2022年7月 2日 (土)

祇園祭始まる 2022年日程

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今年は3年ぶりに祇園祭の山鉾巡行が行われることになりました。今日は1か月を通して行われる祇園祭の日程を紹介します。例年とは異なる点もありますのでご注意ください。

昨日(7月1日)は「お千度の儀」が行われました。(長刀鉾の)稚児などが八坂神社を訪れ、選ばれたことを報告して神事(祇園祭)の無事を祈願しました。写真は京都ガイドから。

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7月2日市役所で「くじ取り式」が行われ、八坂神社に「山鉾連合会社参」によって結果を報告します。7月5日には「綾傘鉾稚児社参」があります。綾傘鉾では毎年徒歩で巡行する6人の稚児が選ばれ、選ばれたことを報告して祇園祭の無事を祈願します。

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ここからは前祭(さきまつり)の日程になります。7月10日から山鉾建てが始まります。

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午前中から14日までに23基の山鉾が組み立てられます。釘を1本も使わず、荒縄などによる縄絡みと言われる伝統技法で組み立てます。(山鉾町で日程が異なります)

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7月10日 「お迎え提灯」は中止となったようです。主祭神・素戔嗚尊を乗せる中御座神輿はこの日の夜8時頃に鴨川の水で洗い清められます(神輿洗)。「お迎え提灯」はその神輿を八坂神社でお迎えした習わしが始まりです。

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多彩な踊りや役どころからなる華やかな祭列で中止は残念ですが、子供さんが多いので仕方がありません。神輿洗は八坂神社の境内で行われるそうです。

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7月12日「山鉾曳き初め」 例年は誰でも参加できるのですが、今年は関係者のみという情報があります。一方で、一般でも並べば曳くことができるかも知れないという情報もあります。「函谷鉾」

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7月13日 「久世駒形稚児社参」(今年は役員のみとなりました) 例年は、八坂神社の祭礼である神幸祭と還幸祭で神輿の先導役を務める久世駒形稚児が八坂神社にお参りする儀式です。

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古来から「御神幸の七月十七日に訓世の駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことならぬ。若し此の駒故なくしてお滞りあるときは、必ず疫病流行し人々大いに悩む。」といわれているそうです。

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7月14~16日 宵山期間で、15日と16日は午後6時~11時の時間帯、四条通と烏丸通中心に歩行者天国となり露店も出ます。「長刀鉾」歩行者天国の前です。

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「孟宗山」の会所、一部の山鉾は会所の公開や鉾内部の開放を取りやめるそうです。

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7月17日 「山鉾巡行」 唯一のからくり「蟷螂山」

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「函谷鉾 (かんこほこ)」 鉾の名は中国古代の孟嘗君の故事に由来します。函谷関(かんこくかん)は、秦の皇帝が東方からの侵入を防ぐため、中国河南省の渓谷に設置した関所です。

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「菊水鉾」 山鉾巡行の参加者はマスクを着用せずに、ワクチン接種歴を確認、接種をしていない人は直前に検査をするそうです。また、有料観覧席数を30%減らし、席の間隔を広げます。

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7月17日 「神幸祭」 出発式は中止となり、18:00御旅所に直行します。例年ならば、八坂神社の石段下の交差点を3基の神輿の担ぎ手が埋め尽くし、盛大に気勢を上げます。

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その後3基の神輿が異なるコースで氏子地域を回り、四条御旅所に向かいます。今年はそれぞれが四条御旅所に直行するようです。

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7月18日からは後祭(後祭)です。この日「山鉾建て」が始まり、21日までに11基(鷹山含む)の山鉾が組み立てられます。7月20、21日には山鉾曳き初めがあります。「鈴鹿山」 

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7月21日~23日 宵山期間で後祭では歩行者天国はありません。

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7月24日 山鉾巡行 後祭の先頭はくじ取らずの「橋弁慶山」です。

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「北観音山」 この山もくじ取らずで2番目として橋弁慶山に続き、上り観音山ともいわれています。鉾のように囃子方が乗っていますが、屋根の上には真木・鉾頭ではなく松が乗っています。

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「鷹山」 応仁の乱以前からあったくじ取らずの山でしたが、文政9年(1826)の巡行の際、大雨で懸装品などを汚損して翌年から巡行に加わらなくなりました。今年から196年ぶりに巡行に復帰します。下は2019年の唐櫃(からびつ)。

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後祭の山鉾巡行に続く花笠巡行は中止となりました。7月24日 還幸祭 今年は四条御旅所から八坂神社に直行します。

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例年ならば祇園石段下で勇壮な神輿の差し回しが見られます。7月28日の神輿洗は境内で行われます。

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7月31日 「疫神社夏越祭」 10:00から八坂神社の境内摂社・疫神社で鳥居に取り付けられた茅輪をくぐり、護符が授与されます。祇園祭を締めくくる最後の行事です。(6月31日の写真ですが茅の輪はありません。)

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本殿の横に茅の輪がありました。熱中症とともに新型コロナにも注意して祇園祭をお楽しみください。

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2022年7月 1日 (金)

吉水と最澄・法然・親鸞

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

円山公園の東端の高台に、かって広い寺域を誇っていた安養寺があります。この辺りは「吉水(よしみず)」といい、東山からの湧水がある場所でもあります。大谷祖廟北門の前の道を北に向かいます。

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「東観荘」 かって安養寺の六つの塔頭(六阿弥、円山の六坊)の一つがあった場所で、幕末の1860年に建てられた建物と広い庭園がある老舗料亭です。

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「六阿弥」の一つ「重阿弥」では赤穂浪士が討ち入りを決定した「円山会議」が開かれました。この道を少し上ると、「左阿弥」が見えてきます。左阿弥は元和元年(1615)織田信長の甥・織田頼長により、安養寺の末寺として建立されました。

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左阿弥は幕末の嘉永2年(1849)に料亭となり、明治維新以降の御前会議(天皇が出席する重要会議)にも使われました。同様に他の六阿弥も貸し席、料亭、宿屋(ホテル)に変わっていきましたが、現存するのはこの左阿弥だけです。

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さらに坂道を上ると、タクシーが何台か止まっています。ここは木陰でトイレもあり、タクシードライバーの方の休憩場所になっているようです。上の方に鳥居が見えます。

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「吉水弁財天堂」 安養寺の境外仏堂で「吉水さん」とも呼ばれています。この地が「吉水」とよばれているのは、ここに霊泉が湧いていたからです。

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平安時代後期-鎌倉時代の建久年間(1190-1199)、青蓮寺の慈鎮(慈円)が安養寺を再興した際に、寺の鎮守として弁財天を勧請したのが始まりです。弁天財と共に宇賀神将尊を祀り、技芸や学術向上にご利益があるとされます。

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南北朝時代の1433年、技芸上達をこの弁財天に祈願した琵琶法師・源照は、後小松天皇の前で演奏する機会を与えられ、気に入られて盲人で初めて紫衣を賜りました。そのお礼に御堂を建立したことから、紫衣弁財天とも呼ばれるようになりました。

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「法然上人 閼伽の水 吉水の井」 閼伽(あか)とは仏前にお供えする水のことです。法然上人はこの地(東山吉水)に庵を結び浄土宗を開宗しました。上人の御廟や御影堂がある知恩院はこの道の先にあります。

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奥には今なお湧水があります。

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お堂の裏に「慈鎮の仏塔」(重文)があります。慈円僧正がこの地に居住した際、請雨の奇瑞(雨ごいの奇跡)があった記念として建立された供養塔と伝えられているそうです。

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基石は自然石を利用し、壺形で正面に大きく鳥居型を彫り、扉を開いた形の中に多宝、釈迦の2如来が並んで座っています。笠は大きくむっくりした形で、上部に降棟をつけて軒は反り返っています。

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前の道は北に曲がり、知恩院の鐘楼まで続いています。その手前に安養寺の山門が見えます(TOPの写真も)。「安養寺」は 正式名称を慈円山大乗院安養寺という時宗の寺で、吉水草庵とも呼ばれます。

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奈良から平安時代にかけての延暦年間(728-806)、桓武天皇の勅命によって、最澄がこの真葛(まくず)ヶ原の北東の地に創建したと伝わります。当時このあたり一帯の台地には葛やススキが生い茂り、真葛ヶ原と呼ばれていました。

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平安時代には荒廃しましたが、先ほどの慈円和尚の援助を受けた法然が承安5年(1175)にこの地に住み、吉水草庵を建てて浄土宗の教えを広め始めました。(「本堂」には阿弥陀三尊立像を祀っています。)

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法然上人の門下には関白九条兼実、武将・熊谷直実、浄土宗の一派をあみ出した高僧たちから、庶民、遊女、白拍子なども集まりました。後に浄土真宗の開祖となる親鸞上人も建仁元年(1201)に弟子になりました。「書院」

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弟子が増えて中、西、東の三坊に拡張されました。しかし、建永元年(1206)「承元の法難」によって、法然上人は土佐、後に讃岐に流罪となり、浄土宗の一大拠点の吉水草庵は大打撃を受けました

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そこで慈円和尚が本格的に復興に着手し、法華懺法(せんぼう)の専門道場・大懺法院を建立しました。それによって寺勢は回復し、慈円は吉水僧正、吉水大師と呼ばれました。このころ山号が慈円山となり、寺も円山(まるやま)と呼ばれたそうです

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南北朝時代の永徳年間(1381-1383)に、時宗の国阿(こくあ)上人が入寺して以後、時宗十二派の一つ霊山派(現、国阿派)に属しています。 本堂の左から山道が知恩院の御廟の前の「一心院」まで続いています。

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安養寺は時宗の寺となりましたが、今日でも法然・親鸞両上人ゆかりの地、念仏の根本道場として浄土宗、浄土真宗をとわず念仏信者の参詣が絶えないそうです。本堂の裏から上のお堂まで石段が続いています。

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「圓山 聖天堂」 かっては「雨宝堂」とよばれ、生駒聖天より勧請された大聖歓喜天尊を祀ります。ここは東山三十六峰の22番目、円山(標高98m)の山頂です。目立ちませんが、西山に落ちる夕陽が美しいことで知られます。

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もう一度本堂の前に戻ります。桂樟蹊子(かつらしょうけいし)の句碑「露けしや真葛ヶ原に石の階」 桂樟蹊子(1909-1993)は水原秋桜子門下で、「馬酔木」や「京大俳句」を経て、「霜林」を主宰しました。

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石段参道の途中にある墓地に「都をどり」創設者の一人の「尾田木ゆう」の墓があります。都をどりは明治5年(1872)の第一回京都博覧会の余興として行われ、翌年には常設会場として祇園甲部歌舞練場が建てられました。

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明治の上知令によって安養寺は境内の大部分と多くの建物を失いましたが、後に公園となった「円山公園」にその名を残しています。(以下は秋の写真です。)

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安養寺から直接円山公園に下ることもできます。何軒かある料亭の間の道を下ると、ひょうたん池に流れ込む小川に出会います。

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