本満寺 枝垂れ桜
本満寺 枝垂れ桜が綺麗と知って出かけたのは3月31日のこと。
今はもう桜が季節外れに思うほど、街は新緑になりつつあります。溜まっている桜の写真を早く出してしまわないと・・・
住宅の中にあるお寺は、なかなか見にまでは行きませんが、「枝垂れ桜が満開」を聞いて行ってみました。
駒札もなくて、お寺の説明が出来ません。
※後述です。ランキングが1位2位を行ったり来たり・・・なので頑張って調べてみました。皆様クリック有り難うございます。
本満寺は天文法華の乱で焼失しています。
法華宗は他宗派からの迫害や諸事情により,多くの寺院が移転を繰り返しました。門徒に下京の町衆が多かったので,多くの寺院は下京内を中心に移動しました。また,町衆の自治・防衛と強く関わり,寺院の多くは堀や土塁などの防衛施設を設け,武力を備えていました。 洛中二十一本山は,天文法華の乱で焼き討ちされ,堺に逃れました。
のち洛中に再興された寺院は,妙顕寺(みょうけんじ),要法寺(ようほうじ),本圀寺(ほんこくじ),妙覚寺(みょうかくじ),妙満寺(みょうまんじ),本禅寺(ほんぜんじ),本満寺(ほんまんじ),立本寺(りゅうほんじ),妙蓮寺(みょうれんじ),本能寺(ほんのうじ),本法寺(ほんぽうじ),頂妙寺(ちょうみょうじ),妙泉寺(みょうせんじ),本隆寺(ほんりゅうじ),妙伝寺(みょうでんじ)の15か寺に減少。さらに,天正7(1579)年の浄土宗との宗論(安土宗論)で織田信長によって弾圧をうけました。その後,豊臣秀吉による京都の都市改造の一環として,法華寺院の大半は寺町(てらまち)または寺之内(てらのうち)に集められました。(フィールドミュージアム京都より)
出町柳から北西の方向へ少し、場所はここです。
大きな枝垂れ桜が、見事でした。
お庭は新しいようです。
形もとても良くて、毎年見に来て見たい桜になりました。
本堂です。
しばらく、桜の写真が続きます。早く入れないと出しそびれて「ボツ」ってことになったりして。
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