2019年8月20日 (火)

円山公園 東部の高台からひょうたん池へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の安養寺付近には、いくつかの旅館や料亭がたたずんでいます。それらを見ながら円山公園の中心部のひょうたん池を目指します。

左阿弥から坂道を少し上ったところに「其中庵(きちゅうあん)」があります。昭和初期に建てられた古風な建物に2組限定の家庭的な雰囲気で、朝食のみの片泊りの宿です。

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下はGoogleMapで、自由に移動や拡大・縮小して旅館や料亭の位置を確かめることができます。

昨日の吉水弁財天堂の前を通り、安養寺の手前(南)に、吉水と書いた看板があります。左の石柱は大聖歓喜天堂(圓山聖天堂)への参道を示す道標です。

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「お宿吉水」 料理旅館だった築百年の建物を使い数年前にオープンした片泊まりの宿です。余計なものを置かず、歯ブラシやタオルは客が持参、布団の上げ下ろしはセルフサービス、テレビや電話はなく、冷蔵庫も共用のシンプルな宿です。

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「天青庵」 数十年もの間無人の家を、陶芸家・原口卓士さん夫妻が改装して数年前にオープンした片泊りの宿です。原口さんの作品が客室や外にも置かれていて、くつろげそうな雰囲気です。最近五条坂にゲストハウスをオープンしたそうです。

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猫の出入り口発見! この宿の右手に圓山聖天堂への坂道があり、途中から将軍塚への山道が別れます。

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安養寺の前の通りは知恩院の大鐘楼の前まで続いています。遅くなると、柵が閉まります。

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知恩院の大鐘楼の前から西に行くと「井雪」があります。3室しかない部屋からの見晴らしはよく、朝食は京都一という方もいます。完全紹介制のちょっと贅沢なお宿です。

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前の芝地は桜苑になっていて、休憩所があります。桜の季節でもここまで上ってくる人は少なく、ちょっとした穴場です。

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「蘇鉄庵」 左阿弥の施設の一つで、春には絶景の景色の中でお茶事が行われるそうです。左に大きな蘇鉄があります。上の二つの宿は高台の崖の上に立っていますが、南に行くともう一軒の宿があります。  

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「未在(みざい)」 緑に囲まれた風情ある和室で、茶懐石料理を堪能できる完全予約制のお店。中庭を眺められるカウンター席もあるそうです。

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横の石段を下る途中に赤穂藩医・寺井玄渓の「夢」の碑があります。玄渓は自身も討ち入りに加わろうとするも止められました。

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内蔵助たち旧知の同僚の切腹を知り、「人生ははかない夢のようだ」と感じて、近くの岩に「夢」の字を彫ったといわれています。長楽寺の頼山陽の墓の先に寺井玄渓の墓があります。

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少し北の崖に滝があり、水が小川となって西に流れていきます。かっては琵琶湖疏水の水を引いていましたが、現在は井戸水をくみ上げているそうです。

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未在の下(西)に「京料理 いそべ」 懐石料理、鱧や生ゆばなどの京料理のお店で、お土産に自家製京生ゆばがあります。この西に、

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「坂本龍馬と中岡慎太郎の像」があります。昭和11年(1936)に京都高知県人会有志により建立され、大戦中に供出、昭和37年に再建されました。霊山護国神社の龍馬の墓の前にある像を拡大したものだそうです。

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先ほどの小川に沿って西に歩きます。向う側には和風スイーツの「茶菓円山」や貸別荘「円山こうらい」があるはずですが、営業しているところは見たことがありません。その辺りが工事中のようです。

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小川はしばらく川底を修復工事中でしたが、現在は綺麗になって水が流れています。

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円山公園の中心にあるひょうたん池が見えてきました。

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このあたりはいつも大勢の観光客がいます。ほとんどが外国人の方のようでした。

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橋の上から北の方、桜や紅葉、ライトアップのときは美しい景色になります。

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南岸に昨年3月にオープンした「円山きょうとかふぇ」があります。カフェに、酒類、丼、麺類、カレーなどの軽食があります。レトロな店内から池を見下ろせます。

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木に隠れて建物は見えませんが、今まで巡ってきた高台の方。

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2019年8月19日 (月)

安養寺とゆかりの地を訪ねて

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の長楽寺を出て、大谷祖廟北門の前の道を北に向かいました。ここは円山公園の東端で、かって広い寺域を誇っていた安養寺のゆかりの地が点在します。

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「東観荘」 かって安養寺の六つの塔頭(六阿弥、円山の六坊)の一つがあった場所で、幕末の1860年に建てられた建物と広い庭園がある老舗料亭です。

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「六阿弥」の一つ「重阿弥」では赤穂浪士が討ち入りを決定した「円山会議」が開かれました。この道を少し上ると、「左阿弥」が見えてきます。左阿弥は元和元年(1615)織田信長の甥・織田頼長により、安養寺の末寺として建立されました。

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左阿弥は幕末の嘉永2年(1849)に料亭となり、明治維新以降の御前会議(天皇が出席する重要会議)にも使われました。同様に他の六阿弥も貸し席、料亭、宿屋(ホテル)に変わっていきましたが、現存するのはこの左阿弥だけです。

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さらに坂道を上ると、タクシーが何台か止まっています。ここは木陰でトイレもあり、タクシードライバーの方の休憩場所になっているようです。上の方に鳥居が見えます。

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「吉水(きっすい)弁財天堂」 安養寺の境外仏堂で「吉水さん」とも呼ばれました。かって霊泉が湧いていたことから、この地が「吉水」とよばれたそうです。

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平安時代後期-鎌倉時代の建久年間(1190-1199)、青蓮寺の慈鎮(慈円)が安養寺を再興した際に、寺の鎮守として弁財天を勧請したのが始まりです。弁天財と共に宇賀神将尊を祀り、技芸や学術向上にご利益があるとされます。

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南北朝時代の1433年、技芸上達をこの弁財天に祈願した琵琶法師・源照は、後小松天皇の前で演奏する機会を与えられ、気に入られて盲人で初めて紫衣を賜りました。そのお礼に御堂を建立したことから、紫衣弁財天とも呼ばれるようになりました。

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「法然上人 閼伽の水 吉水の井」と書いてあります。閼伽(あか)とは仏前にお供えする水のことです。法然上人はこの地(東山吉水)に庵を結び浄土宗を開宗しました。上人の御廟や御影堂がある知恩院はこの道の先にあります。

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奥には湧水があります。

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お堂の裏に「慈鎮の仏塔」(重文)があります。慈円僧正がこの地に居住した際、請雨の奇瑞(雨ごいの奇跡)があった記念として建立された供養塔と伝えられているそうです。

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基石は自然石を利用し、壺形で正面に大きく鳥居型を彫り、扉を開いた形の中に多宝、釈迦の2如来が並んで座っています。笠は大きくむっくりした形で、上部に降棟をつけて軒は反り返っています。

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前の道は北に曲がり、知恩院の鐘楼まで続いています。その手前に安養寺の山門が見えます(TOPの写真も)。「安養寺」は 正式名称を慈円山大乗院安養寺という時宗の寺で、吉水草庵とも呼ばれます。

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奈良から平安時代にかけての延暦年間(728-806)、桓武天皇の勅命によって、最澄がこの真葛(まくず)ヶ原の北東の地に創建したと伝わります。当時このあたり一帯の台地には葛やススキが生い茂り、真葛ヶ原と呼ばれていました。

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平安時代には荒廃しましたが、先ほどの慈円和尚の援助を受けた法然が承安5年(1175)にこの地に住み、吉水草庵を建てて浄土宗の教えを広め始めました。(「本堂」には阿弥陀三尊立像を祀っています。)

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法然上人の門下には関白九条兼実、武将・熊谷直実、浄土宗の一派をあみ出した高僧たちから、庶民、遊女、白拍子なども集まりました。後に浄土真宗の開祖となる親鸞上人も建仁元年(1201)に弟子になりました。「書院」

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弟子が増えて中、西、東の三坊に拡張されました。しかし、建永元年(1206)「承元の法難」によって、法然上人は土佐、後に讃岐に流罪となり、浄土宗の一大拠点の吉水草庵は大打撃を受けました

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そこで慈円和尚が本格的に復興に着手し、法華懺法の専門道場・大懺法院を建立しました。それによって寺勢は回復し、慈円は吉水僧正、吉水大師と呼ばれました。このころ山号が慈円山となり、寺も円山(まるやま)と呼ばれたそうです

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南北朝時代の永徳年間(1381-1383)に、時宗の国阿(こくあ)上人が入寺して以後、時宗十二派の一つ霊山派(現、国阿派)に属しています。 本堂の左から山道が知恩院の御廟の前の「一心院」まで続いています。

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安養寺は時宗の寺となりましたが、今日でも法然・親鸞両上人ゆかりの地、念仏の根本道場として浄土宗、浄土真宗をとわず念仏信者の参詣が絶えないそうです。本堂の裏から上のお堂まで石段が続いています。

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「圓山 聖天堂」 生駒聖天より勧請された大聖歓喜天尊を祀ります。かっては「雨宝堂」とよばれ、吉水弁財天堂、本堂(本坊)とともに、現存する安養寺の建物の一つです。

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ここは東山三十六峰の22番目、円山(標高98m)の山頂です。21番の華頂山(将軍塚、標高216m)と23番長楽寺山(標高190m)の間にあり目立ちませんが、西山に落ちる夕陽が美しいことで知られています。

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もう一度本堂の前に戻ります。桂樟蹊子(かつらしょうけいし)の句碑「露けしや真葛ヶ原に石の階」 桂樟蹊子(1909-1993)は水原秋桜子門下で、「馬酔木」や「京大俳句」を経て、「霜林」を主宰しました。

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石段参道の途中にある墓地に「都をどり」創設者の一人の「尾田木ゆう」の墓があります。都をどりは明治5年(1872)の第一回京都博覧会の余興として行われ、翌年には常設会場として祇園甲部歌舞練場が建てられました。

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明治の上知令によって安養寺は境内の大部分と多くの建物を失いましたが、後に公園となった「円山公園」にその名を残しています。

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