2022年1月21日 (金)

東寺 御影堂と大日堂

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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観智院を出て東寺の北大門を入ると正面は食堂(じきどう、上の写真)です。今日は境内の西にある重要なお堂に向かいます。下は北大門の西にある「宝物館」で春と秋に公開します。

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左の「地蔵菩薩立像」(平安時代、重文)は東寺とともに平安京を守る役目を担った西寺からの伝来、右の「兜跋(とばつ)毘沙門天立像」(唐時代、国宝)は平安京の羅城門の楼上に祀られていました(宝物館)。

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境内の北西にある御影堂の門

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右の説明板には、「西院 大日堂・回向所 御影堂・祈願所」と書いてあります。この一画は、かっては西院とよばれ弘法大師・空海の住坊でした。

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「御影堂(大師堂)」(国宝)は、室町時代の1380年に建立され、その後増築、再建され、後堂(うしろどう)、前堂(まえどう)、中門(ちゅうもん)の3つの建物で構成されています。

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「大日堂」 役行者(えんのぎょうじゃ)作と伝わる胎蔵界大日如来を祀っています。元禄11年(1698)に御影堂の礼拝所として建立され、御影堂の向かいにあります。

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当時は一般の参拝者は御影堂には入れず、ここから弘法大師を拝したそうです。

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御影堂は2019年に修復工事が完了しました。かって空海が住んでいたころと同じように、毎朝6時から、一の膳、二の膳、お茶をお供えする生身供が鎌倉時代から続いているそうです。

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御影堂では、弘法大師・空海が唐より持ち帰った仏舎利を頭と両手にそっと授けていただく法要が行われ、誰でも参拝できます。

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前堂に安置されている「弘法大師像」(国宝) 鎌倉時代の1233年に運慶の息子・康勝(こうしょう)によって製作され、弘法大師像としては最古のものです。西寺の五重塔が全焼して西寺が歴史から消えた年でもあります。

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この記事は編集中です。完成までしばらくかかりますのでよろしく。

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御影堂の西に鐘楼があります。後ろの建物は洛南高校・中学。

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「梵鐘」は足利尊氏が寄進したといわれ、室町時代(1348年)に完成、現在のは複製だそうです。

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「西門」 向こうは「東寺通」で、ここからも出入りできます。

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空海は、ここで講堂の立体曼荼羅を構想して造営工事の指揮をとりました。

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2022年1月20日 (木)

観智院と宮本武蔵 絵画や茶室

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東寺塔頭の観智院の本堂にお詣りした後、書院と茶室に上がり、室内の絵画を見て回ります。最後に観智院における宮本武蔵の足跡を紹介します。

「書院」は僧侶の私室、居間をさし、床の間と襖の全面は浜田泰介によって「四季の図」が描かれています。(室内の写真は観智院のパンフレットからの転載です。)

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各部屋は「春の朝」、「初夏の芽」、「秋の音」、「新雪」と題された作品からなり、浜田泰介の繊細さと大胆さをあわせ持った筆致で鮮やかに彩られています。

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書院では写経ができるそうです(当日受付)。北の茶室に向かう廊下には雪見障子があり、内庭の枯山水が見えます。

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茶室の前から振り返って。

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茶室「楓泉観」は、室町時代を中心に足利家や上流武士が楽しんだ書院風の茶室で、貴人口を持つ本席と奥の席からなります。

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上の本席の床の間にある「楓泉観」という額は、明治時代に山階宮晃親王が揮毫したものです。

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この茶室には襖絵が多く、江戸幕府御用絵師の狩野氏信筆の楼閣山水図や尾張の南画を代表する中林竹洞筆の秋草図があります。*写真はありません。

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広大な露地庭には鹿威(ししおどし)や蹲踞(つくばい)、石灯籠、井戸などがならべられ、それぞれに飛び石が続いています(TOPの写真も)。

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遠くの塀沿いには観音様の石像がありました。つつじ、あじさい、かえでなどの季節を彩る植物が植えられ、心が洗われるような空間をつくりあげています。

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今の時期は色彩に乏しく、少しさびれた雰囲気もします。こちらは鹿威。

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書院と茶室を結ぶ廊下の片隅に坪庭がありました。

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ところで、映画やドラマでおなじみの剣豪・宮本武蔵は実在の人物で、全国にその足跡を残しています。江戸時代初めの慶長9年(1604)武蔵は、幕府の指南役だった吉岡一門と決闘をしました。

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吉岡清十郎、伝七郎を倒した後、清十郎の子である又七郎を一乗寺下り松の決闘において倒すと、吉岡一門からの報復を避けるためにこの観智院に身をひそめました。武蔵21歳のときです。(以下は客殿)

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吉岡一門と決闘したことは史実で、その子孫の染色家の吉岡家にはある剣豪との勝負に敗れて道場を廃業したと伝わっているそうです。観智院には3年間ほど滞在し、客殿の上段の間に「鷲図」、「山水図」、「竹図」を残しています。

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「鷲図」は、2羽の鷲が対峙してにらみ合う緊迫した場面を、筆法鋭く覇気迫る描き方をしています。劣化が激しく地面に伏せて待ち構える右の鷲は不鮮明ですが、左の鷲は鋭い眼光が分かります。

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襖絵の「竹図」では、二本の竹が交差する様が、あたかも武蔵の二刀流であるかのように張り詰めた緊張感をもって描かれています。

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上の鷲図は、後に巌流島で対決した宮本武蔵と佐々木小次郎を暗示しているかのようだと評する方もいます。

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山門を出ると、洛南高校・中学の下校時間のようです。

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北大門から東寺に戻りました。

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