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2008年9月12日 (金)

応仁の乱勃発地 上御霊神社 1

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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「その時歴史が動いた」”応仁の乱、天下を滅ぼす・・・終りなき戦いの連鎖”の再放送を見ていて・・・「もう一度撮りに行かねば」と思ってたことを思い出しました。
ここで撮り忘れてたのは・・・「応仁の乱勃発地」の石碑です。応仁の乱は管領畠山・斯波両家の家督争いと将軍足利義政の後継問題に端を発した戦乱で、文明11年(1477)まで11年間続き、京都を燃やし尽しました。

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「応仁の乱」は文正2年(1467)正月18日早朝、この付近、すなわち上御霊神社の森の合戦から始りました。17日深夜、畠山政長は自邸を焼いて一族や奈良の成身院光宣らと兵約二千を率いてここに布陣した。翌18日早朝、政長と畠山家の家督を激しく争っている義就(よしなり)が兵三千余で攻撃をしかけ、18日は終日激しい戦闘が続いた。義就方には朝倉孝景、ついで山名宗全が加勢した。
しかし政長方にはたのみの細川勝元がこの段階では動かず、まる1日の合戦ののち、政長方が敗退した。これが、応仁の乱の最初の合戦である。
3月、年号は応仁と改まり、細川、山名両陣営ともに味方を集めて戦時体制をかため、5月から上京を中心に、東西両軍の全面的な戦闘にはいる。↓これが石碑です。

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御所の南に「下御霊神社」があるので、通称名「上御霊神社」といわれていますが、正式名称は「御霊神社」 (ごりょうじんじゃ)です。↓南門です。伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられています。

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上御霊神社 (かみごりょうじんじゃ) 正式名称「御霊神社」 場所はここです
この地には、はじめ付近住民の氏寺として創建された上出雲寺があったが、延暦13年(794)平安京奠都に際し、桓武天皇の勅願により王城守護の神として、奈良時代・平安時代初期に不運のうちに薨(こう)じた八柱の神霊を祀ったのが当社の初めである。

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のち明治天皇の御願により祭神五柱が増祀され、平安時代には御霊信仰(天変地異や疫病流行は怨霊のたたりであるとする信仰)が盛んで、この怨霊をなだめ祀るための御霊会が数々行なわれたが、当社は古来疫病除の霊社として有名である。

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このため創建以来朝野の信仰あつく、とくに御所の守護神として皇室の尊信が深い。本殿は享保18年に下賜された賢所(かしこどころ)御殿の遺構を復元したものであり、また当社には神輿・牛車等皇室の御寄附品多数を蔵する。

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実はもう一つ撮り忘れていたのが、、、「絵馬堂の中」なのです。最近カテゴリーで「絵馬堂」を作ったのでこの日撮って来ました。

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なので上御霊神社はもう2度記事にしますので、今日は境内を少しだけにしました。

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この日撮った②絵馬堂はこちらです。 ③静かな境内はこちらです

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以前の記事は→こちらです。 (説明文は駒札より)

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折角撮りに行ったのでもう1枚。

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 2 寺町通り (出町から北)」カテゴリの記事

コメント

ここ行ったことあります! いえ、通ったことあります。
相国寺あたりを駅を探してうろうろした時に(笑)出会い
娘と由緒正しそうな神社だからお参りして行こうと
名前も由来も確認せずお参りしてきましたよ。
神宿る伊勢神宮のような雰囲気でした
りせさんの写真とブログで再会できました!
「かみごりょうじんじゃ」というお名前も判明。。。
ありがとうございます。

投稿: 月の夢 | 2008年9月12日 (金) 10:59

ここで
はじまったんだあ

すんげぇー

投稿: munixyu | 2008年9月12日 (金) 11:45

★月の夢さん こんにちは♪
京都には何気無く通り過ぎてしまう意外な所が歴史上の重大な場所だったりしますね。
私も以前の記事を作っていた時に知って驚きました。今回はじっくり隅々まで眺めてきました。

投稿: りせ | 2008年9月12日 (金) 12:25

★munixyuさん こんにちは♪
ここから些細な戦いが始って京都中に拡大、、、11年も続いて京都を燃やし尽くしたのですね。

投稿: りせ | 2008年9月12日 (金) 12:28

りせさん こんばんは 懐かしい上御霊神社の記事でとても嬉しいです。
前にもコメントしましたが、30数年前にこのすぐ隣にあった予備校(関文理)に2年間(笑)通ってたときの、私たち(予備校生)の憩いの場でした。静かな落ち着いた神社で、本を読んだり、仲間と語り合ったりした忘れられない場所です。
昔とまったく変わっていないようですね。いつか、また訪れてみたいです。

投稿: iwanacreek | 2008年9月12日 (金) 20:00

★iwanacreekさん こんばんは♪
この日は関西文理の後ろから来ました。学生さんの姿は見ましたよ。直ぐ近くですね。
絵馬堂の中が真夏でも涼しい影があってこの辺りの人の憩いの場所だと思いました。前来た時は読書してた人がいました。この日もおじいさんがノンビリ座ってらっしゃいました。
いつもの日課のように本殿で拝んで帰られる人、京都の神社は地元の人々の守り神。
5月のお祭りも盛大で良かった。御霊神社は昔のままで迎えてくれると思います。

投稿: りせ | 2008年9月12日 (金) 20:58

今晩は!7月に行きました。落ち着いた神社ですね。囀り市というフリマをやっていて、焼き菓子やクッキーをかいました。門前で売っている水田玉雲堂の唐板をお土産に買いました。優しい甘さで美味しかったです。また、買いに行かなくては!!

投稿: shimasi | 2008年9月12日 (金) 22:17

★shimasiさん こんばんは♪
毎月18日が「さえずり市」ですね。1度行かなくては~~と思っています。
唐板・・・美味しかったですか~♪ 次は私も買って帰ります。

投稿: りせ | 2008年9月12日 (金) 23:01

りせさん、おはようございます。
この頃りせさんのブログの中を、マイペースでそぞろ歩きしています。楽しいです。

学生時代、上御霊神社の近くに下宿があり、今でも京都を訪れる時、地下鉄鞍馬口で一旦降りてあたりを確かめます。
しばらくぶりに、出かけてもほとんど変わってなくて、ほっとしてしまう私です。 
下宿の建物もそのままでした。
神社の前に銭湯があり、春夏秋冬通いました。

私の中の京都は帰郷してからずっと封印されてましたが、子供の進学とりせさんのこのブログのおかげで、ぐっと引き寄せられました。
ありがとう。 

投稿: なごり雪 | 2009年2月10日 (火) 08:51

★なごり雪さん こんばんは♪
遅くなりましたm(_ _)m
京都をいろいろ楽しんでもらってますか・・・ヽ(´▽`)/
そういう私も自分で見てるんですよ。。。写真が下手だとか、歪んでるとか、こんな事書いてるとか(^。^;)ヒヤヒヤのもありますが。なかなか良いなあ~なんて思いなががら。。。
上御霊神社の絵馬堂で読書している人も見かけます。さえずり市という手作り市もあるそうですよ。
お風呂屋さんは今も在るのだろうか??

投稿: りせ | 2009年2月10日 (火) 21:41

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