滝口寺 檀林寺
祇王寺の入り口からそのまま上に上がって行くと「滝口寺」になります。
滝口入道と横笛の悲恋のお寺です。
滝口寺はもと往生院三宝寺といいました。祇王寺に隣接し祇王寺と同じくこの辺一帯は平安時代、往生院という広大な寺があったところと伝えられています。 明治期に廃寺になってしまったものを祇王寺と共に再建され、「滝口寺」と命名されました。
拝観料を払うと急な階段が続きます。
滝口と横笛の悲恋物語…
斎藤滝口時頼は平重盛に仕えた侍、横笛は平重盛の妹である建礼門院に仕えた下級女官でした。清盛の花見の宴に横笛の舞姿を見て以来、恋心を抱き、恋文を送り、二人は恋に落ちました。
しかし時頼の父の厳しい叱責にあい、18歳の滝口入道は俗世を捨て奥嵯峨の往生院に出家してしまいます。
出家した噂を聞いた横笛は、都を出て捜し歩き嵯峨の往生院にやって来ました。 しかし滝口人道は堅固として横笛と顔を合わそうとしません。横笛は泣く泣く近くにあった石に自らの指を切った血で歌を書きつけたといいます。
山深み 思い入りぬる 柴の戸の まことの道に 我を導け
その時の源平盛衰記図会です。
滝口入道は、横笛が修行の妨げになると思い、女人禁制の高野山に移ったのでした。横笛もその後すぐに奈良法華寺で尼になり亡くなったと。大堰川(おおいがわ)に身を沈めたという説もあります)
このことを伝え聞いた滝口は、いっそう仏道修行に励み、「高野の聖」といわれる高僧になったといいます。
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この悲恋の物語の主人公は木像となって堂内に寄り添うように安置されています。
滝口寺の入口を入ってすぐ横に、南北朝時代の南朝方の大将、「新田義貞の首塚と供養塔」があります。
越前の戦いで討死した義貞の首は、京の三条河原でさらし首になりましたが、義貞の妻匂当内侍(こうとうのないし)がその首を盗み出し、嵯峨野に隠棲し、尼となって夫を供養しながら暮らしたといわれます。
嵯峨野には「平家物語」に表された悲恋の物語が多く残されています。
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次に祇王寺の手前にある「檀林寺」に入ります。
檀林寺は嵯峨天皇皇后橘嘉智子(檀林皇后786~850)が承和年間(834~48)に建立した寺で、わが国最初の禅学興隆の道場として知られる。皇后没後,延長6(928)年に焼失し、平安中期に廃絶した。
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霊宝館で様々な貴重な宝物、品々を見せていただきました。
ひょうたん池にはモリアオガエルの卵がぶら下がっていました。
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コメント
檀林寺へ行きました
静かで美しい庭園
親切な解説や立派なお宝…拝観料の高さは気になりながらも気持ちよく寺内におりましたが最後に ご年配男性の 押し売り(見事な商売)上手に 圧倒され かなりの出費…お参りさせていただいて こんな感想はバチあたりかと 自己を戒めたものの やはり商売気満々な雰囲気に不快感は否めず。参拝者だったのに ただの客になったような気がしました おそらく同じ感想をお持ちになった方はたくさんおられるでしょう。しかし お参りさせていただいたことには ひとつの出会いとして ありがたい気持ちもございます。
投稿: 林田さとる | 2011年5月 5日 (木) 08:01
★林田さとる様 初めまして♪
檀林寺・・・私2007年に行ってるんですね・・・
私は檀林寺には良いイメージを持っていますから・・・もし拝観料払ってたら、きっと嫌なイメージを持ってた筈です。
拝観料のこと全然記憶が無いのですが・・・
拝観料が必要なら私入らなかったと思います・・・当時は無料だったんじゃないかと思います。
投稿: りせ | 2011年5月 5日 (木) 21:19