観智院 東寺の塔頭 武蔵の絵
観智院 (かんちいん)
東寺の塔頭の第一で、別格本山である。
延慶元年(1308)後宇多法皇が東寺西院に3年間参籠され、21院を建立されたうちの一つで杲宝(ごうほう)を開基とする。
代々学僧が住し、東寺塔頭中もっとも格式が高く、当院の住持が東寺の別当職をかねた。古来多くの経文、書籍を所蔵していて有名で、徳川家康が古書を調査して、一宗の勧学院として後学の用に供するよう命じたことがある。
現在の建物は、慶長10年(1605)完成の客殿を中心に、本堂、書院、土蔵、門など何れも江戸時代の建築である。
客殿(国宝)は、入母屋造、銅板葺の代表的な書院造の住宅建築で襖絵は宮本武蔵の筆と伝えられる。
本堂には山科安祥寺の恵運(えうん)が唐から伝来した五大虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)を安置していたが、現在は国宝に指定されている経文、書画、工芸の名品多数と共に東寺収蔵庫に収められている。南区九条町 (駒札より)
東寺の北門を出たところにあります。
公開は東寺の特別公開に合わせてるようで、この春は25日(昨日)で終わりました。
宮本武蔵の水墨画があるということで以前から行きたかったのですが、東寺に行った日が偶然公開中でまことにラッキー。
宮本武蔵筆の「鷲の図」(2羽)は客殿(国宝)の上座の間の床の間に大きく描かれていました。横の襖には「竹林の図」も描かれています。
ちょうど観光タクシーの方といっしょになってお話を伺いました。(寺院の説明の方かと思うほど堂々とした解説振り)絵の前の説明板に書かれていたこととドライバーの説明を合わせたところに依りますと・・・
一乗寺下り松の決闘で吉岡一門を打ち倒した後、武蔵は報復から逃れる為に3年間観智院に身を隠したようです。何故東寺の塔頭にかと云うと、東寺は天皇と繋がりが深く、寺院としての力を考えると吉岡一門も手が出せない、と云うことだったようです。
また、なぜこのように絵が上手いかと云うことは長谷川等伯の師事を受けていたとか。武蔵が二刀流であったということは左利きで絵は左手で描いたとも。
撮影禁止だったので、絵はありません。このサイトにリンクします。少しは分るかしら。
「武蔵修行の滝」はこの記事をどうぞ。
客殿前の「五大の庭」です。
弘法大師が唐の長安で密教のすべてを受法し、数々の法具経典と共に帰国の海上で灘にあわれたときに、守護の海神に護られ無事帰還される姿と、五大虚空蔵菩薩像の姿との2つの着想からの構想となっている。(パンフレットより)
TOPの写真は左の説明と合わせて下さい。
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龍神です、左上に2石だけ見えているのが渡海船。
独鈷
客殿(国宝)は慶長10年に北政所・ねねの寄進によって再建されたもの。
四方正面の庭
この四方正面の庭の左に本堂があります。
本堂の「五大虚空蔵菩薩像」(重文)は五つの智恵を表す虚空蔵菩薩がそれぞれ鳥獣に乗った像があります。これも見ごたえがあります。
江戸時代の宗教政策の中で徳川家康は黒印状をもって観智院を真言一宗の勧学院と定めたのは、尨大な価値ある聖教典籍と幾人もの傑出した学僧を輩出したから。
楓泉観(茶室)の庭園。
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コメント
光と影の撮影が絶妙ですね(^0_0^) 黒と緑の対比も素敵です♪
東寺は近すぎて(?)まだ訪れていません。次回の上洛には東寺から
にしておきましょう。
投稿: おけい | 2007年5月26日 (土) 22:39
★おけいさん こんばんは♪
東寺は京都駅の直ぐ近くだけれど、観光方面と逆方向だから、ついつい行きませんね。次回は1番にどうぞ。
ひょっとして今「仏像ブーム」だったら見逃せません。
投稿: りせ | 2007年5月27日 (日) 02:42