、寺号を上品蓮台寺と改めたといわれている。
当時は、広大な寺域に伽藍(がらん)が建ち並び壮大なものであったが、応仁の兵火により悉く焼失した。文禄年間(1592~96)性盛上人が復興し、当寺の外に十二の支院を建立したので、俗に十二坊の名で呼ばれるようになった。
しかし、現在支院は三院を残すのみである。
本堂には、村上天皇より賜った上品蓮台寺の勅額を掲げ、内部には、本尊延命地蔵菩薩像を安置している。
寺宝としては、著色絵因果経(国宝)、著色文殊菩薩画像、著色六地蔵画像(ともに重文)など、多くの文化財を蔵している。北区紫野十二坊町 ◆場所はここです。
紫野
北区南部の船岡山から大徳寺にかけての広い地域の名。平安初期には皇室、貴族の広大な狩猟場だった。蓮台野、北野、平野、上野などと並んで七野の一つに数えられる。大正7年(1918)京都市に編入。西陣織の家内工業が盛んな地域でもある。
七野 (しちの)
古くから京の北部(現在の北区)に広がる7ヶ所の野をいった。
内野、北野、平野、点野、紫野、蓮台野、上野の7ヶ所だが、うち現在も地名として残っているのは5ヶ所。
もともと七野という地名はないが、七野の神を集め祭った総社として、紫野の近くに櫟谷七野神社がある。
京都三大葬送地は・・・化野(嵯峨野化野) 鳥辺野(東山区の阿弥陀ケ峰の南麓)、そしてこのあたりの蓮台野です。◆化野念仏寺の千灯供養→こちらです。
上品蓮台寺は、蓮台野墓地の墓守として建立されました。上品蓮台寺の「上品」は、極楽浄土での位が高いことを意味しています。
上品蓮台寺の墓地には「源頼光朝臣」塚があります。
謡曲史跡保存会の説明板によると。
『源頼光は平安中期の武将で謡曲「土蜘蛛」には、その頼光が、原因不明の熱病で臥しているところへ、化身した土蜘蛛の精があらわれ襲ってきたので、頼光は銘刀膝丸で斬りつけた。血のあとをたどって、家来の渡辺綱ら四天王が追って行くと“北野のうしろ”に大きな塚があって、大きな山蜘蛛があらわれ、これを退治したことが、述べられているが、その塚が、ここにあったといわれ、一名「蜘蛛塚」ともいう。北野とは、この辺一体の禁野(しめの)の一つで、ちょうど、ここが北野のうしろに当る。もと千本鞍馬口西入にあったのを昭和初め、ここに移した。』
◆清凉寺で行われた嵯峨大念仏狂言「土蜘蛛」は→こちらです。
上品蓮台寺は紅枝垂桜が見事なところ、淡い枝垂桜が正面の1本のみ咲いていました。紅の枝垂桜はまだ蕾。来年は紅枝垂れの満開の頃に訪れたいと思います。
桜も時期をおくと新鮮に見えて・・・。桜たっぷりでお届けしました。明日も桜かも。
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