光雲寺 菊と葵
哲学の道沿いの若王寺に近い所から西側下に大きなお寺があります。「南禅寺禅センター」と表札が掲げられていますがいつもは公開されていません。
10月6、7、8の3日間だけ見せていただく事が出来ました。
光雲寺 霊芝山と号し、臨済宗南禅寺派。東福門院の菩提寺です。
今からおよそ720年前、臨済宗大本山南禅寺の開山大明国師が出世道場として摂津難波に建立されたお寺ですが、その後衰退して江戸時代には寺の跡地も判らなくなっていましたが、1664年(寛文4)この地に復興されました。
その後ろ盾となったのが東福門院(1607-78)でした。徳川第二代将軍・秀忠の姫君として誕生され、後水尾天皇に入内されたので「菊と葵」を結ばれた方です。
仏教に深く帰依され、京都の寺院の復興につくされた方で、この「光雲寺」を菩提寺とされたので、お寺は江戸時代を通じて手厚い庇護を受け数多くの禅僧が研鑽を積まれたそうです。
本尊は、東福門院の釈迦如来と観音菩薩を賜って安置、本堂にはその本尊のほか左右に阿難(あなん)、迦葉(かしょう)の二尊者と東福門院の坐像を安置する。歴代皇室の尊崇あつく、元久邇(くにの)宮家の菩提所となっている。もと境内は広大であったが、火災に遭い、また明治の初めの変革により縮小された。↓東福門院坐像。
紫式部邸宅跡の「盧山寺」にも玄関に
”花車”がありました。こちらにもありました。
「盧山寺」の記事はこちらです。
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本堂及び方丈に入らせていただきます。
書院南の庭園は、昭和の初め造園家小川治兵衛が作庭したもので、疏水の水を引き、背景の山を借景とした池泉廻遊式の名園となった。
アオサギが来ていました。見えますか?
小さな池ですが四季の草木が取り囲んでいました。
朝鮮伝来の碼碯(めのう)の手洗鉢(↓)が庭の東北隅にあって有名である。寺の背後には後水尾天皇々女顕子内親王の墓、門前北には久邇宮家の墓がある。
お寺を後にします。(説明は駒札といただいたパンフレットより)
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