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2008年7月 5日 (土)

高瀬川と木屋町通り

新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。 ※写真は全て拡大します。

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木屋町通り
角倉了以による高瀬川の開削に伴い開通。通り名は高瀬川で搬入する木材、薪炭を商う店が多かったためで、初めは樵木町通と呼んだ。
江戸期から生洲、貸座敷などが並ぶ遊興の地となり、現代に至る。道幅は狭かったが、明治28年(1895)の電気軌道敷設で拡幅。

今日は四条を下がった辺りから御池通りまで北上、高瀬川沿いの木屋町通りを「そぞろ歩き」です。う~~ん、「そぞろ歩き」ってなかなか良い響き。
出発は古くからある「フランソア喫茶室」です。◆記事はこちらです。

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高瀬川は春は桜、今頃は水辺の紫陽花が美しいところです。

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高瀬川
中京区木屋町通二条下ル付近から鴨川を分流し、鴨川と平行に南流し伏見区から宇治川に入る人工川。全長10キロ、幅7メートル。角倉了以(すみのくらりょうい、1554~1614)とその子素庵(1571~1632)が慶長19年(1614)に開いた運河です。
京都―伏見間の物資を輸送する舟運を盛んにしました。
高瀬川という名前は、輸送に高瀬舟とよばれる平底の舟が用いられたために付けられた名で「角倉川」ともいわれています。
高瀬舟は基本的には物資を運搬ですが、島流しの罪人や、稲荷の初午詣での人々も運びました。森鴎外の『高瀬舟』には、罪人を輸送する高瀬舟での会話が叙述されています。

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角倉了以 (すみのくらりょうい)
安土桃山・江戸初期の豪商。角倉船で安南国と海外貿易。河川開発では富士川、天竜川の疏通事業を手がけ、京都では大堰川、鴨川を開き、高瀬川を開削。
右に角倉了以像と高瀬舟があります。

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「木屋町通り」と「河原町通りを結ぶ細い道(何本もあります)」は京都屈指の遊興街です。学校の統廃合が進み、この辺りの小・中学校も廃止されたようです。その為に学校周辺200m以内は歓楽店が禁止されていたのですが、歯止めが無くなり環境が悪化。

それを憂いて解決策として、廃止された小学校を「課外授業」「放課後のクラブ活動等に利用」する事によって「学校は存続している」と対抗している・・・(4-5年前のニュースの記憶ですので大体のことが分っていただければ・・・)

「高倉小学校第二教育施設」という表札が掲げられているのは、そういう事だと思うのですが・・・

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興味のある方は「高瀬川の説明板」と「高瀬川・生洲」を拡大してください。

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◆カテゴリーは3 祇園 四条 円山 木屋町 白川 高瀬川 先斗町

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三条に来ました。豊臣秀次の菩提を弔うために建立された瑞泉寺。記事→こちら

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三条小橋北側にある石碑です。ここ木屋町通りには維新の志士たちにまつわる石碑がたくさんあります。まとめていつか記事にいたします。

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新しいお店・・・

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古くからのお店・・・

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つづいて、木屋町を二条まで北上し「一之舩入」まで歩きます。

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キル・フェ・ボン  人気のケーキ店。 席に着くまでいつも長く待ちます。

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■散策2 三条 四条 木屋町 新京極」カテゴリの記事

コメント

京都の水の風景。撮影に行きたいと思うと仕事が忙しかったり、やっと落ち着いたかと思うと体調をくずしたり…ほんまに夏に京都へ行こうと思うと、なかなか根性が要ります。この調子では今年もしんどいかなー。

一度も飲んだことないんですが、木屋町や高瀬川沿いは大好き。
あ。昔はなんどか『みゅーず』行ったんですけどねえ。あの埃臭いワックスのニオイの床が大好きでしたよ。
はじめて高瀬川の名前を耳にしたのは、渚ゆうこの『京都慕情』って歌謡曲でした。
たぶんデューク・エイセスの『女ひとり』が売れたのと同じ頃だったのかしら。当時は京都を歌ったものが多かったのかなあ…さすがにワタシも幼かったんですが、今もドーナツ盤が残っています。
ひそかに自分のi-Tuneに京都特集を組んでるんですが、古いのが多いから、なかなか集まらないのですよねー。

投稿: よろ川長TOM | 2008年7月 5日 (土) 01:26

★よろ川長TOMさん お早うございます♪
いくつお名前をお持ちでしょうか・・・今i-Tuneに少しお邪魔しましたが・・・今日はは早よから「蓮を見に出かけ・・・夜も遅い帰宅の計画で出かけます」(帰ってからゆっくり伺います)・・ようやるでしょ! 登山の根性でやってます。。。「ヘトヘトになっても翌日はスッキリ」というやつです。よろづ屋TOMさんも根性で跳ね飛ばしてください(私、見た目はひ弱そうなのですよ)
TOMさん、残念なお知らせです・・・『みゅーず』無くなりました。つい最近です。全く違ったものが建ちました。あそこは「名曲喫茶」でしたね。
渚ゆうこさん、京都特集が多かったですね。良い歌ばかりでした。
もう、梅雨が明けそう・・・今日はカンカン照りです。

投稿: りせ | 2008年7月 5日 (土) 08:34

おはようございます!木屋町も緑が多くていいですね。川を眺めながらお茶でもしたいです。角倉了以さん、河川開発では富士川、天竜川の疏通事業を手がけたそうで、静岡ともご縁がある方なのですね。ついでに、ケーキ屋さんのキル・フェ・ボンは静岡生まれのケーキ屋さんなのです。東京にも出店していて人気があるみたいです。地元の者としてはちょっとうれしいですね。静岡も昨日は蒸し暑かった!

投稿: shimasi | 2008年7月 5日 (土) 10:26

初めまして。京都は近いので良く行きます。景観の素晴らしい所も段々悪くなってますね。世の中真実を見て!
京都の悪い所も見て真実を書きます。又遊びに来てね。

投稿: サスケ | 2008年7月 5日 (土) 11:18

また
感じのちがう
ところですなぁ

投稿: munixyu | 2008年7月 5日 (土) 11:26

★shimasiさん こんばんは♪
角倉了以さん・・・全く京都の事だけをされていた方なのかと思ってました。静岡の方も。。。河川事業に大いに係わった方なのですね。・・・今頃勉強になるわあ~♪
「キル・フェ・ボン」・・・いつもスゴイ人気です。静岡から出来たお店でしたか。どうりでオシャレです。
そちらも蒸し暑かったですか。。こっちもムシムシでカンカン照りもいいところでした。

投稿: りせ | 2008年7月 6日 (日) 00:08

★サスケさん 初めまして♪
コメント有り難うございます。
京都にはよく来られますか?? 河原町通もスッカリ変わった気がするし、木屋町から祇園あたりも暫く行かなかったら「エッ!!」ってお店が出来てます。
京都の悪い所・・・おもしろそうですね。お伺いします。コメント残さず読み逃げでも怒らないでくださいね。

投稿: りせ | 2008年7月 6日 (日) 00:20

★munixyuさん こんばんは♪
京都は古都だけじゃなく何でもあるでしょ。
昼の顔も、夜の顔も。

投稿: りせ | 2008年7月 6日 (日) 00:23

失礼しました (=ω=;) 映画ブログ用の名前がブラウザーのキャッシュに残ったまま投稿してしまいましたか…
熱でぼーっとしてたとはいえ、お恥ずかしい限りです。えー、名前はいくつかありますよ〜〜。目的別に。
よろしければ映画のブログにもおいでください…といっても、りせさん映画観るヒマなんかなさそーですもんねー。(´_`)

みゅーずのことは閉店直前にどこかで耳にしたんですが、もう一度訪れることないままでした。
昔、あの二階でふと頭を抱えながら一所懸命に原稿用紙に向かってる男性を見かけて、何者かしらと見ると、かたわらに『必殺仕事人』って書かれた書き込みだらけのわら半紙の本を何冊も見つけて「わあ、この人、必殺の脚本家なんや!!さすが京都やなあ」って感心したことを今もありありと思い出します。

投稿: よろづ屋TOM | 2008年7月 6日 (日) 02:04

★よろづ屋TOMさん こんばんは♪
映画大好きだったのですが、ブログやり出してから見なくなりました。何でだろう・・・興味が変わった事もあるけど。
HN、今更全く違うのにも変えれないし「りせ」と「rise」にしていますが、TOMさんみたいに少し変えるのも良いですね。「ナニりせ」にしようか。
「みゅーず」・・・細い所でしたね。クラシック聴きながら必殺の脚本ですか。ミスマッチが良いですね。

投稿: りせ | 2008年7月 6日 (日) 03:48

こんにちは。じめじめと湿気がまとわりつき憂鬱です。
梅雨明けが待ち遠しいですが、貴女のアルバムで気分を変えましょう。
三条小橋の北西側の角に小さな旅館『くぎぬき』。
大きな釘抜きが看板のように川に面して下がっていました。幼い頃、ウソをつくと『あの釘抜きで舌を抜きますよ』と戒められことを思い出します。
南西角は安藤忠雄デザインのビル(旧旅館)。『くぎぬき』もハイカラな店に様変わり。
高瀬川の流れとともに絶えることなく街も風景も変わっていくのですね。

投稿: Tacchan | 2008年7月 7日 (月) 14:29

★Tacchanさん こんばんは♪
明日はまた雨らしいですね。
ちょうど三条小橋の西の北・南の写真を入れてました。随分変わりましたね。双方とも未だ入ったことが無いのですよ。
そういえば、そういう旅館があったような・・・新しくなったら以前が何だったかスッカリ忘れてます。それも淋しいですね。

投稿: りせ | 2008年7月 7日 (月) 22:09

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