養源院 「江」が再興
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大河ドラマ「江」が始まってから「養源院」がよく取り上げられますね。
上の写真は拝観入口の門の北側にある閉じられた門です。
表札が凄く古く・・・字体も変わってますね。
養源院には1度だけ拝観していますが、中の撮影は一切禁止。
門から参道の写真は何度か撮っていますが、記事にするほどでもなくて、写真は仕舞い込んでいました。
「枝垂れ桜が咲いたら撮りに行こう」と思って今年の春を待ってましたが、今年は人が特に多そうなので、今のうちに記事にしておきます。
養源院 (ようげんいん) 浄土真宗遣迎院派 ◆場所はここです。
豊臣秀吉の側室・淀殿(茶々)が、父の浅井長政の霊を弔うため、文禄3年(1594)成伯法師(長政の従弟)を開山として建立したものです。
養源院の寺名は浅井長政の院号からとられました。
建立後火災に合い、元和7年(1621)徳川秀忠が夫人崇源院(淀殿の妹・江)の願いにより、伏見城の遺構を移して本堂を再建。以後、徳川家の菩提所となりました。
蓮華王院(三十三間堂)の東向かいに位置。朱色の門が三十三間堂。
◆昨日の大河ドラマに因んで・・・明智光秀の首塚があります→こちらです。
緑が濃くなると参道も活き活き。・・・そして紅葉が綺麗そう。
この写真は隣の法住寺の梅が素敵なので撮りに行った時のものです。
桜の時期になると・・・枝垂れ桜が、それは綺麗に咲き誇ることと思います。
残念ながら撮影はここまで。中では数名毎にガイドの説明を受けます。・・・血天井
の説明が怖いんです、リアルで。・・・日光を入れないようにされてて、暗くて。
血天井
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城攻防戦で、家康の命を受けて鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたものです。
武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残っています。
同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもありますが、生々しさでは養源院が一番といわれ、崇源院の秀吉への憎しみを表しているといわれています。
本堂の襖12面及び杉戸の絵(重文)8面は俵屋宗達の筆と伝え、杉戸絵には唐獅子・白象・麒麟、襖には松を描いています。
白象・・・教科書で見たことありませんか・・・絵葉書を買いました。
養源院が通称名「血天井・宗達寺」といわれる所以です。
本堂の廊下は「鶯張廊下」。左甚五郎が造ったものと伝わります。
他にも狩野山楽の襖絵など見事なものがあります。
庭園は東山連峰の阿弥陀ケ峯を遠景。作庭は、父親が浅井家・豊臣家に仕えた小堀遠州守政一。撮影は出来ません(雨戸が閉められていて少しだけ見れました)。
玄関横から本堂庭が少しでも見えないかと撮りましたが・・・左の方が本堂。・・・・・・これは2004年の撮影。正面の建物は・・・??
百日紅(さるすべり)が綺麗な時期でした。
参道脇の弁財天女
狛犬さん(狛獅子) 古そうです。
今日は撮影時期がまちまちの写真になりました。
枝垂れ桜が咲いた頃に、今年こそは是非撮りに行きたいのですが・・・今年は特に人が多そうですね。また行けないかも。(u_u。)
※後記:読売新聞 2011年5月28日(土)14時49分配信
NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の主人公、江ゆかりの「養源院」で、歩くとウグイスの鳴き声のような音がする「鶯張りの廊下」から音が消える恐れが出ている。
ドラマが始まった1月以降、観光客の急増で傷みが進んだためとみられ、すでに一部で「鳴き声」が失われたという。養源院は今春以降、廊下前に貼り紙をして「ゆっくり歩いて」と呼びかけている。
廊下は、長さ約12メートル、幅約2メートル。重要文化財のふすま絵「唐獅子図杉戸絵」(俵屋宗達筆)などが飾られている本堂にある。
養源院によると、月平均約3000人だった観光客が、1月以降、2~3倍に増加。それに伴って廊下の3割ほどで音が聞こえにくくなったという。面白がって何度も行ったり来たりしながら強く踏む観光客もいたといい、金具の緩みが進むなどしてこすれ方に変化が生じたとみられる。
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お隣の法住寺は梅が綺麗。もう直ぐですね。
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