2019年10月21日 (月)

山住神社と岩倉川

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jnz_3696a
※写真は全てクリックで拡大します。

岩倉の寺社を訪れて帰宅するため、岩倉川に沿って宝ヶ池の方に向かいました。実相院の前の府道を東に行くと岩倉川にかかる「目無橋」があります(上の写真)。

橋の名は、川を少し下ったところにある「目無地蔵」に由来しています。この地蔵は延命地蔵菩薩ですが、いつの頃からか目無地蔵と呼ばれてきたようです。

Jnz_3698a

この日は自宅から自転車に乗ってきたので、帰りは下り道で快適です。下は「源助橋」、由来は分かりません。

Jnz_3710a

「岩倉具視幽棲旧宅」の方に行く道の角に道標があります。絵の下に岩倉観世音(以下埋没)と刻まれ、岩倉観音(観世音菩薩)は大雲寺のことです。

Jnz_3714a

このあたりは比叡山が間近に見えます。山の上の方にケーブルカーとロープウェイの駅が白い二つの点となって見えます。

Jnz_3719a

更に下っていくと、石座神社の幟(のぼり)が見えてきました。

Jnz_3722a

「山住(やまずみ)神社」 山住は山祇(やまずみ)、すなわち山の神霊のことだそうです。かつては石座大明神と呼ばれ、石座神社の旧社地で現在はその御旅所になっています。

Jnz_2984a

平安遷都(794年)の際、王城鎮護のため都の東西南北に岩倉が設けられ、それぞれ、青龍、白虎、朱雀、玄武の四神を祀り経典を埋めたといわれます。このうちの北岩倉が山住神社とされます。

Jnz_3761a

ちなみに、東岩倉は大日山(東山)、南岩倉は男山(八幡市)、西岩倉は金蔵寺(西京区)だそうです。小さいながらも手水鉢があります。

Jnz_3755a

平安時代中期の971年、大雲寺が建立されると、石座大明神が鎮守社として(現在の石座神社の場所に)遷され、八所・十二所明神社と呼ばれました。その際、この社は御旅所となりました。

Jnz_3727a

山住神社には社殿はなく、神が降臨する磐座(いわくら)と神を拝む場所(拝殿)からなり、日本の古代信仰の形態を残しています。

Jnz_3736a

斜面の上の巨石が磐座で、その前に小さな祠があります。

Jnz_3742a

この磐座は、平安時代の『栄花物語』には「岩蔵」と記され、鎌倉時代には「岩倉」と書かれました。現在の岩倉の地名は、ここが発祥の地ということができます。

Jnz_3745a

明治時代になって、八所・十二所明神社が石座(いわくら)神社と改称され、この地は岩倉(石座)の名を譲って山住神社と改められました。社務所もあります。

Jnz_3730a

山住神社を出る頃には、日が暮れかかってきました。

Jnz_3751a

岩倉川は、岩倉盆地の長谷山を源流として上流で長谷川を集め、下流の宝ヶ池で長代川と東川を集め、上高野で高野川に、出町で鴨川に合流します。

Jnz_3766a

「十王堂橋」の上から 橋の名はかって近くにあった十王堂が由来だそうです。このあたりから土手にコスモスが群生しています。

Jnz_3776a

岩倉川は田畑を灌漑する動脈河川としての役割を担っています。しかし、近年の土地区画整理事業によって上流域の住宅建設が進んだことから、河川断面積の不足が生じてきました。

Jnz_3788a

流れの急激な屈曲も多く、浸水被害の要因となっているため、京都府市はその改修整備を行ってきました。景観と動植物の生育環境に配慮して護岸に深目地ブロックが採用されました。

Jnz_3790a

深目地ブロックとは、表面に天然石を使用し、深目地部に土が詰まることにより植生の回復を促すものです。コスモスの生育にも適しているようです。

Jnz_2979a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jnz_2973a 

| | コメント (1)

2019年10月20日 (日)

大雲寺 岩倉の古刹は再建中

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jnz_3224a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の石座神社の東と西に大雲寺の境内と旧境内があります。最初に旧境内地を訪ねて西(上の写真の左)の石段を上ります。

「大雲寺」は天禄2年(971年)日野中納言藤原文範が真覚を開山として創建したのに始まり、当初は園城寺(三井寺)の別院でした。

Jnz_3563a

文範は紫式部の曽祖父(式部の母の祖父)です。真覚は藤原敦忠の子で、村上天皇に近侍していましたが、天皇没後に比叡山で出家していました。「冷泉天皇皇后昌子内親王岩倉陵」

Jnz_3565a

永観3年(985年)には、朱雀天皇皇女で冷泉天皇皇后・昌子内親王により、寺内に観音院が建立されました。このことから昌子内親王は観音院太后とも称されました。真覚の子の文慶法印が観音院の初代別当となりました。

Jnz_3567a

「北山病院」の建物の間を通って、西の山際に行きます。旧境内地はすべてこの病院の敷地内にあります。

Jnz_3579a

園城寺長吏、法性寺座主を務めた僧余慶(智弁)は、天元4年(981)一門の僧数百人を連れて大雲寺へ移りました。これは余慶らの寺門派(園城寺)と山門派(延暦寺)との対立が背景にあり、余慶は観音院僧正とも呼ばれました。「不動の滝」(妙見の滝)

Jnz_3611a

古来から大雲寺では心の病を癒やす加持祈祷が行われていました。この滝は垢離場(こりば)といい、滝行をすると心の病が本復するとして全国から多くの方が集まってきたそうです。(左に妙見菩薩、右に不動明王を祀っています。)

Jnz_3600a

江戸時代中期の宝暦年間(1751-1764)頃から、大雲寺は諸国より多くの心に病を持つ人々が集まる療養地となりました。その人々の滞在を引き受けた籠屋(こもりや、後の保養所)の一つが後の北山病院です。

Jnz_3598a

余慶の頃の大雲寺・観音院は、多くの伽藍を有する大寺院でしたが、その後の寺門・山門の抗争により、寺門派の拠点であった大雲寺はたびたび兵火に見舞われ、焼失を繰り返しました。(「閼伽井(あかい)堂」)

Jnz_3614a

かっては背後の山の山腹に朝日妙見が祀られ、洛陽十二妙見霊場の筆頭だったといわれています。

Jnz_3619a

「閼伽井」は別名を智弁水といい、智弁僧正(余慶、918‐991)が霊水を求めて密教の秘法を修めたとされます。干ばつにも降雨にも増減しない「不増不滅の水」といわれ、平安時代から心の病、目の病に霊験があると信仰をあつめています。

Jnz_3622a

また、大雲寺文慶(もんけい)上人(965‐1046)の夢に跋難柁龍(ばつなんだりゅう)王が現れこの地に名水ありとお告げがあり、左の袂で大地をさすると霊水が湧き出したという伝承もあるそうです。

Jnz_3637a

お堂の裏には石仏や石塔が残されています。

Jnz_3639a

Jnz_3646a

『源氏物語』の「若紫」の巻で、小童の幻想が現れるという「わらわ病」にかかった光源氏が、修験者による加持祈祷を受けた「北山のなにがし寺」は大雲寺といわれています。源氏は不動の滝付近で若紫を垣間見て、後に二人は生涯を共にします。

Jnz_3674a

保延2年(1136年)には当時残っていた大雲寺の伽藍が全焼しました。(石座神社の鳥居の前の通りを東に行くと阿弥陀如来坐像の「三面石仏」があります。)

Jnz_3409a

石仏の隣に、「万里小路中納言藤房卿髪塔」があります。中央の宝篋印塔が遺髪塚で、鎌倉時代後期から南北朝時代の作といわれています。藤原藤房は1334年に大雲寺の掛所・不二房で出家しました。

Jnz_3415a

掛所は別院あるいは別院の支院のことだそうです。大雲寺は南北朝時代を舞台にした『太平記』に登場します。この横が現在の大雲寺の入口です。

Jnz_3431a

大雲寺は元亀2年(1571年)の織田信長の比叡山焼き討ちでも焼失しました。

Jnz_3552a

江戸時代に入り、寛永年間(1624 - 1644)後水尾天皇の援助を受けて、実相院門跡義尊により本堂等が再建されました。井原西鶴『好色一代女』にも大雲寺が登場します。

Jnz_3468a

明治時代の廃仏毀釈の中(1879年)掛所の宝塔院、正教院、不二坊が廃絶しました。

Jnz_3462a

再建された本堂も、昭和60年(1985)再び火災により焼失して、石座神社の東のこの地に移転しました。秘仏ならびに寺宝類は全て無事で、仮本堂に保管されています。「仮本堂」

Jnz_3449a

現在の大雲寺は天台寺門宗系単立寺院(天台証門宗本山)で、本尊は十一面観音菩薩です。正面の壁の上に乗っているのは仁王像のようです。

Jnz_3453a

仮本堂までの参道横に芭蕉句碑「いざさらば雪見にころぶ処まで」、江戸時代中期の1784年に岩倉の伊佐家により立てられたそうです。ただし、俳句の舞台は岩倉ではないという説もあります。

Jnz_3554a

かっての大雲寺の「梵鐘」(国宝)は、平安時代の858年に鋳造され、比叡山西塔の宝幢院にあったものです。京都では妙心寺の梵鐘に次ぎ古く、現在は佐川美術館所蔵になっています。句碑の奥に小さな池があり、中の島と橋もあります。

Jnz_3521a

仮本堂の横に小さな墓地があり、その奥にこの看板がありました。建築確認が平成3年(1991)と随分前なのが気になりますが、今度も必ず本堂が再建されると信じています。

Jnz_3486a

仮本堂から離れたところに覆屋があり、中には「閼伽井堂双龍大権現」が祀られています。

Jnz_3525a

現在のご住職は叡山学院の教授を務める一方、心の病の加持祈祷だけでなく、うつ病に悩む人々が集う会を組織するなど様々な活動を通じて、1000年続いた大雲寺の伝統を守っています。

Jnz_3532a

Jnz_3533a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jnz_3466a 

| | コメント (1)

«石座神社 岩倉発祥の守り神