嵯峨野 常寂光寺 緑の中
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常寂光寺 (じょうじゃっこうじ)
平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、慶長元年(1596)、本圀(ほんこく)寺十六世究竟(くきょう)院日禎(にっしん)が、隠棲の地として開創した日蓮宗の寺院である。
百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。
名前だけはよく知っていた寺院ですが、初めて訪れました。
昨年、紅葉の頃に行きたいと思っていましたが人の数に圧倒されて行くことが出来なかった処です。今は寺院の名前のとおり「寂光」の世界でした。
仁王門
南北朝時代の貞和年間に本圀寺の南門として建立されたもの。元和2年(1616年)に現在地に移築。藁葺き 。
仁王像 ・・・ 福井県若狭小浜の日蓮宗寺院・長源寺から移された。寺伝に運慶作というが実際の作者は不明。(合成しました)
山門から仁王門、本堂へと続く山道は、秋には約200本の紅葉のトンネルとなります。
紅と違ったお安らぎがあって緑のもみじも良いものです。
本堂
慶長年間に伏見桃山城の客殿の一部を二世通明院日韶(にっしょう)が移転修造したものといわれています。
鐘楼 寛永18年建立。 梵鐘は昭和48年鋳造。
桔梗は五角形の星型だと思っていましたが四角形が咲いていました。
多宝塔 桃山時代建築(重要文化財) 総高約12m
本堂背後の山腹にあり、元和6年(1620)京都町衆によって寄進されたと伝えられる。前面に霊元天皇の勅額を掲げている。檜皮葺 。諸堂内部は常時非公開。
内部に釈迦、多宝二仏を安置するため、並尊閣とも呼ばれる。
多宝塔のある小倉山(標高286メートル)の中腹から見る嵯峨野です。この日は飛行船がゆったり浮んでいました。
多宝塔をあとに下って行きます。
滝の横の階段を下って・・・。
ここも、寂光のおもむき。
庭園 本堂西には細長い小池のある庭園があります。
紅葉の常寂光寺は2009年に訪れました。→こちらです。
もう一度仁王門をくぐって、もみじのトンネルを後にしました。
嵯峨野の道はまだ続きます。
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コメント
りせさん、こんばんは(^^)
携帯、機種変したのでバーコード読み取りができるようになったので、早速やってみました^^; ←新しもの好きです(ーー;)
嵯峨野の秋の休日はいつも行列になっている気がします
ここも並んで入って、立ち止まれない状態で、ゆっくり観れませんでした(T_T)
で、時間帯を変えたら・・・同じでした
考える事は皆、同じですね^^;
桔梗、初めて見る形でした
新種?突然変異? 珍しいものをありがとうございましたm(__)m
投稿: きこ | 2007年7月24日 (火) 02:25
★きこさん こんにちは♪
ネットやってると、携帯が全然出来ません。ケータイメールももうダメです。
電話するだけです。全く機能を使えません。
嵐山の渡月橋あたりが観光客が一番多い所だそうです。真夏以外は嵯峨野は人で溢れていますから。。。
今年の秋もきっと行かず終いになると思いますよ。
最後の白いのも桔梗ですがこれも変わってますね。
投稿: りせ | 2007年7月24日 (火) 12:35