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2007年7月28日 (土)

カトリック高野教会

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テレビで数奇な運命をたどった元舞妓モルガンお雪のことを知り、この教会を訪れました。理由は最後に。

カトリック高野教会
北大路通り、高野橋の西詰に聖母マリアの珠玉の教会、高野教会があります。1938年にメリノール宣教会によって創立され、1940年聖堂が建立された、大変由緒深い歴史の古い教会です。担当司祭は外崎 豊神父、花井 拓夫神父、ボアベール神父の3名です。また協力司祭はルカ神父です。高野教会は、聖母マリアの名前をいただいております。静かな祈りのひとときのために、日中は聖堂が開いていますので、ご自由にお入りになってお祈りください。(HPより)

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マリア像は北大路通から見ることができます。

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司祭館

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伝道館

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聖堂

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聖堂の中に入らせていただきます。

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内部はシンプルなつくりながら、清楚な美しさがあります。

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この教会はモルガンお雪が晩年帰依したことでも知られています。

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モルガンお雪(1881年11月 - 1963年5月18日)。洗礼名はテレジア。
14歳で舞妓になり、歌舞に優れて特に胡弓が上手であった。1901年にアメリカ人のジョージ・モルガンと出会い、求婚された。雪には当時京都大学在学中の恋人がいたが、この騒動が新聞に掲載されたために破局。その後、当時4万円という莫大な身請け金によりモルガンに引き取られ、明治37年(1904年)に横浜にて結婚、アメリカに渡り、後にパリに移る。現地の社交界で大変な評判を呼んだが、大正4年(1915年)に夫は亡くなる。その後、遺産相続をめぐる夫の一族との裁判に勝ち、莫大な資産を得て、ヨーロッパで悠々自適の生活を送っていた。昭和13年(1938年)、第二次世界大戦勃発により京都に帰る。終戦後、キリスト教の洗礼を受け、以後は一カトリック信者として世間から身を潜めるように余生を送った。1963年紫野(京都市北区)の大徳寺門前の小家で死去。享年81。東福寺の塔頭・同聚院に墓がある。
夫から受け継いだ莫大な遺産は、ヨーロッパ滞在時に恋人・タンザール男爵の研究に寄付され、ほとんど残っていなかった。また、再婚をすると遺産を夫の遺族に没収される可能性があったために再婚もできなかったとされる。望まない結婚によりアメリカ人の妻となったにもかかわらず、排日法によりアメリカへの帰化は許可されず、また帰国後は「金に目がくらんだ女」として世間の冷たい視線にさらされて辛酸をなめ、その生涯は波瀾万丈であった。
(Wikipediaより)

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聖堂の中で写真を撮るときに教会の方からやさしいお言葉をいただき、ありがとうございました。

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