悲田院 東山からの眺望
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悲田院(ひでんいん)は、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設です。(以下Wikipediaより)
聖徳太子が隋に倣い大阪の四天王寺に四箇院の一つとして建てられたのが日本での最初とする伝承があり、敬老の日の由来の俗説の一つである(四箇院とは悲田院に敬田院・施薬院・療病院を合せたものである)。
中国では唐代に設置されたものが日本同様に社会福祉のはしりとして紹介される場合がある(収容型施設のはしりであることには間違いない)。
723年皇太子妃時代の光明皇后が設置したものが日本では記録上で最古のものである。平安時代には、平安京の東西二カ所に増設され、同じく光明皇后によって設立された施薬院の別院となってその管理下におかれた。
また奈良時代には鑑真により興福寺にも設立された。鎌倉時代には忍性が各地に開設した。以降中世非人の拠点の一つとなった。
現在は京都市東山区の泉涌寺の塔頭の一つとして残るほか、地名に残っているところもある。 場所はここです。
悲田院は泉涌寺七福神の毘沙門天。
泉涌寺七福神とは
福禄寿 即成院、 弁財天 戒光寺、 毘沙門天 悲田院、 大黒天 雲龍院
布袋尊 来迎院、 恵比寿 観音寺、 寿老神 法音院
本堂から門の方面。
高台にある悲田院からは京都市内が見渡せます。まず、お寺の横から。
少しずつ左に。
左に京都タワー、その右の大きな屋根は「修理中の東本願寺」
左は京都駅、京都タワー辺りの拡大。
5月3日は下鴨神社の流鏑馬神事の日でした。
去年訪れて記事にしていますので、そちらを見てくださいね。
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手洗いの「龍さん」・・・スゴーイたてがみですか?凄い。
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