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2009年8月23日 (日)

黄檗山 萬福寺 Wikipediaとコラボ

新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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いつもWikipediaを読みながら「フムフム、ちょっと賢くなったなあ」と思ってるのですが、萬福寺のWikipediaを見てみると、文字だけではさっぱり判らない。
写真が無いので解り辛い。。。Wikipediaに編集で写真を送るのはようしません。
・・・このブログで判り易くしなくちゃ。

なにぶん、記事にする時に初めてWikipediaを読むので「知ってりゃ撮っとくのに」というのが多くて残念なのが多いのですが。。。

万福寺  今日はWikipediaとあわせながらに致します。

伽藍配置に関する記述は長くて・・・なので拡大させて見てくださいね。日本の一般的な寺院建築とは異なり、中国の明時代末期頃の様式のようです。

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総門 - 寛文元年(1661)の建立。瓦屋根の中央部分を高く、左右の部分を低く、段差を設けているのは中国風で、日本の一般的な社寺建築には見かけない形式である。

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屋根上左右に乗る魚のようなものは鯱ではなく、摩伽羅という想像上の生物でヒレの代わりに足が生えている。マカラはサンスクリット及びパーリ語でワニを表す言葉で、東南アジアでは仏教寺院の入口などに用いられている。

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因みに京都にある臨済宗の大寺院は・・・
 ・妙心寺 ・南禅寺 ・東福寺 ・建仁寺 ・相国寺 ・天龍寺 ・大徳寺 ・萬福寺

三門 - 延宝6年(1678)の建立。三間三戸二重門である。

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「三間三戸」は門の正面柱間が3間で、3間すべてが通路になっているものを指す(日本の禅宗寺院の三門は一般的には「五間三戸」である)。

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天王殿 - 寛文8年(1668)の建立。一重入母屋造。本堂の手前にこのような堂を置くのは中国式の伽藍配置で、日本では珍しい。(三門の正面が天王殿)

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内部には「弥勒菩薩の化身」とされる「布袋像」を安置する。この像は日本で著名な半跏思惟形の弥勒菩薩像とは全く異なり、太鼓腹の布袋像として表わされている。

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 (布袋さんって弥勒菩薩の化身なの? 毎月8日は「ほていまつり」入山料無料)

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布袋像の背後に「韋駄天像」(いだてんぞう)を安置する。

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堂内 背中合わせに布袋像と韋駄天像が。

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他に堂内左右に四天王像、これらの像は来日していた明の仏師・范道生の作で、いずれも中国風の様式でつくられている。昨日の記事の「本堂」も見てください。

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斎堂 - 食堂であり、緊那羅王像を安置する。
斎堂前には開?(かいぱん、「ぱん」は木偏に邦)という巨大な木製の魚が吊り下げられている。これは叩いて食事や法要の時間を知らせるためのものであり、木魚の原型と言われている。開版、魚?、飯?などとも書く。 ◆(開梆)の由来は拡大してね。

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伽藍堂 - 関聖大帝菩薩(関羽)を安置する。 (関羽って三国志の?)

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松隠堂 - 三門をくぐった参道の左側(北側)の一郭。

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開山堂、舎利殿、客殿などの建物が建つ。
隠元が2世の木庵に住職を譲った後の隠居所として居住したところである。

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寛文3年(1663)、隠元に帰依するある夫人から屋敷を寄付され、萬福寺に移築して「松隠堂」と称したことに始まる。隠元の死後は開山塔院(墓所)となっている。
松隠堂は元は萬福寺とは独立した宗教法人であったが、昭和34年(1959)に宗教法人萬福寺と合併した。

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「卍字くずし」のデザインによる高欄。
下の写真(開山堂欄干)及びTOPの写真(法堂から大雄宝殿を望む)は「卍崩し」。

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初代隠元から第13代まで中国渡来僧が代々住持を占めた。
しかし、時が経つうちもに渡来する中国僧が少なくなり、第14代・第16代・第17代・第19代と第22代から第60代(2007年7月時点)まで和僧が住持となっている。

※以上がWikipediaに写真を加えました。
「・・・その1」の過去の記事も結構詳しく書いています。合わせて見てくださいね。

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他に「中国だ!」と思う雰囲気のものを。

三門をくぐって右手にある文華殿 (宝物館)のあたり。

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「萬寿院」とっても気に入ってる門です。

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時々思います(いえ、ほぼ毎日)。
「こんなに真面目腐ったブログを一生懸命に作っていて、私何をしてるんだろうか、何の得があるだろうか」・・・「今どき生真面目なんて流行らない」って。

でも昨日、夫がネットで見つけてくれました。
  知らない方がこのブログを誉めて紹介して下さってました。
時々「ここにもリンクされてる」と、見つけてくれます。(夫は絶対に誉めません)

温かい目で見てくださって、ブログで紹介して下さってる多くの方があることを心より感謝申し上げます。調子に乗って・・・続ける事が楽しみになりました。

ブログランキング応援クリックが、更新の励みになっています。宜しく。
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放生池横の「天真院」。左は普茶料理の銀杏庵です。

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コメント

Wikipediaってすごいよね

何でも載っているもん

投稿: munixyu | 2009年8月23日 (日) 11:40

★munixyuさん こんにちは♪
Wikipediaは便利ですね。
でも写真が少ないから分ったようで分らない。
特に細かい説明は、「百聞は一見にしかず」なので写真をどうぞ。

投稿: りせ | 2009年8月23日 (日) 12:34

こんばんは!こちらこそクリックするだけでしか、りせさんの努力に応えるしかなくて申し訳ないなと思っています。京都好きな人、京都旅行をする人たちには、有難いブログなのです。これからも頑張りすぎないで頑張ってくださいね。「韋駄天像」カッコよくて優しい顔立ちでいいですね。実物を見に行きたくなりました!

投稿: shimasi | 2009年8月23日 (日) 19:39

★shimasiさん こんばんは♪
いつもコメント有り難うございます。m(_ _)m
>こちらこそクリックするだけでしか・・・
いえいえそんなこと・・・有り難うございます。クリックしていただいている上にコメントも頂いてうれしいです。
京都知らずで始めたブログですが、このごろ観光の名所については詳しくなりましたよ。
最初はコピーするだけだった駒札やWikipediaも読むようになって自身の勉強にもなっています。
韋駄天像ってカッコイイんです。特にここのは大きくて金色で立派ですよ。

投稿: りせ | 2009年8月23日 (日) 21:46

本当に、外国っぽいですね。
写真付だと、説明も分かりやすいですよね。

投稿: 金魚 | 2009年8月24日 (月) 14:59

そんなことないよ。貴女なればこそ。
と、毎日私も思います。

友人たちに自慢したくてセッセッと宣伝してもん。
主語が抜ける私のコメントと会話につきあってもらって感謝です。

投稿: Tacchan | 2009年8月25日 (火) 12:05

★Taccha~n こんにちは♪
今日はお休みしとくね・・・私にしたら荒療治やね。
自分の身体も大切にしないと。もう若くはないのだし・・・このままだと何時コテンッと倒れるやら。自己責任やし。
この頃はランキングアップの為に相互の応援システムが流行ってるようで、トップはそういうブログが占めてるのも多いし。「記事の評価で応援のクリックを宜しく」・・・な~んて古くなった。
「頑張らなくても良いでしょう」にしました。。。このまま記事の更新を忘れそう。
宣伝有り難う・・・でも応援は・・イマイチ。

投稿: りせ | 2009年8月25日 (火) 13:01

とても素敵に紹介されていて、見やすかったです。
やはり写真があるといいですね^^

投稿: 名無し | 2010年9月20日 (月) 17:24

★名無しさん 初めまして♪
コメント有り難うございます。m(_ _)m
こんな記事を作ってたのですね。
今、私も見直してみて・・・写真があるとやっぱり良いなあ・・って。有難うございます。
これからもどうぞ見て下さいね。宜しく。

投稿: りせ | 2010年9月20日 (月) 18:06

★金魚さん ゴメンナサイm(_ _)m
今、気が付きました。
お返事忘れていたようで申し訳ございません。
Wikipedia、詳しくて重宝しますが、写真もあると嬉しいですね。
Wikipediaにまでは投稿出来ないし・・・

投稿: りせ | 2010年9月20日 (月) 18:10

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