小野小町に「百夜通い」 欣浄寺
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深草少将はここから小野小町の元へ百夜通いしました。
深草少将・・・室町時代に世阿弥ら能作者が創作した、小野小町にまつわる「百夜通い」の伝説に登場する人物。実在の人物ではありませんが、その邸宅跡が墨染の「欣浄寺」だといわれ、小町の邸宅跡が山科小野の「随心院」と伝えられています。
山科の地に住む小野小町に恋こがれた深草少将に・・・小町は・・・「100日間私のもとに毎晩通ってくだされば、あなたの想いを受け入れましょう」と約束。
少将は99日間通い、明日が100日という最後の晩が大雪。雪に埋まり凍死したと言われています。
「通ふ深草 百夜の情 小町恋しの 涙の水が 今も湧きます 欣浄寺」
少将遺愛の『墨染の井戸』と、訪れた小町が姿を映した『姿見の池』があります。
池の横には「少将の通い道」とよばれるものがあり、訴訟を持っている者がここを通ると叶わないと言われます。
◆ 深草少将が通ったかな・・・と思わせる道がこの辺りじゃないかと・・・伏見稲荷大社のお山の中にある神寶神社に「竹の下道」ってあるのですよ。→こちらです。
小野小町供養塔と並んで深草少将供養塔がある。また、随心院(京都市山科区)には、深草少将等が書いた手紙を埋めたとされる「文塚」等があります。
欣浄寺 (ごんじょうじ) 山号 清凉山 曹洞宗 場所はこの辺りです。
寺伝によれば寛喜2年(1230)から天福元年(1233)まで道元禅師がこの地で教化に努め、当寺を創建したといわれている。当初、真言宗であったが応仁の乱(1467)後曹洞宗となり、天正・文禄(1573~92)の頃、僧告厭(こくえん)が中興し浄土宗に改められ、さらに文化年間(1804~18)にもとの曹洞宗に改宗した。
本堂には俗に「伏見の大仏」と呼ばれる丈六の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)をはじめ、阿弥陀如来像、道元禅師石像などを安置している。(説明は駒札、Wikipedia)
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コメント
100日も!
なんとかわいそうに
投稿: munixyu | 2008年9月 9日 (火) 11:32
★munixyuさん こんにちは♪
そうですよね~~100日は長すぎる、99日でOKにしてあげればよかったのにねえ。
投稿: りせ | 2008年9月 9日 (火) 18:32
99日か・・・・哀れですね。
小野小町、当時は絶世の美人だったんでしょ・・・・
通うだけで「結婚」してもらえるなら・・・・
Tomなら200夜は通うなぁ!!
ε==ε==(ノ ̄ー ̄)ツ
欣浄寺は初めて聞きますね。
投稿: good_tom | 2008年9月 9日 (火) 20:51
★good_tomさん こんばんは♪
お芝居なのでしょうけれど・・・罪ですね。嫌いだから100日って言ったのでしょうかしら?・・・私が少将だったら「いち抜けた~」で、お断りします。試されるのなら悔しいじゃないですか。絶世の美女には弱いのかなあ??
欣浄寺は全く新しいコンクリート造り。池と井戸のある庭は雰囲気を残しておられるようです。
投稿: りせ | 2008年9月10日 (水) 01:50