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2007年10月31日 (水)

西本願寺 平成大修復

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京都駅からすぐ近くにある西と東の本願寺ですが、両方とも現在「御影堂 平成の大修復中」なので、あまり出かけていませんでした。
「西本願寺の唐門をもう一度」、「東本願寺の大銀杏の色付きの具合はどうか?」・・・と出かけてみました。

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「西本願寺」 浄土真宗本願寺派の本山で、正しくは『本願寺派 本願寺』という。
本願寺は、文永9年(1272)宗祖親鸞のむすめ覚信尼が、東山大谷に仏堂を建て、親鸞の御影を安置した時にはじまるが、室町時代、八世蓮如の時代に教団は飛躍的に発展した。

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阿弥陀堂門も豪華です。御影堂門はもっと豪華になるのでしょうか?

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しかし寺地は山科、大阪など各地を転々とし、天正19年(1591)豊臣秀吉からこの地をあたえられた。慶長7年(1602)には東本願寺の分立があり、以後、西本願寺の通称が生まれた。場所はここです。 西本願寺の公式サイトはこちらです。
今日は何の日なのでしょうか、たくさんの人がおられます。正面は阿弥陀堂。

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御影堂は寛永13年(1636)の建立。寛政12年(1800)の大修復をはじめとして幾度かの修復がなされ、建立以来360年以上経過した現在、平成大修復工事中。完成予定は来年(平成20年12月)。
御影堂の覆いは外されていました。覆いのあった時の写真はこちらです。

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御影堂
寛永13年(1636)建立。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。中央に親鸞聖人の木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事は、この御堂で行われます。大銀杏が見えます。
銀杏は火災時の類焼を防止するための防火樹として植えられているようです。御影堂前の大銀杏は天明8年(1788)京都大火の折、御影堂へ水を噴きかけて、危うく類焼を免れたという、言い伝えがあります。

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伽藍の配置などはこちらを御覧下さい。

建物の配置や構造は、真宗建築の典型で、大師堂(御影堂)が本堂(阿弥陀堂)よりも大きくまた堂内には自由に出入りができるよう造られている。(ともに重要文化財)

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阿弥陀堂 (本堂)
宝暦10年(1760)再建。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートル。中央に阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されています。
↓阿弥陀堂です。信者さんがお掃除をされていました。

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経蔵

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銀杏はまだ緑。

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御影堂と阿弥陀堂。献菊展が催されていました。

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西本願寺はカテゴリー 1 京都駅界隈 「西本願寺 東本願寺」です。
豪華な唐門、書院も見てください。

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阿弥陀堂から阿弥陀堂門

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今回は堂内も信者さん達で溢れていましたので早々に退散いたしました。次回来る機会がありましたら「百華池」あたりに行ってみようと思います(見学ができるかしら?)

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堀川通りを挟んで御影堂門の先にある総門です。両本願寺の周りはたくさんの仏具屋さんが並んでおります。

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次回も西本願寺周辺を廻ってみます。

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2007年10月29日 (月)

蚕の社

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蚕の社を訪れたのは野宮神社・斎宮行列を見た後。秋の夜はつるべ落としとはよく言ったもので、あっと言う間に暗くなってしまいました。

嵐電「蚕の社」から歩いて直ぐのところにあります。場所はここです
境内摂社に養蚕(かいこ)神社があることから一般には「蚕の社」(かいこのやしろ)と呼ばれ親しまれていますが、正しくは木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまのかみやしろ)といいます。

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木嶋坐天照御魂神社は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」という意味で、本来は「天照御魂神」を祀る神社ということになります。
続日本紀などの国史には「木嶋神」の名前で登場する。「木嶋」という名前は、原野に茂る木々の様が「木の島」のようであったからとされます。(ややこしい拡大ですが)

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蚕養神社は蚕の神を祀った社で、古くは養蚕、機織、染色技術を司った大陸系帰化人「秦氏」の根拠地であったことから祀られたもので製糸業者の信仰が今もある。

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とっぷり日が暮れました。

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下鴨神社と同じ絵柄ですね。
本殿西には、明神鳥居を三つ組み合せた珍しい石鳥居(天保2年再興)が建てられている。その下の清泉が湧き出る処を元糺(もとただす)といい、賀茂明神はここから下鴨神社の糺の森へ遷られたと伝えられている。古くから祈雨の神社として信仰が厚かったことは古文献に載っています。

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暗くて分り辛いですが石鳥居(三柱鳥居)が見えます。三方のどれもが正面であり、上からは三角形に見えるという珍しい鳥居です。

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「元糺の池」 例祭は毎年10月10日、夏期の土用の丑の日には手足を池に浸すと無病に良いとされる神事が行われます(下鴨神社ではみたらし祭が行われます)。

【下鴨神社・糺の森 】
下鴨神社本殿から南へ河合神社に至る境内の12ヘクタールにおよぶ森。史跡。河合神社の祭神・多々須(ただす)玉依姫にちなむ地名とか、下鴨神社の祭神賀茂建角身命が、この地で人民の争いをしらべただしたことによるとの伝説もある。土用の丑の日に森内の川に足をつけて健康を祈る習わしがある。糺の森は右京区・蚕の社境内にもあり同様の風習も。

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境内の他を見て回ります。

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説明は、京都文化観光情報システムより。

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待っていただいたわりには地味な内容になりました。

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前記事最初のランキング・クリック誘導リンクのせいで、今日はクリックが随分多かったようです。やはり効果がありました。私も”続き○○方式”にしたいなあ。

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秋景色

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賀茂川・・・送り火の「舟形」が見える辺りの昨日の秋です。山や木々の色付きはこれっくらい。紅葉はまだまだです。

連日出歩いてたので疲れが出たのかしら、それもあるけれど・・・フッと気が抜けてしまって、更新が億劫になっていました。倦怠期か?? 応援してくださいね。
予告みたいに1枚だけです。今日はこれからゆっくり記事を作りますのでお待ち下さい。まだ記事にしてない所は沢山あるんです。

◆更新の力になりますので1日1回クリック宜しくお願い致します。m(_ _)m
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2007年10月26日 (金)

嵐山 野宮神社・斎宮行列

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21日の日曜日、嵐山へ野宮神社・斎宮行列を見に行って来ました。時代祭の前日です。
野宮神社 (ののみやじんじゃ) 公式サイトです。
伊勢の神宮に奉仕する内親王が潔斎のため居住された跡で、今三つの祠があり、中央に天照大神を祀り、左右に愛宕、松尾の神を祀っている。
歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮(さいぐう)といった。
斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で1年余り潔斎されてからこの野宮に移り、3年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたが、その時の行列を斎王群行といった。「つれづれ編」野宮神社の記事はこちらです

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「斎宮(斎王)」とは、天皇が新たに即位 するごとに、天照大神の御杖代(みつえしろ)と して伊勢神宮に遣わされた斎王(未婚の内親王または女王)のこと。
この歴史は飛鳥時代の天武天皇の頃にはすでに確立されており、南北朝時代の後醍醐天皇の頃まで およそ660年間、64人の姫君が遣わされていたと伝えられています。

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斎王が任命を受け、都から伊勢の斎宮へと向う旅。これが「斎王群行」と呼ばれる もので、斎王以下監送使、官人・女官などあわせて数百人にも及びました。
勢多頓宮、甲賀頓宮、垂水頓宮、鈴鹿頓宮、壱志頓宮を経て斎宮に到着するまでには、 5泊6日もかかったそうです。
野宮を出た斎王は桂川で禊を行い、平安京に入り大極殿での初遣に臨みます。

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斎宮行列 は10月21日(日) 野宮神社・渡月橋一帯
催しは、伊勢神宮へ出立する際の、禊などの神事を再現。
野宮神社で祭典が行われた後、正午より行列が渡月橋まで練り歩き、14時頃保津川で御禊の儀が行われました。   ↓斎宮一行の到着が待たれます。

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毎年五月の第三日曜にここで催される「三船祭」はこちらです。

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嵐山は雅ですね。

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十二単が何とも言えない、優しい色合いですね。

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十二単の袖口

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水に手を浸し、紙を流して・・・。

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禊の儀が終わったら雅楽奉納になります。

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斎宮行列には出場料を払えば参加できるようですよ。詳しくは公式サイトで。

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お祭りの周りはこんなのんびり風景です。

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2007年10月25日 (木)

総見院 大徳寺・塔頭

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総見院  (そうけんいん) 大徳寺 塔頭
本能寺の変での明智光秀の謀反により、49歳の生涯を閉じた織田信長公の菩提寺である。豊臣秀吉が信長公の一周忌の追善のために建立したもので、創建は天正11年(1583)、開祖は古渓宗陳和尚は安土・桃山時代の名僧、千利休の師にあたる。
創建以来、6月2日の信長公年忌には一山総出で盛大な法要が営まれる。

「御寺いかめしうつくりけりみがき御封あまたよせられる、そうけんゐんというめり」
と古文書に記されるように、創建当初は寺勢大いに隆盛し、広大な境内に豪壮な堂塔が立ち並んでいたという。
明治初年の廃仏毀釈により堂塔伽藍や多くの宝物が灰燼と化すが、大正年間に復興し昭和36年(1961)には本山に安置されていた「信長公座像」を再び迎え、380年忌を盛大に営んだ。本堂内の高さ115cmの「織田信長公座像」も特別公開されています。

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普段は非公開のお寺ですが、12月6日まで特別公開中。写真は2004年の秋の特別公開の時のものです。3年前だと記憶があやふや。撮り直しに特別拝観料を払うのもナンダシ・・・。それにしても、当時の写真は構図がなってない!。

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鐘 鐘楼 (重文)
銅鐘織田信長の一周忌に家臣の堀久太郎秀政が寄進したものといわれ、古渓宗陳撰文の天正十一年(1583)の銘がある。

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正門、土塀は 創建当時そのままの姿で現存。土塀は「親子塀」といわれ、内部に塀がもう一つ設けられた二重構造になっている。

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境内には秀吉遺愛とつたえる「侘助(わびすけ)椿」が。木が3本に分れ、紅白の花を咲かせるお茶の花。樹齢400年の日本最古の胡蝶侘助とされる。

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信長公をはじめ信忠、信雄、徳姫(信長の息女)、濃姫(同側室)、おなべの方(同側室)など一族七基の五輪石塔や墓が並ぶ。なお境内西南隅には、近衛信尋より忠房に至る近衛家一族の墓もある・・・のですが、この時は お墓にカメラを向けれなくて、影だけです。可愛い猫ちゃん・・・何除けの置物なのでしょうか?

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説明はパンフより・・・辛うじて残っていて良かった。

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総見院には茶室が三席並んでいる。
総見院と茶の湯とは深い関わりがあり、秀吉が開いた「大徳寺大茶会」では、総見院方丈で秀吉が茶を点てたとの記述がある。

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※17日の「桓武天皇陵・桃山丘陵」の写真「伏見桃山城」の雰囲気が変わったなあ~と思ってましたが、、、、判りました・・・↓を記事中に入れておきました。
◆時代劇映画の撮影のため、大坂城に見立てて進めていたお色直し作業が完了した。映画「茶々 天涯の貴妃(おんな)」(12月22日公開)。望楼の下にトラの装飾を施し、しゃちほこは金色に塗り替えた。改修費の約1億円を東映が負担、近日中に撮影を始める。。。。。(京都新聞電子版2007.10.23) 続きは記事で。

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2007年10月24日 (水)

2007 時代祭

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時代祭の最初に登場したのが・・・「1300年に向けて・いつも新しい古都」
京都は「新しい古都」なのですね。来年は「源氏物語千年紀」

時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、明治28年に始まりました。明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、そこに寄せられた人々の熱意の象徴として、まったく同じ意志のもとに創始されたのが時代祭です。総勢で約2000名の一大行列となっています。

「2007 時代祭」の全隊列をお届けします。「つれづれ編」とあわせて御覧下さい。
祭り及び隊列の説明は「平安神宮のホームページ」から。

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続いて、京都市長、府知事、議会議長が車で行進です。

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いよいよ「時代祭」の始まりです。始まりと言いながら、到着地の平安神宮からです。「御所」と「平安神宮」をミックスして「これはちょっとましに撮れているかな?」と思うものを入れてゆきます。人の頭々などで見辛いのが多くて良いのが無くてすみません。

軽やかにステップを2人が踏みながら「時代祭」の幟が登場。

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【明治維新時代】  維新勤王隊列  (朱雀学区・奉仕)
明治維新の際、幕府の遺臣が東北地方で反抗した時、丹波の国北桑田郡山国村の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模したもので、三斎羽織に義経袴をはき、下には筒袖の衣、頭に鉢巻または赤熊(しゃぐま)をかぶり、脚絆、足袋、をはき、刀を身につけ、鉄砲を携えた姿です。

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青年達は足を左右に上げながら行進、笛の音、太鼓が「時代祭」の始まりを伝えます。

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【幕末志士列】  (京都青年会議所・奉仕)
桂 小五郎(木戸孝允)、西郷 吉之助、坂本 龍馬、中岡 慎太郎、高杉 晋作。

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【江戸時代】  徳川城使上洛列  (下京区・南区・奉仕)
徳川幕府は朝廷の大切な儀式や大礼、年始などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くしていました。城使には親藩・譜代の諸侯が選ばれ、ことにご即位の大礼には将軍家名代が多数の従者をしたがえ、その服装器具などは非常に華美なものでした。 本列は普通の場合を模したもので、城使は乗物(祭では騎馬)、目附頭以上の者は騎馬。乗物の駕籠は幕末当時の形式をとったものです。

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先頭の槍持、傘持、挾箱持の「ヒーサー」の掛け声や動作は当時の面影を偲ばせてくれます。

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毛槍の持ち手の交換が「見物」です。

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【江戸時代 婦人列】  (京都地域女性連合会・奉仕)
和 宮(かずのみや) 蓮 月、中村内蔵助の妻、玉 瀾(ぎょくらん) 、梶、 吉野太夫、出雲阿国が登場します。

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【安土・桃山時代】  

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豊公参朝列  (伏見区・奉仕)
豊臣公参朝のうち、慶長元年(西暦1596年)5月の秀頼初参内と、同2年9月の元服の時は最も盛儀であったと伝えられていて、本列はその様相を模したものです。
服装は当時特に「一日晴れ」として規則以外に許されたもので、衣冠の姿も普通でなく、袴をつけ、太刀も武家風です。また牛童、牛飼などは公家風ですが、徒歩の者は当時の武家風の特徴を現わしています。

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織田公上洛列 (東山区・山科区、中京・下京区の一部・奉仕)
応仁の乱の後京都は非常にさびれ、皇室も衰微してしまいました。永禄11年(西暦1568年)9月、織田信長はお召しに応じ、兵をひきいて上洛し、皇居を修理、都の復興に努めて民を落着かせました。 本列はその織田公上洛を模したもの。

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【室町時代】 (桓武天皇1200年大祭の記念事業として平成19年より参加)
室町幕府執政列 (右京区・西京区の中から学区・輪番奉仕)
足利将軍を中心とした当時の武士の軽武装姿を表現するもので、騎馬小具足姿の足利将軍に幕府の執政にあたる三管領・四職に任ぜられる主要氏族が御供衆として従い、また公家・法中・御博士・医師など他の列にない特色ある風俗を表現したものである。

馬上の足利将軍は烏帽子に金襴の豪華な衣装、鎧、兜とはつけず、軽装の小具足姿を表現した(後の人)。お供の細川氏や山名氏は、色鮮やかな甲冑を着用する。

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室町洛中風俗列  (深草室町風俗列保存会・奉仕)
十六世紀、室町時代後半に経済力を蓄積した京の町衆によって盛んに催された風流踊りを再現したもので、風流傘を中心に、内側に囃子方で構成する「中踊り」、と外側に踊り手で構成する「側踊り」からなっている。当時の風流踊りは男性のみで、奇抜な仮装や妻女の派手な衣裳で着飾って参加している。この風流踊りは全国各地に伝わり様々な芸能を生み出し、また江戸時代以降の盆踊りの原型ともなっている。

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【吉野時代】
楠公上洛列  (右京区・西京区)
正慶2(1333)年6月に隠岐・伯耆から還幸する後醍醐天皇を兵庫に出迎え、上洛の先駆を務めた楠木正成と弟正季(まさすえ)を中心とする列。

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中世婦人列 ( 花街 輪番奉仕 ) 詳しくは「つれづれ編」で見て下さい。
淀君、静御前、大原女、桂女などの列・・・上七軒歌舞会が務めます。その内、大原女・桂女は、大原農協婦人会・桂及び桂東婦人会有志が扮しています。

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【鎌倉時代】
城南流鏑馬列(じょうなんやぶさめれつ)  (中京区・下京区の一部)
承久3(1221)年5月の承久の乱に際して、後鳥羽上皇が城南宮の流鏑馬にかこつけて畿内周辺の武士を召した時、それに応じて上洛した武士達を表した列。

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【藤原時代】
藤原公卿参朝列  (上京区・中京区の一部)
藤原氏の全盛期である摂関期の貴族が朝廷に参る様子を示した列。

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平安時代婦人列  (祇園甲部歌舞会と先斗町お茶屋組合が1年交替で務めます)
紫式部、清少納言、小野小町、巴御前、横笛、常盤御前、和気広虫(和気清麻呂の姉で、孤児を救済したので里親制度・施設養護の創始者といわれる)、百済王明信などの列。

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【延暦寺代】
延暦武官行進列  (北区・左京区・上京区・中京区の一部)
延暦20(801)年に征夷大将軍・坂上田村麻呂が都を出陣する様子を表した列。

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延暦文官参朝列  第1社区域(北区・上京区の一部)
延暦15(796)年元日、平安京大極殿で行われた朝賀儀に参る文官の様子を示した。

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神饌講社列  (京都料理組合の有志)
行在所祭・神宮本殿祭に神饌を献ずる列。

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前列  (左京区の一部)  
神幸列の直前を行くので前列といいます。雅楽の伶人(れいじん 楽人)、迦陵頻伽(かりょうびんが)、胡蝶など優美な衣裳の列で、多数の狩衣装束のお供が従います。

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神幸列  (平安神宮が司ります)
御賢木(おんさかき)を先頭に、ご鳳輦(ごほうれん ご祭神の乗る御輿)を中心とした神幸の本列です。 先のご鳳輦が西本殿の孝明天皇、後のご鳳輦が東本殿の桓武天皇で、宮司以下神職が前後につき従ってご神幸されます。つまり、ご祭神が京都の市外をご巡幸になって、市民の安らかな状を親しくご覧になるのが時代祭なのです。各行列はこのご神幸のお供をして行進するわけで、全行列の中心としての意義を持つ列です。

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白川女献花列  (白川女風俗保存会)

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弓箭組列(きゅうせんぐみ)
神幸列の後を警備する列、第1回の行列から変わることなく南桑田郡(現亀岡市)・船井郡(八木町)有志が務めます。

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一気にやってしまいました。これでお終いです。来年は「維新勤王隊列」の音声をとって来なくちゃと思っています。京都人は時代祭や祇園祭をわざわざ見に行かないものですが、見に行って欲しいものです。今年何十年ぶりかに見に行って「良かった」ですよ。

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平安神宮に到着しました。何度も書きますが、つれづれ編もどうぞ。

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2007年10月23日 (火)

時代祭の京都御苑

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一体ここは何時の時代なのでしょうか?そんな錯覚を起こしそうな御所です。
列は明治維新から時代をさかのぼって平安遷都まで続きます。行列の参加者は2000人に及びます。長さは2キロ。最初が出発してから最後の列が出るまで1時間半以上はかかります。だから待ち時間に御所はお祭り参加者と関係者がいっぱいです。

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学生アルバイトがなかなか集まらないそうです。良いアルバイトだと思うのですが。~~あぁ、縁があったら私が参加したい。

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飾り立てられた馬たちを見て廻るのも楽しいものです。

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秋晴れで良かったですね。

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あちこちで記念撮影です。

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祭りが始まりました。「維新勤王隊列」は列としてはトップです。行ってらっしゃい。

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紅白の幕の前が有料席です。

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こうして見るとノンビリしたお祭りです。

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遠くにお祭りが行きます。

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「時代祭」の行列紹介は次回です。もう少々お待ち下さいね。

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御所で見る「時代祭り」は良いですね。

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2007年10月22日 (月)

時代祭 予告

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時代祭の予告です。
行くのを迷っていましたがヤッパリ祭に行って来ました。御所出発が12時。「その前の出場者たちが和やかに待っている姿を見るのが楽しい」と去年祭りを1人で見に行った夫の薦めで11時半に到着(夫も一緒です)。
私は1時過ぎまで御所にいた後。自転車で平安神宮に先回り・・・行進はすこぶるユックリですね。2時半にやっと先頭がやって来ました。

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予告の写真は、私の大好きな「維新勤王隊列」。。。そう「ピーヒャラホットイテ」の行進です。笛の音と共にやって来るのを遠くから見ただけで泣けるほどに嬉しい(下2枚は出発直前)。維新勤王隊を見に時代祭に来たのですよ。(これだけ見たら私には充分) 続きは今から写真の整理をしてからです、宜しく。

「テレビに写るぞ!!」って声をかけられて、出て行きました。

◆「つれづれ編」で和やかな出発前の風景を入れました。「つれづれ編」は今、夫が更新しています。是非見てください。

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この笛の音と太鼓が素晴しい。

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2007年10月21日 (日)

六地蔵尊 大善寺

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宇治の友人の家に車で連れて行ってもらう途中の外環状線、大きな柱に「六地蔵・小野篁」と。・・・「チョチョッと車止めて~」で、見てきました。これは目立つでしょ。
門左横の言葉の大事な所が見えなくて気になるでしょ・・・「もういっぺん」の勇気。

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「大善寺」  浄土宗・法雲山浄妙院大善寺  通称「六地蔵」
小野篁(おののたかむら)公が849年(嘉祥2)48才の時に熱病を患って意識を失い、地獄に落ちた人々が苦しんでいる姿を見ました。その時一人の僧が人々を救っている場に出会いました。その僧は「私は地蔵菩薩である」と名のられ、「この地獄の他に餓鬼、畜生、人間、天上など六道の迷いの世界を巡りながら縁のある人々を救っている。全ての人々を救いたいが、縁の無い人々を救うことは出来ない。私にとっても残念なことだ、貴方はこの地獄の有様と地蔵菩薩のことを人々に知らしめて欲しい。」と聞いて甦った篁公は、木幡山から一本の桜の木を切り出して六体の地蔵菩薩像を刻み、この地に納めました。それよりここを「六地蔵」といいます。(洛南保勝会の大善寺説明板より)
宇治市だとばかり思っていましたが、伏見区でした。大善寺の場所はここです

「大善寺」駒札と「六地蔵」の説明版を読んで下さいね。

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「六地蔵めぐり」(8月22日、23日に行われます)。  
六地蔵とは、伏見地蔵(大善寺)、鳥羽地蔵(浄禅寺)、桂地蔵(地蔵寺)、常盤地蔵(源光寺)、鞍馬口地蔵(上善寺)、山科地蔵(徳林庵)をいいます。
参拝者は各寺6色のお札を受けて家の玄関に吊し、一年中の疫病退散、家内安全、福徳招来の護符とする。また初盆には水塔婆供養をし3年間巡拝すれば六道の苦を免れることができると伝えられています。

六角形の地蔵堂は、極彩色が美しい地蔵菩薩像(重要文化財)が祀られています。左の厨子内には小野篁像が祀られています。

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地蔵菩薩像、左の厨子内には小野篁像。

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山科・勧修寺の宸殿を下賜(宝永年間)されて移築した本堂。

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Dsc73764a 鐘楼  寛文5年建造

徳川二代将軍秀忠の娘・東福門院が寄進。
「東福門院」といえば・・・・・「光雲寺」です。

天井は、菊と三つ葉葵の紋章が極彩色で描かれている。(トップ写真も)

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右のお堂の中です。調べて判ったら加筆します。

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