2020年9月23日 (水)

浄福寺 その歴史と赤門寺

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Joe_2108a
※写真は全てクリックで拡大します。

「浄福寺」は山号を恵照山という浄土宗の寺院です。赤門寺とも呼ばれていますが、その理由は後ほど。上と下は一条通に面する南門。

Joe_2106a

「浄福寺」の創建は9世紀後半とみられ、延喜7年(907)の官符に「浄福寺は、東院皇后(班子女王)の御廟にして、定額僧四口、聴衆・立義おのおの一人を置く」とあり、班子女王(853~900)の御願として建立されました。鎮守社の「弁財天社」

Joe_2092a

班子女王は、仲野親王(792~867)の王女で桓武天皇の孫にあたり、仁明天皇の第3皇子・時康親王の夫人でした。時康親王は有力な皇族の一人でしたが、当初は皇位継承の望みは薄かったといわれています。「引摂(いんじょう)地蔵堂」と墓地(右)

Joe_2075a

引摂とは仏や菩薩が衆生を救い、悟りに導びくことだそうです。寛文年間(1661-1673)に引接地蔵は洛陽四十八願所の霊場のひとつになりました。

Joe_2088a

陽成天皇が時の権力者・藤原基経によって廃位され、時康親王は894年に即位して光孝天皇となりました。不遇時代の伝承があります。自ら炊事して薪で煤けた部屋を黒戸として保存。下の「本堂」は1731年-1733年の再建で、阿弥陀如来像を祀っています。

Joe_2072a

町人から多くの物を借用、即位すると彼らが参内して返却を迫り宮中納殿の物で返却した等です。班子女王も自ら市に出て買い物をしていたので、夫の即位後も一日に一度は「物が買いたい」と市巡りをしたといわれます。

Joe_2074a

897年光孝天皇が崩御すると子の宇多天皇が即位、さらに醍醐天皇が即位すると娘の為子内親王が妃となりました。

Joe_2050a

しかし、899年為子内親王は産褥のため死去し、班子女王も翌年亡くなりました。下は1734年に再建された「玄関」、後ろに「書院」があります。

Joe_2026a

室町時代には知恩院・超誉存牛に帰依した後柏原天皇の勅許によって三昧堂が建立されて浄土宗との兼学となり、1571年に崇林(そうりん)が入寺して浄土宗に改められ、翌年知恩院末寺となりました。

Joe_2028a

安土桃山時代の1587年には相国寺門前北に移転、江戸時代初めの1615年に現在地に移りました。「釈迦堂」(1756年再建)には、鎌倉時代作の、京都で唯一残っている清凉寺式釈迦如来立像を安置しています。
Joe_2023a

江戸時代前期の1666年に幕府は建物の上屋の梁間を3間(5.9m)内に制限するとの御触書を発し、全国の寺院に適用されました。一方、梁に直角に渡す水平材の長さ(桁行)の規制はありませんでした。

Joe_2059a

そこで、浄福寺は本堂の再建時に、南の礼堂と北の仏殿の間を繋いで本堂とし、外観は二つの建物、内部は一続きの奥行き9間の大広間を造りました(上の写真)。下は「千体薬師堂」

Joe_2007a

役人は違法ともいえず黙認したとされ、「日本最古の違法(脱法)建築」として建築家や研究者の間では知られていたそうです。千体薬師堂の厨子

Joe_2016a

幕末には、西郷隆盛が薩摩藩士700名を伴って上洛、錦小路の京都藩邸や相国寺西の二本松藩邸に宿泊しました。それでも収容できずに、浄福寺の客殿や本堂などが下級武士の宿所となりました。彼らは「浄福寺党」と呼ばれたそうです。東門の方

Joe_2017a

明治時代の1887年、境内に浄福寺、建仁寺、本圀寺、妙覚寺による共済学校が開校し、その後現在の「浄福寺幼稚園」(下)に発展しました。教育方針として、「宗教的情操を育てる」とともに、

Joe_2005a

「丈夫な身体をつくる」、「自然に親しむ」等を重視しているそうです。貼り紙には「虫を取ってはいけません」とあります。「宝蔵」

Joe_1997a

ところで、江戸時代の天明の大火(1788年)では京都中が炎に包まれ、住民の80%が被災したといわれます。寺にも火が迫りましたが、17世紀前半に再建された赤門(東門)の前で止まったといわれます。

Joe_1960a

笹屋町通に住む男性が、鞍馬から天狗がこの赤門の上に下りてきて、巨大なうちわで火を防いだのを目撃したという伝承が残っています。赤門を入って右手に「護法堂」があり、

Joe_1957a

火災から寺を守ってくれた天狗を「護法大権現」として祀っています。

Joe_1969a

奥に「諸天善神」を祀るお堂があり、その中の右側に天狗がそこから飛んできたとされる鞍馬山への遥拝所があります。諸天善神は護法善神とも呼ばれ、仏法および仏教徒を守護する主として天部(天界)の神々のことです。

Joe_1989a

上の写真の左の石碑も遥拝所で、穴から鞍馬山を拝むようです。お堂の裏に樹齢300年以上というクロガネモチの大木があり、天狗がこの木にとまって火を団扇であおいだといわれています。

Joe_1992a

この地域では奇跡的にこの一角だけが火災を免れ、火災をくい止めた門にちなんで浄福寺は「赤門寺」ともいわれています。

Joe_1953a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Joe_2118a

| | コメント (1)

2020年9月22日 (火)

浄福寺通を歩く 今出川から一条へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Joe_1901a
※写真は全てクリックで拡大します。

浄福寺通を今出川から南に歩きます。上は今出川通の北から浄福寺通、下は「栃尾木工」。

Joe_1906a

今出川通の南の「中筋通」、約500mほどの短い通りです。豊臣秀吉の都市改造事業から江戸期ごろにかけて生まれた通りのようで、名の由来は須磨町通(現今出川通)と元誓願寺通の間にあることからだそうです。

Joe_1912a

「京都町家すたじお」 (株)ジョイフルまるやまが運営するフォト・スタジオです。結婚式(前撮りも)、成人式、七五三などの記念撮影をします。着物をレンタルして室内セットや室外ロケ撮影もしています。

Joe_1920a

「京の温所 西陣別邸 #5」「京の温所」は京町家を「宿」ではなく「おうち」として活用、ホテルや旅館のようなサービスはないいわゆる一棟貸しです。#1岡崎から#8竹屋町まであり、現在予約が取れにくい状況です。

Joe_1922a

「元誓願寺通」を渡り今来た方向を振り返って。角は「たにじりや 」、わかさ宅配センターと書いてありますが牛乳屋さんです。「元誓願寺通」は東の新町通から西の七本松通まで約1.5キロの東西の道です。

Joe_1928a

豊臣秀吉の都市改造によって生まれた道路で、その名はかっての誓願寺にちなんでいます。誓願寺は同じ都市改造によって寺町に移転、明治に寺域が新京極に縮小されました。

Joe_1933a

「西陣 結(ゆい)」、ゲストハウスです。

Joe_1935a

「壺中(こちゅう)珈琲店」 町工場のような外観ですが、画家と音楽家のご夫婦が経営、中に工房・ギャラリーもあります。珈琲は自家焙煎、ネルドリップ、豆にこだわる本格派で、店内はご主人が描いた様々な千人が戯れるアートな雰囲気だそうです。

Joe_1937a

このあたりは浄福寺通笹屋町上るだそうです。笹屋町は、かって竹藪だったこの地を開拓して新しく織屋が移り住んだことが由来だそうです。

Joe_1940a

向うに「笹屋町通(ささちょうどおり)」が見えます。大宮通から七本松通までの約800mの道で、 沿道には大きな商家や町屋が並んでいます。

Joe_1941a

「YOGA 藤源教室」 いわゆる京町家ヨガです。看板には「藤源工務店」とも書いてあり、こちらはご主人のお仕事のようです。

Joe_1946a

通りの名の由来となった浄福寺(右)と慧光寺(左)の間を通ります。 こちらは浄福寺の西門(赤門)で、南門(正門)の方に向かいます。

Joe_1949a

「本田商店」失礼ですが業種が分かりません。このあたりの「正親(せいしん)学区」は、智恵光院通にかけて秀吉が造営した聚楽第があった場所で、その名は時の正親町天皇に由来しています。

Joe_2141a

右手にある短い脇道は浄福寺通を同じくらいの道幅ですが、「福本町西路地」で住民専用の私有地(関係者以外立入り禁止)だそうです。

Joe_2139a

「ECCジュニア浄福寺一条教室」

Joe_2138a

浄福寺通は「一条通」に突き当たります。下は一条通から歩いてきた浄福寺通を振り返って、左は「理容タカハシ」。

Joe_2137a

一条通を10mくらい西に行ったところから再び浄福寺通が始まります。ここからの浄福寺通は南の丸太町通を越えて、二条城北を通る「竹屋町通」まで続いています。

Joe_2133a

浄福寺通の南には行かず一条通を西に行くと「うらら」、閉まっていますが、炉端焼 お好み焼 鉄板焼mのお店です。

Joe_2130a

「千ひろ」 手作りの京佃煮(ちりめん山椒)のお店。現在(9月中旬~10月中旬)季節限定の「子持鮎」を販売。お腹いっぱいに子が詰まった鮎を山椒でじっくり煮込んであり、要予約とのことです。

Joe_2129a

「Cafe1001」 「文化総合研究所」の看板もありますが、チョコミントのパフェやココアが有名な喫茶店で、期間限定でサンドイッチやカレーライスもあります。浄福寺の南門はもうすぐです。

Joe_2126a

Joe_1933b

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

 Joe_1931a

| | コメント (1)

«発祥の地をめぐる 臨済宗編