恋情塚の積善院 須賀神社
聖護院門跡のすぐ隣にあるのが赤い五大力の幟が並ぶ「準提堂」。
普段なら通り過ぎているところですが、やっぱり寄っておかなくては。外から見えなかった大きな桜に出会えて「収穫あり」なんて単純に思ってたのですが。。。
昨日「聖護院門跡」を記事にしていて、「そうだったのか~~あれがねえ~~」を見つけたので 早速今日登場です。
それは「恋情塚」なるものを撮影したのですが、たぶん分らず終いになるだろうと思っていたものがあっけなく解明出来たから。
聖護院門跡の公式サイトに書かれている、「近頃河原達引」という作品、いわゆる「お俊・伝兵衛」を抜粋させていただきます。
1734年11月16日、聖護院の森で呉服商の井筒屋伝兵衛23歳と、先斗町近江屋の遊女、お俊20才の心中がありました。
その少し前、11月13日には四条の芝居小屋で、徳大寺家の武士と京都所司代の者が争い、死者がでる事件が有ったのです。
全く関係のなかったこの2つの事件は泰平の京の都に大事件として話題をさらい、
浄瑠璃作家の近松半二はこの2つの事件と、同時期に堀川に住む猿回し、丹波屋佐吉が親孝行をお上から誉められた事をまとめ、「近頃河原逹引」という作品を書きました。
あらすじ
相思相愛のお俊・伝兵衛。そのお俊に徳大寺家の武士、横淵官左衛門がしつこく言い寄っていた。手を引かせようと、近江屋で伝兵衛を待ちぶせする間に酒に酔いつぶれる横淵官左衛門。
そうとは知らず近江屋に伝兵衛はやって来る。鉢合わせとなった横淵官左衛門は、伝兵衛を追いかけ鴨川の河原にやって来る。
そこで横淵官左衛門は刀を抜くが、逆に刀を取られ、伝兵衛はずみで横淵官左衛門を刺し殺してしまう。
町人が侍を殺したのだから死罪は免れない。伝兵衛は今生の分かれとお俊に会いに近江屋へ行くが、お俊は伝兵衛を問いただし真相を聞いてしまう。
事件の一端は我が身にも有り、と死を決意する。
近江屋を抜け出した2人は堀川に住むお俊の兄佐吉を尋ね、母と兄の前で杯を交わし、佐吉は猿回しで祝言に花を添える。晴れて夫婦となった二人は、その後夜明け前に聖護院の森で心中をする。
しかし当時心中物の上演を禁止していたため、
芝居では心中しようとしている正にその時役人によって発見され、お俊・伝兵衛は罪を許され、心中はしなかった形で上演されていました。
聖護院の寺中寺院積善院にはこのお俊・伝兵衛の供養塔が建っています。 (以上聖護院公式サイト)。
積善院?「準提堂」ではなかったのか? お寺の名前が良く分りません。m(_ _)m
そしてもう一つギョッ~!「人食い地蔵」!!です。
ンんもう・・「崇徳院」→「すとくいん」→スンゴクなまって→「ひとくいん」→キャー「人食い!!」 拡大して読んでくださいね。
仙洞御所で「柿本人麻呂」→「人麻呂」→「ひとまろ」→「火止ろ」→「防火の神様!!」というのも聞いたし・・・語呂合わせバッカリでホッとするやらかえって心配やら。
もう一つ、向かいの須賀神社(交通神社)を紹介します。
可愛い、ひょうきんな「龍」です。手を洗うのが楽しくなりそう。
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