雪の大原・寂光院
ライブカメラで積雪は確認していたけれど、大原に向かう京都バスの車窓にはいつまでたっても雪が無い。「溶けたのだろうか」・・・「あ~雪があった」と安堵したのは、終点「大原」の少し手前あたりから。バスを降りると、山側は呂川沿いに土産物屋の続く三千院、宝泉院へのコース。畑に向かう道は「寂光院」への道。乗客10人ほど、私以外は全員三千院の方へ向かわれた。
寂光院の説明は夏に訪れた時の記事に書いていますので見てくださいね。
夏の記事です。 紅葉の記事はこちらです。あとは桜ですね。
建礼門院ゆかりの「朧(おぼろ)の清水」
ここまでも、たった一人、中にいる間もたった一人でした。
歩く道の雪かき、有り難うございます。
徐々に、徐々に。
寂光院 天台宗の尼寺 山号 清香山(せいこうざん)、寺号は玉泉寺。
推古2年(594)に、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立したと伝えられる。初代住職は、聖徳太子の御乳人であった玉照姫で、その後、代々貴族の姫君らが法燈を伝えてきた。
文治元年(1185)9月、平清盛の息女、高倉天皇の皇后である建礼門院徳子が、壇ノ浦で滅亡した平家一門と子・安徳天皇の菩提を弔うため出家、入寺し、終生をこの寺で過ごした。それ以来、御閑居(ごかんきょ)御所、また、高倉大原宮とも称されている。翌文治2年(1186)、後白河法皇が御幸したことは、平家物語や謡曲で有名な大原御幸として知られている。
旧本堂は、内陣及び柱が飛鳥様式、藤原時代及び平家物語当時の様式、また外陣は桃山様式で、慶長8年(1603)に豊臣秀頼が修理したという歴史的に貴重なものであったが、平成12年(2000)5月9日の火災(放火)により全焼し、その姿は永遠に惜しまれるものとなった。ともに焼損した聖徳太子の作と伝えられる旧本尊・六万体地蔵尊は重要文化財の指定が継続されているが、損傷が甚だしいため、収蔵庫に安置されている。現在の本堂及び本尊は平成17年(2005)6月に焼損前のものを基に忠実に復元されたものである (駒札より)
「建礼門院」といえば円山公園の「長楽寺」です。記事はこちらです。
滝の横に仏様がおられるのを初めて知りました。
いっぱいいた鯉はどこにいるのでしょうね。
また、突然ですが
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放火で焼けた御神木の千年姫小松が痛々しいです。
茶室、孤雲亭
雪の大原はまだ続きます。
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