総見院 大徳寺・塔頭
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総見院 (そうけんいん) 大徳寺 塔頭
本能寺の変での明智光秀の謀反により、49歳の生涯を閉じた織田信長公の菩提寺である。豊臣秀吉が信長公の一周忌の追善のために建立したもので、創建は天正11年(1583)、開祖は古渓宗陳和尚は安土・桃山時代の名僧、千利休の師にあたる。
創建以来、6月2日の信長公年忌には一山総出で盛大な法要が営まれる。
「御寺いかめしうつくりけりみがき御封あまたよせられる、そうけんゐんというめり」
と古文書に記されるように、創建当初は寺勢大いに隆盛し、広大な境内に豪壮な堂塔が立ち並んでいたという。
明治初年の廃仏毀釈により堂塔伽藍や多くの宝物が灰燼と化すが、大正年間に復興し昭和36年(1961)には本山に安置されていた「信長公座像」を再び迎え、380年忌を盛大に営んだ。本堂内の高さ115cmの「織田信長公座像」も特別公開されています。
普段は非公開のお寺ですが、12月6日まで特別公開中。写真は2004年の秋の特別公開の時のものです。3年前だと記憶があやふや。撮り直しに特別拝観料を払うのもナンダシ・・・。それにしても、当時の写真は構図がなってない!。
鐘 鐘楼 (重文)
銅鐘織田信長の一周忌に家臣の堀久太郎秀政が寄進したものといわれ、古渓宗陳撰文の天正十一年(1583)の銘がある。
正門、土塀は 創建当時そのままの姿で現存。土塀は「親子塀」といわれ、内部に塀がもう一つ設けられた二重構造になっている。
境内には秀吉遺愛とつたえる「侘助(わびすけ)椿」が。木が3本に分れ、紅白の花を咲かせるお茶の花。樹齢400年の日本最古の胡蝶侘助とされる。
信長公をはじめ信忠、信雄、徳姫(信長の息女)、濃姫(同側室)、おなべの方(同側室)など一族七基の五輪石塔や墓が並ぶ。なお境内西南隅には、近衛信尋より忠房に至る近衛家一族の墓もある・・・のですが、この時は お墓にカメラを向けれなくて、影だけです。可愛い猫ちゃん・・・何除けの置物なのでしょうか?
説明はパンフより・・・辛うじて残っていて良かった。
総見院には茶室が三席並んでいる。
総見院と茶の湯とは深い関わりがあり、秀吉が開いた「大徳寺大茶会」では、総見院方丈で秀吉が茶を点てたとの記述がある。
※17日の「桓武天皇陵・桃山丘陵」の写真「伏見桃山城」の雰囲気が変わったなあ~と思ってましたが、、、、判りました・・・↓を記事中に入れておきました。
◆時代劇映画の撮影のため、大坂城に見立てて進めていたお色直し作業が完了した。映画「茶々 天涯の貴妃(おんな)」(12月22日公開)。望楼の下にトラの装飾を施し、しゃちほこは金色に塗り替えた。改修費の約1億円を東映が負担、近日中に撮影を始める。。。。。(京都新聞電子版2007.10.23) 続きは記事で。
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コメント
りせさん、こんばんは♪
こちらのお寺は、冬に大徳寺界隈を歩いていた時に、お餅をいただきまして・・・
拝観はできないけれど、せっかく寒い中来てくれたのだから・・・と門の外からでしたが、写真を撮らせてくれ、お土産にと^^;
多分、外国人の方がそばにいたから・・・ではないでしょうか?
その後、大仙院や冬の特別公開のお寺に行きましたが、全て写真撮影は禁止、荷物を入り口に預ける所もあったので、早々に退散しました(T_T)
投稿: きこ | 2007年10月26日 (金) 01:13
★きこさん お早う御座います♪
御所や離宮など私たちには事前申し込みが必要な所でも「外人特権」があって、即、入れますし。他にも何かと白人系は得だなあと思います。
拝観受付で「写真撮影不可」を大きく書いて欲しいものです。私なんかは撮影だけが目的ですから、入った後で「撮影禁止」なんて言ったら「拝観料返して」って気分です。
普段は500円、秋などの特別拝観は600~800円、1000円。もうたまりません。美味しいものが食べれます。
皆々様には拝観料代わりのクリック宜しく。(きこさんはいつも有り難う)
投稿: りせ | 2007年10月26日 (金) 09:42
りせさん、今晩はそして初めまして。仕事の傍らに再び大学院で歴史学を学び直している、茶々丸と申します。先日10月9日より12日まで史料集めを兼ねて京都へ行ってきました。今回の主題は大徳寺と相国寺です。大徳寺では殊に総見院と信長の坐像。ここは信長の菩提寺として有名ですが、正直な所、ここは異様な、端的に言えば気持ちの悪い寺所でした。もし大徳寺の寺域になければ或いは塀囲みがなければ、雨月物語の吉備津の釜や菊花の契りにでも出てきそうな野中の荒れ寺のようなイメージばかりが残りました。話を伺おうにも塔頭毎に分かれていて、しかもその窓口の受付が殆どアルバイトの婆さんみたいな人ばかり、また大徳寺全体を統括する担当部署の方々からは明確な回答を得ることもできず残念でした。これから総見院と信長に関しては研究室で論文と史料をひっくり返して調べ直しが待っています。ただ小太りで若くて背の余り高くない、黒縁メガネのお坊さん(修行中の方?、もし普通の街中であればぽっちゃりしたカワイイ男の子ともいえる印象)の親切な対応だけが印象に残りました。一つだけオモシロイと感じたのは大徳寺が何故、信長、千利休、秀吉、石田三成、そして近衛といった廟所、或いは関係しているのかということです。この点は時間をかけて調べてみるつもりでいます。逆に相国寺では足利義満の事跡に関して、非公開の臨川寺の史料までコピーして頂いてとても感謝しております。寺院といえどもその収蔵する史料は個人のモノではなく公に供してこそ意味があると私は考えております。私は京都の街が好きです。それは京都の街が町衆によって創られてきたからです。町衆の息づかいがきこえてくるような歴史記述、それが私の目指す歴史学の一つの要素です。
投稿: 茶々丸 | 2008年10月13日 (月) 02:45
★茶々丸さん 初めまして♪
お仕事に、そして大学院で歴史の勉強、研究・・・ご立派ですね。
総見院では歴史の先生とおぼしき方が来ておられて、私には判りかねない「歴史そのものがそこにある」のだなあ・・・と思いながら見せていただきました。
京都にはSKYという観光ボランティアの方がおられて、特別公開の寺院では説明がありますが、専門的な方々には物足りないでしょうね。
大徳寺の塔頭は誰か武将と関係していますね。大寺院はどこもが権力者と関係しているようです。持ちつ持たれつでしょうか。全く歴史に疎い私ですが、興味の湧くところです。
お寺にも色々あります。「二度と行きたくない」と云うようなツンとお高いところもあります。総じて大きな寺院は修行のお坊さんがとても親切。これも修行でしょうか。
町衆といえば「祇園祭の復興」。あのあたりは特別な地域のようにも思えます。
投稿: りせ | 2008年10月13日 (月) 23:02