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御所(京都御苑)の中には神社が幾つかあります。今日は4月の桜の頃に訪れた「宗像神社」と「白雲神社」です。◆御所の地図です。
桜の時期に出しそびれたままだったのですが、時期を外すと「桜もまた新鮮に見えるなあ~」なんて思っています。
「出水の小川」の前の枝垂桜が満開の時でした。ちょうど犬のお散歩時間。
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◆宗像神社 (むなかたじんじゃ)
この地はもと小一条殿といい、清和天皇がおうまれになった所です。社伝によると、桓武天皇御代延暦14年(平安京創立の翌年の795年)、藤原冬嗣が筑紫より勧請し、皇居鎮護の神として祀られたのが始めです。歴代皇室の御尊信篤く、社運も盛んであったが、応仁の兵火で社殿ことごとく焼失し、のち再建されました。
明治維新までは花山院家の邸地。本社もその邸内にあったが、邸宅が廃せられてのちは社殿のみ残った。境内には樹令600年といわれる巨木の楠木があります。
京都御苑の南西の鬼門を守る位置にあり、方除けの神とされています。
本社は多紀理姫命・市岐嶋姫命・多岐津姫命・天石戸門神・倉稲魂神を祀る。
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本殿の横に左から、「金刀比羅宮」(琴平社) 「繁栄稲荷社」 「少将井社」
いつもいろいろな花が綺麗に咲いているところです。
「京都観光神社」もありました。
昭和になって京都を訪れる観光客が急増。観光業者が観光客の無事息災、業界の発展のため、昭和44年に建立されました。 猿田彦大神を祀る。
次は少し北にある「白雲神社」です。
◆白雲神社 (しらくもじんじゃ)
西園寺公経が、北山第(金閣寺)を造営するときに修造した妙音堂が由来。
明治に入り 西園寺家が東京へ移り、神仏分離により妙音堂を、昔の鎮座地の名前から「白雲神社」と改められた。
「白雲神社」の説明は駒札を拡大して読んでくださいね。(長いです)
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絵馬堂の絵馬です。お目出度い図柄のようですね。
こちらは消防団のよう。
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お稲荷さんもありました。
★ 京都御苑
「京都御所」、「仙洞御所」を囲む面積約63haの公園で、自由に入ることができます。東西約700m(東は河原町通りの一筋西~西は烏丸通り)南北約1,300m(南は丸太町通り~北は今出川通り)の広大な敷地は、江戸時代には二百もの宮家や公家の邸宅が立ち並んでいた場所でした。
明治になり都が東京に移った後、邸宅が取り除かれて、皇宮付属地として整備された所が、戦後、国民公園として開放されたものです。
※歴史の場所をひとつ紹介します。
蛤御門(はまぐりごもん)
普段は「開かずの門」だったのが、天明八年(1788)の大火の際に開門されたことから「焼けて口開く蛤」にたとえて「蛤御門」と呼ばれるようになりました。
元治元年(1864)に長州軍と薩摩・会津連合軍が戦った「禁門の変」では、同門周辺が最大の激戦地であったことから「蛤御門の変」とも呼ばれ、その際の弾痕が下方の色が薄くなった部分に幾つも残っています。
「禁門の変」で亡くなった志士のお墓と事件は坂本龍馬のお墓の記事の中にあります。
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