日野薬師 法界寺
暑いけれど・・・日差しはスッカリ秋になりました。
行く夏を惜しむかのようにセミが鳴いています。
法界寺 (ほうかいじ)
真言宗醍醐派別格本山。山号を東光山と称する。永承6年(1051)日野資業(ひのすけなり)の本願によって創建された。
本尊は薬師如来(秘仏)、開基は伝教大師最澄とされている。
醍醐寺の南方、宇治市との境界に近い、京都市伏見区日野に所在する。日野は、『方丈記』の著者である鴨長明の住んだ地であり、親鸞の生誕地としても知られる。
かつて山城国宇治郡日野と呼ばれたこの地は、日野家の領地であった。日野家は藤原北家の一族で、儒学や歌道をよくした家柄である。
法界寺 日野家の氏寺で、「日野薬師」あるいは「乳薬師」の別名で知られる薬師信仰の寺。国宝の阿弥陀堂と阿弥陀如来像を有することでも知られる。
代々日野家の一族門葉が資材をなげうって堂塔を整えたので荘厳美麗をきわめていたが、応仁の兵火にかかって焼失し、いまに残るものは本堂(重文)と阿弥陀堂(国宝)の二宇である。 左:阿弥陀堂 右:薬師堂
薬師堂(本堂) (重文)
康正2年(1455)の古建築で、重要文化財指定の本尊薬師如来像(伝・伝教大師作)と脇士日光月光十二神将(伝・運慶作)を安置する。この本尊に祈願すると、授乳の霊験があらたかであるという。
康正2年(1455)の古建築で、重要文化財指定の本尊薬師如来像(伝・伝教大師作)と脇士日光月光十二神将(伝・運慶作)を安置する。この本尊に祈願すると、授乳の霊験があらたかであるという。
薬師堂の格子には、「安産、子育」等の願い事が書かれた「よだれ掛け」が掛けられています。薬師如来が、胎内仏ということから、胎児をやどす婦人の姿として、安産、授乳、子授、子育のご利益があり信仰を集めています。
阿弥陀堂 (国宝)
永承年間(1046~1053)に建造され、国宝で定朝式の阿弥陀如来座像を安置している。
宇治平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様の阿弥陀如来(国宝)が安置されています。
長押上の漆喰の壁間には天人の壁画(重文)が描かれています。
法隆寺金堂壁画焼失後、日本最古のもので絵画史上貴重なものです。
絵葉書です。
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壁画47面 - 内陣長押上の小壁に描かれた23面(飛天図10面、楽器・仏具図5面、阿弥陀如来像8面)と、その上部の壁に描かれた宝相華文(ほうそうげもん)24面からなる。
板壁でなく土壁に描かれた壁画として日本における稀少な例の1つである。
四天柱4本-四天柱(仏壇周囲に立つ4本の柱を指す)にも、金剛界曼荼羅の諸仏や、十二天、迦陵頻伽などの絵画が残っているが、剥落・褪色が甚だしい。
本堂内の壁画はとっても素晴しいものでした。この日も学生グループが堂内の壁画を見に来ていました。(説明:駒札 Wikipedia)
法界寺
京都府京都市伏見区日野西大道町19
開門時間:9時~17時(10~3月は、9時~16時)
アクセス:京都市営地下鉄東西線 石田駅 徒歩20分
拝観料:500円
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コメント
かものながあきらさん、縁の地といえば、どうしても下鴨・糺の森を思い浮かべてしまいます。(そういえば、ダイジェストの貴船の思ひ川。御手洗川も「思川」と呼ばれたことがあるそうですね)
高校の古文の授業で鴨長明と糺の森の結びつきを話してもらっていれば、早くからながあきらさんには関心を寄せていたものを。・・・と己を省みずぶつぶつ言っているわけです。
法界寺の壁画。破損がはなはだしいですね。このままでいいんですかしら。絵が「崩壊」してしまいますがな。
世界遺産くらいにならないと、先立つものがなんともならないのでしょうかしら。あああ~っ┐(´-`)┌と。
投稿: Zu・Simolin | 2009年9月 3日 (木) 11:12
セミ
大阪にはもういませんわぁ
投稿: munixyu | 2009年9月 3日 (木) 11:57
★Zu・Simolinさん こんにちは♪
鴨長明さんの方丈の跡がこの辺りの山沿いにあるようですよ(矢印の石碑だけ見ました)
下鴨神社の河合神社の中に「貴布禰(きふね)神社」がありますが「黄色い船に乗った女の神様」がここから「貴船」に上ってらっしゃった事から名付けられたとか。
「貴船」は「黄色い船」からきているようです。
法界寺の壁画は良かったですよ・・・このままだと大変なことになります。歴史も古いから世界遺産に加えてもよさそう。それで保存がうまくいくかな?
投稿: りせ | 2009年9月 3日 (木) 12時10分
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★munixyuさん こんにちは♪
セミの声も少なくなりましたね。淋しいです。
投稿: りせ | 2009年9月 3日 (木) 12:11
壁画、素敵そそうですね。
行ってみたくなりました。
投稿: 金魚 | 2009年9月 3日 (木) 14:37
★金魚さん こんばんは♪
歴史あるお寺でめったに見れない貴重な絵画がを見れた!!。そんな感じです。
投稿: りせ | 2009年9月 3日 (木) 22:54
こんばんは。
法界寺、こちらも大きなお寺ですね。正直紹介していただくまで知りませんでした。僕が知らなくても世間的に有名なお寺なのかもしれませんが、ちょっと名前を聞いたことないようなお寺でも写真を見ると規模が大きいですね。京都にはこんなお寺が結構存在しますね。
しかも、国宝や重要文化財に指定されている建物や仏像があったり貴重な絵があったりで歴史も感じられて感心してしまいます。他の方もおっしゃるように壁画が後世の人達に伝わるといいですね。
投稿: たまちゃん | 2009年9月 4日 (金) 01:27
★たまちゃん こんにちは♪
ここは宇治、醍醐に近いから歴史ある土地柄です。
お寺の規模は大きくないです(小さくもないけれど)
本堂と阿弥陀堂と庫裏です。
ほとんど人は訪れない感じです。壁画は感動ものですよ。醍醐から足を伸ばされるといいですよ。
投稿: りせ | 2009年9月 4日 (金) 11:20
こんばんは。
初めて書き込ませていただきますが、こちらのサイトはいつも楽しみに拝見しております。
法界寺には何度か訪れたことがあります。
この地に寺を建立した日野氏という一族は良くも悪くも日本史に多大な影響を与えた人物を輩出しておりまして、有名なところでは親鸞上人、それと足利義政夫人日野富子といったところでしょうか。この二人が同じ一族の出身というのも歴史の皮肉、というか面白いところですが、彼らもおそらく礼拝したであろう同じ阿弥陀像を同じ建物の中で現在の我々が拝んでいると考えるとなんとも不思議な気分になりますね。平日の午後、阿弥陀様の前に座ってボンヤリしていると、背後の幼稚園から子供たちの喧騒が漏れ聞こえてきたりして、実に幸せな気分に浸ることができます。
ところで法界寺といえば、毎年1月14日、はだか踊りなるものが催されているのをご存知でしょうか。地域の男性がフンドシいっちょで阿弥陀堂(国宝)の縁に上がり、おしくらまんじゅうをするというもので、このとき使われたフンドシは安産のお守りになるのだそうです。
残念ながら、私はいまだ機会を得ずに見に行くことが出来ないでいるのですが。
長文にて大変失礼いたしました。
投稿: わびすけ | 2009年9月 5日 (土) 00:54
★わびすけさん 初めまして♪
いつも見てくださってて・・・有り難うございます。o(*^▽^*)o りせと申します。m(_ _)m
山科、醍醐には出かけてもこの辺りは初めてでした。でも帰りに地下鉄東西線や京阪の六地蔵に近かったりで便利な場所になってきてはいるのだなあと思いました。
阿弥陀堂の阿弥陀如来様と極彩色の壁画を前に・・・この狭い空間の中で同じようにかつての人が座ったのだと思うと、正にこの場所が、このお座布団の場所から阿弥陀如来様に手を合わされたのだと・・・不思議な感覚になりますね。
「はだか踊り」は駒札やWikipediaで知りましたが・・・かつて・・・ニュースで見たようにも。古い歴史あるお祭りですね。
お返事大変に遅れました。m(_ _)m また何か御座いましたら気軽にコメントをくださいませ。
投稿: りせ | 2009年9月 5日 (土) 19:15