無鄰庵 1 小川治兵衛の庭
無鄰菴(むりんあん) 無鄰庵
この菴は、明治・大正時代の元老山県有朋公の京都に於ける別荘として、明治27年から29年(1894~96)の間に建てられたものである。
庭園(名勝)は、有朋公自らの設計・監督により、当時の造園家小川治兵衛(おがわじへえ)が作庭した池泉回遊式庭園で、明治時代の代表的な庭園の一つである。
建物としては、簡素な木造二階建の母屋、薮ノ内流燕菴(えんなん)を模したといわれる茶室の外、南西隅に洋館がある。
この洋館は、明治36年(1903)、山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の四者によって日露開戦直前のわが国の外交方針に関する会議(無鄰菴会議)が行われたところとして知られている。左京区南禅寺草川町 (駒札より) 場所はここです。(HPの地図に入れ替えました)
岡崎の疏水沿い、動物園が見える辺りから右に折れます。
無鄰菴へは蹴上浄水場のツツジを見に行った時に立ち寄りました。
紅葉が少し色付いた時に行った以来で、ツツジが綺麗かな?と期待したのですが、ツツジは終わっていて次のサツキが待ちどおしい新緑でした。(秋の無鄰菴の記事はここです)
あまりにも斜めだったのでこのような写真になりました。小さなくぐり戸を入って・・・。
樹木の向こうに広がるのがこの景色です。
今日は母屋とそこからの景色を中心にご紹介します。
無鄰菴 は昭和16年(1941)に京都市に寄贈され、現在京都市の管理になっている。また昭和26年(1951)には、庭園が国の名勝に指定されています。
中に入らせていただきます。
お抹茶をいただけますが、この日は浄水場へと急ぎました。
「毎日ブログのために出かけて忙しいでしょ」って言われるのですが決してそうではありません。この日も4日分くらい撮ってきましたから。
額縁庭園風に、右側を見ました。
正面です。お庭の手入れの方です。
小川治兵衛についてはこれを拡大して読んでくださいね。
ほとんど人が入っておられませんでしたので、ゆっくり写真を撮る事ができました。
庭園の散策及び洋館は明日にいたします。
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この長い塀の向こうが無鄰菴の庭園です。南禅寺からの帰りだとこの塀が交差点で見えます。無鄰庵
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コメント
京都に無鄰菴、東京に椿山荘、箱根に妾宅と、軍や官界の巨大な派閥の領袖として絶大な権力と財力に物を言わせて成り上がった姿に聊か反発を覚えて、いずれにも足を運ぶ気の起こらない施設ではありますが、此処京都の別邸だけは、作庭に関わった庭師の力量を堪能できるものなのでしょうね。
樹木の植生に通じていた庭師らしく、岡崎の一帯を日本の国土に見立てて、海岸近くに多く自生する黒松は周辺部に、山地に多く自生する赤松は中心部に配するといった具合に、作庭のコンセプトが明確だったようです。
眩いばかりの緑に溢れた写真にそそられ、腰が落ち着かなくて居た堪れないような次第です。
投稿: 槃特の呟き | 2007年5月18日 (金) 00:15
★槃特の呟きさん こんばんは♪
格差社会といわれる今、富める層はより一層豊かに富と権力を手に入れて日本を変えていく時代だなあと思っています。明治のこの時代に還っていくようです。
京都を見て歩いていると「応対される人、寺院の姿勢、歴史的背景に疑問、科学的にどうか?」を感じますが、庭、建物、歴史、風物として割り切って見ることにしています。
「写真は現実、少しでも綺麗に撮れれば」・・・これを伝えられればそれでいいと思っています。出来るだけ私の主観は出さないように記事は作っているつもりです。
槃特の呟きさん、知らないことを教えていただきまして有り難う御座います。
投稿: りせ | 2007年5月18日 (金) 03:28