2018年11月15日 (木)

三千院 二つの庭園 2018紅葉

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

宝泉院を出て、三千院の「御殿門」まで戻ってきました。堅牢な城門のような造りと高い石垣は、かっての門跡寺院をしのばせる風格があります。「三千院」は山号を魚山(ぎょざん)という天台宗の寺院ですが、三千院は明治になってからの名称です。

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三千院は、奈良時代の延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔に築いた円融房(えんにゅうぼう)に始まり、その後慈覚大師円仁に引き継がれました。(拝観入り口を過ぎると、最初に客殿に上がります。)

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「客殿」は安土桃山時代の天正年間(1573-1592)の建立で、御所の修復の際に豊臣秀吉から提供された紫宸殿の余材が使われたといいます。

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平安後期以来、三千院は皇子皇族が住持を務める宮門跡となり、寺地は比叡山内から近江坂本、京都市中と移動しました。(客殿の南に広がる庭は「聚碧園」と呼ばれる池泉鑑賞式庭園で、作庭者は不明だそうです。毛氈のあるところは有料のお茶席です。)

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移転するつど、寺名も円融房から、梨下房、円徳院、梨下門跡、梶井門跡と変わりました。(聚碧園は江戸時代の茶人金森宗和が美しさに感動して自ら手を加えたといわれ、彼が作庭したという説もあります。)

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この池には音無しの滝の水が律川を経て流れ込んでいます。この庭のカエデは色づき始めたばかりのようです。向こうの渡り廊下は「円融房」に続いていますがこの日は通れませんでした。現在の円融房は収蔵庫と展示施設を兼ねた建物です。

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この庭園の一番高いところに五重塔を思わせる灯籠があり、斜面に沿って万里の長城のように寄せ垣が続いています。

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明治維新後、門跡の昌仁法親王は還俗して新たに梨本宮家を起こしました。梶井門跡の仏像や仏具類は大原にあった政所に移され、新たに三千院と称して現在に至ります。政所は大寺院の寺務や雑務を行う場所です。「法洗心」(右)と「清浄水」(左)

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「宸殿」は三千院の最も重要な法要である「御懴法講(ごせんぼうこう)」の道場として、大正15年(1926)に建てられ、本尊・薬師瑠璃光如来が安置されています。現在瓦の葺き買え工事中で、来年5月完成の予定だそうです。

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池泉回遊式庭園の「有清園」に降ります。三千院の境内・庭園は4段になっていて、先ほど見た聚碧園が一番下、この庭は2段目になります。正面は往生極楽院で、手前の青苔の上に紅葉の葉が積もっています。

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有清園の名は中国南朝宋の詩人、謝霊運の「山水有清音」という句に由来するのだそうです。こちらの紅葉は、下より色づきが進んでいるようです。

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庭園の東(山の方向)には池があり、斜面に造られた「細波の滝」から水が流れ込みます。

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池にも紅葉の葉が

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「往生極楽院」(重文) 平安時代中期の986年、恵心僧都源信(942-1017)が父母の菩提のために、姉の安養尼とともに建立しました。正面に回り込むと、遠くからでも国宝の阿弥陀三尊(坐像)が見えます。

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「朱雀門」 往生極楽院の正面にある朱塗りの門で、かって極楽院が本堂だった頃の正門にあたります。呂川沿いの道に面しています。

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有清園の南東の苔地に、石彫家の杉村孝氏の作品の「わらべ地蔵」が置かれています。それぞれ穏やかな顔をしていていつも癒されます。

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杉村孝氏は昭和12年(1937)藤枝市の石材店の三男に生まれ、全国的に認められたのは50歳近くになってからです。作品に似合わず、強い反骨精神の持ち主で熱心な平和運動家でもあり、最後の無頼派芸術家とも呼ばれています。

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平和を求め人を救いたいという強い願いが、わらべ地蔵の表情となって表れているのでしょう、最近では宗派を問わずたくさんのお寺に作品が置かれるようにりました。池のほとりにもいます。

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このあと、さらに上の境内に上ります。

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2018年11月14日 (水)

宝泉院 2018紅葉

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

大原に行ってきました。今年の10月3日にも訪れて実光院と勝林院を記事にしましたが、今度はそれら以外の寺院を訪れました。上は三千院門前通り、下は坂道参道の途中にある「志ば久」の見晴らし台(しそ畑)です。新しい紫蘇が植えられていました。

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三千院の石段、この上がTOPの写真の三千院門前通りです。

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芹生茶屋の前に若菜屋さんの出店がありました。「京栗菓司 若菜屋」は千本今出川に本店がある栗納豆のお店で、栗阿弥(渋皮煮)や焼き栗きんとん、丹波黒豆納豆などがあります。

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最初に宝泉院を訪れるので、三千院の前を通り過ぎます。下は門前通りの端にある「京美茶屋」。

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「律川」にかかる小橋を渡ります。

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通りの突き当りに「勝林院」があります。法然上人の「大原問答」で知られた天台仏教の中心道場です。

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勝林院の前にある「法然腰掛石」のところで左に曲がります。

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「宝泉院」は、勝林院の僧坊として平安時代中期の長和2年(1012)に創建されました。

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正面の庭を囲む塀がなくなり、小さな柵があるだけです。先日の台風21号の被害リスト(京都府による)には含まれていなかったので、理由があって撤去したのかも知れません。右にある「法然衣掛け石」の看板が見当たりません。

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山門の右手にある建物(庫裏)から入ります。

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廊下の右手にある「囲炉裏の部屋」 正面の庭は「鹿野苑」といい、滝から水が流れてきます。

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廊下の左にある中庭の「鶴亀庭園」 江戸中期の作で、池の形が鶴、築山が亀、左奥の山茶花の古木を蓬莱山とみるのだそうです。 奥の隅に樹齢300年の沙羅双樹があります。

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鶴亀庭園は、客殿の格子窓から鑑賞するのが一番よい景色だといわれています。

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拝観料にはお茶券(お茶菓子付き)がついていて、客殿の毛氈の上でいただきます。この庭は「盤桓園(ばんかんえん)」といい、盤桓とは立ち去りがたいという意味だそうです。

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「理智不二(りちふに)」と名付けられた珍しい二連式の水琴窟があります。竿の先に耳をつけると軽やかな音色が聞こえます。向うには大原の里が広がっているはずですが、近代に竹林を設けて借景としたといわれています。

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こちら側の中央は、近江富士を型どった樹齢700年の五葉松。京都市指定の天然記念物で、市内にある3つの著名な松の一つです。あとの二つは、金閣寺の「陸舟の松」と善峯寺の「遊龍の松」だそうです。

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ご住職が部屋に来て、宝泉院と庭の説明をしていただきました。太い幹の一つの樹皮が剥がれて、治療をしているそうです。樹皮が回復することはなく、これ以上症状が進まないことを願っているそうです。

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また、本来は部屋の奥から眺めるのを前提とした額縁庭園だとおっしゃっていましたが、毛氈が庭の前に敷いてあるので皆がそこに座っています。圓徳院では部屋の奥に毛氈が敷いてあったのですが、こちらは混雑するので仕方がないのかも知れません。

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庭への出入り口、最初に見た塀の代りの柵が左にあります。

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建物を出て、山門の左にある庭園「宝楽園」に行きました。平成17年に園治(えんや)により作庭された新しい庭です。

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中央が谷底のような低地になっていて、白砂の上に置石、立砂、蹲、石橋などが配置されています。

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びっくりするような真っ赤なモミジがありました。

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