木屋町から先斗町
「瑞泉寺」(8/11の記事)から木屋町通りを少し下がって「先斗町」に向かいます。
瑞泉寺の向かいは安藤忠雄氏の設計のビルになります。
木屋町通りの四条以北の記事はこちらです。高瀬川の雰囲気が良いですよ。
木屋町通りは昼と夜ではちょっと顔が違うようです。
「先斗町歌舞練場」のところで曲がって、先斗町通りに行きます。
先斗町 (ぽんとちょう)
四条通りから三条通り手前までの細い先斗町の通りが鴨川に沿って続いています。
もともとは鴨川の州で、江戸時代初期に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれていた。 繁華街としては茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりですでに芸妓、娼妓が居住するようになり何度も取り締られていたが川端二条にあった『二条新地』の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立をした。
明治5年(1872年)に鴨川をどりが初演され、先斗町は花街としての花を開かせた。
名前の由来
一説によれば、先斗という地名の語源はポルトガル語のponta(「先」の意)にあるとされる。また、鴨川と高瀬川に挟まれているため、堤であると捉え、鼓が「ポン」と鳴ることに掛けて、「ぽんと」となったという説もある。(Wikipedia)
木屋町、先斗町界隈
江戸時代初期から明治初期まで土佐藩邸があり、幕末には坂本龍馬や桂小五郎らの勤皇の志士がこの藩邸を拠点に活躍した。また潜伏跡や暗殺事件の舞台となった場所でもあり、その碑が通りのあちこちにあります。
細い路地がたくさんあります。「 X 」・・・ここは通り抜けが出来ません。
こういう「迷路のような路地が潜伏、逃亡を助けた」って聞きました。
ここは通り抜けが出来ます。
昼はちょっと淋しいですが、夜になると明るい賑やかな通りになります。
なかなか見事なマトリョーシカですね。
京野菜が各お店の前に飾られていました。
代表的な京野菜としては・「賀茂なす」 「伏見とうがらし」 「聖護院だいこん」 「花菜(菜の花)」 「壬生菜」 「万願寺とうがらし」 「みず菜」 「九条ねぎ」 「丹波黒大豆(紫ずきん)」 「鹿ケ谷かぼちゃ」。京都府の「京野菜のページ」はここです。
夏の和菓子をどうぞ。
先斗町は祇園と並び京都を代表する花街で、お茶屋さんや料理屋が通りの両側に並びます。お昼の舞妓さん(芸妓さん?)です。
お座敷前はゆかたです。
夜には鴨川に張り出した「川床」で食べるのが今は涼しくて良さそう。
先斗町はまだ続きます。
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