熊野神社 八ッ橋発祥の地
熊野神社は東大路通と丸太町通の北西の角にあります。
弘仁2年(811)紀州熊野大神を勧請したのに始まるといわれる。
熊野三山の別当職をかねた聖護院の近くにあり、その守護神としての意味もこめて奉祀されたものと思われる。
広い交差点に神社の桜が大きく目立ちます。 場所はここです。
歩道までかなり枝を伸ばしています。
平安末期、後白河法皇は度々熊野詣を行なわれたが、当社ともあつく尊信を寄せられ社殿を修造し境内を寄進して社頭の荘厳を加えた。
つづいて歴代天皇の尊信あつく、また京都の熊野三山の一つとして庶民の信仰をあつめてきた。しかし、応仁大乱によってほとんど荒廃した。寛文6年(1666)に至って聖護院門跡の助成によって再興され、天保6年(1835)にも大修造が行なわれた。
その後、明治45年、昭和2年両度の市電軌道敷設により社域をせばめられた。
祭神は本殿に伊弉冉尊(いざなみのみこと)、相殿(あいどの)に伊弉諸尊(いざなぎのみこと)、天照大神、速玉男尊、事解男尊をまつる。
宝物としては、皇室にゆかりの深い品々が蔵されている。祭礼は5月15日出輿祭、5月16日例祭が行なわれる。左京区聖護院山王町 (駒札より)
神社の隅の木陰に「八ッ橋発祥の地」の石碑がありますがいつも暗くて見過ごしそう。
八ツ橋は粳米粉でつくった焼き菓子。享保(1716~36)の頃,箏曲八橋流の祖八橋検校(1614~85)の墓がある黒谷で,琴形の煎餅を売ったのが最初とも,黒谷の茶店主人が夢で検校から製法を習ったともいわれる。
のち聖護院村の八ツ橋屋に生まれた西尾為治(1879~1962)は,元禄からの古法に改良を重ね八ツ橋中興の祖と呼ばれた。
この石標は八ツ橋発祥の聖護院森跡を示すものである。なお,石標の横には西尾為治の銅像が建つ。 (駒札より)
「八ツ橋」は、人名の「八橋検校」(やつはしけんぎょう)に由来しております。形は琴の形で茶色、ニッキ味。昔、八ツ橋といえばこの焼いた八ツ橋のことでした。
最近は生の八ツ橋の方がアレンジが広がって(季節の色んな餡が入ってます)、人気があります。京都のお菓子のお土産といえばこれになったかしら?。
熊野神社のすぐ隣にあるのが、このお店「西尾老舗・本家八ッ橋」
向かいにあるのが、このお店。「聖護院八ッ橋総本店・玄鶴堂」
聖護院御殿の方に向かって行くと、左右にも同じお店が。「総本家」と「老舗・本家」・・・微妙ですね。
こちらは「本家八ッ橋 西尾老舗」
こちらは「聖護院八ッ橋総本家」
こちらのお店は修学旅行生利用のタクシー会社と提携してるのか、修学旅行生を乗せた車がひっきりなしにやって来ました。 (季節で暖簾が違いますねえ)
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東に向かうと正面に金戒光明寺(黒谷)の大きな山門が見えます。
手前左には聖護院があります。聖護院の記事です。
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コメント
うわ~~~。
懐かしい写真。
35年前に聖護院八つ橋総本家の隣に下宿していました。
窓を開けると八つ橋の工場から
八つ橋の匂いが漂ってきました。
通りの様子は当時の面影が完全に残っています。
写真 ありがとうございます!
投稿: beck | 2007年5月15日 (火) 20:09
★beckさん 初めまして♪
コメント有り難う御座います。
良かったあ~。懐かしい思いで見てくださるのって嬉しいです。
変わってませんか?
店の前を昼間に通るだけでは匂いは分らないのでしょうか。気付きませんでした。匂ってるのかしら。
他にも懐かしい写真があるかも知れません、探してくださいね。
投稿: りせ | 2007年5月16日 (水) 07:39