2017年12月17日 (日)

櫟谷宗像神社 嵐山の女神たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日嵐山に行ったとき、渡月小橋のたもとにある櫟谷宗像神社いちたにむなかたじんじゃ)」を訪れました。大堰川の北岸から見ると、対岸の岩田山の麓に鳥居が見えます。

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「櫟谷宗像神社」は奥津島姫命 (おきつしまひめのみこと)を祀る「櫟谷社」と市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)を祀る「宗像社」が一つの社殿に祀られていて、現在は両社をあわせて松尾大社の摂社となっています。

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渡月小橋を渡って、屋形船の桟橋がある右岸を少し遡ると、見逃してしまいそうな「駒留橋」があります。櫟谷(いちたに)という小さな谷から流れる川にかかっていて、かって神社の神職が馬をつないだといわれています。

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駒留橋を渡ったところに「嵐山モンキーパーク」の入口がありますが、櫟谷宗像神社の参道入口でもあります。

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神社の創建の詳細は不詳ですが、社伝によると奈良時代の天智天皇7年(668)に筑紫国宗像から勧請されたといわれます。(実際には大悲閣を訪れた帰りに立ち寄ったので、もう少し川を遡ります。)

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この場所は、保津川が保津峡を出てゆるやかな流れに変わる場所で、櫟谷社、宗像社はいずれも水神を祀ることから、流れが変わる地を聖地と見なし地主神として祀られたことが両社の始まりとする説もあるそうです。(こちらの西の鳥居から入りました。)

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櫟谷社の方は、国史では848年に従五位下、868年に正五位下の神階が与えられたとの記事があります。927年に成立した『延喜式』神名帳では、山城国葛野郡に櫟谷社が記載され式内社に列しています。

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また、870年には宗像・櫟谷・清水・堰・小社の5社に対して賀茂上下社・松尾社とともに新鋳銭を奉納したとあります。対岸の葛野に鋳銭所があって、新銭を鋳造すると必ず上記の神社に奉納する習わしがあり、福徳財宝を祈願したようです。

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この手水鉢は、江戸時代前期の1643年角倉了以の孫・吉田厳昭が寄進したものです。

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1241年には「松尾末社」である櫟谷・宗形両社が焼失して神体を焼いたという記事があり、1244年には、山崩れが発生して大堰川が塞がれ、末社宗像社では鏡石が落ちたといわれます。このように、古くから両社は松尾大社の末社であったことがうかがえます。(社務所)

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かって、櫟谷社は松尾大社、月読神社とともに松尾三神の一つとされ、宗像、櫟谷の両社は松尾七社にあげられました。明治時代の1877年以降、両社ともに松尾大社の摂社となっています。(社務所の横にモンキーパークの入口があります。)

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室町時代初期の「松尾神社境内絵図」では、櫟谷社と宗像社は独立した社殿ながら隣接して描かれているそうです。拝所

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現在の本殿は流造、銅板葺で、扁額は左が「宗像大神」、右が「櫟谷大神」となっています。

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ところで、二社の祭神、奥津島姫命と市杵島姫命は宗像大社をはじめとする神社に祀られている宗像三女神のうちの二神です。

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三女神は、日本から大陸、古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する玄界灘の神で、途中の島々(沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、田島の辺津宮)に祀られ、大和朝廷によって古くから重視され、遣隋使や遣唐使もこの島を目印として渡海したそうです。

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記紀の神話では、暇乞いに訪れた弟の須佐之男命の邪心を疑った姉の天照大神は、誓約(うけい)をして、神意を占うことにしました。最初に天照大神が須佐之男命の腰に付けていた十拳剣を受けとり噛み砕いて吹き出したのが三女神とされます。

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天照大神が国つくりの前に、この三女神に対して「九州から半島、大陸へつながる海の道(海北道中)へ降りて、歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」と命じたとされています。

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三女神の名称や順番は古来から変遷があるようですが、現在の宗像大社では、沖津宮に 田心姫神(たごりひめ)、中津宮に湍津姫神(たぎつひめ)、辺津宮に市杵島姫神(いちきしまひめ)が祀られています。櫟谷社の祭神・奥津島姫命は田心姫神のことです。

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市杵島姫神は絶世の美人とされ、仏教が伝来してから神仏習合により弁財天と同一視されて、財宝の神、美の神、芸能の神という性格を持つようになりました。

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三女神が祀られている三島はそれぞれ国の史跡になっています。田心姫神が祀られている沖ノ島は玄界灘の中心にあり、発掘調査によって発見された8万点の神宝が国宝になっていて海の正倉院ともよばれ、世界遺産の登録勧告リストに載っています。

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櫟谷宗像神社には女神像2体と神像形1体が伝えられていて、京都府指定文化財に指定され、現在は松尾大社の宝物館に所蔵・展示されているそうです。是非見てみたいと思っています。

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2017年12月16日 (土)

高松神明神社 高松殿と真田幸村

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日釜座通を歩いたとき、姉小路通を東に入ったところにある「高松神明(しんめい)神社」を訪れました。ここは、平安時代初期、醍醐天皇の皇子・高明親王(914-982)が七歳のとき源朝臣の姓を賜り、源高明の屋敷・高松殿を造営した跡地です。

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高松殿には伊勢から天照大神を勧請し、鎮守の社として祀ったのが高松神明神社の初めです。屋敷には高明の娘・明子(藤原道長の妻)および藤原道長も住み、道長の娘・寛子が小一条院(敦明親王)に嫁ぐと、その御所となり、高松殿と呼ばれたのはこの頃からです。

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藤原氏の摂関政治が全盛期を迎えると、高松殿は女御や退位した上皇の御所となりました。(左はオガタマノキで、「招霊」(おぎたま)の神聖な木として神社によく植えられ、この神社のは中京区の区民誇りの木に指定されています。)

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その後、後白河天皇がここで即位して里内裏として使いました。天皇家の兄弟の争いから端を発した保元の乱(1156)では、一時後白河天皇(弟)の拠点となり、源義朝や平清盛らが参集して、白河北殿の崇徳上皇(兄)を攻めました。(社務所と奉賛会事務所)

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保元の乱の後、その勝者の平清盛と源義朝の対立に院の近臣の争いが絡んだ平治の乱(1159)が起こり、高松殿は焼失しましたが、当社だけが残ったといわれています。神社は応仁の乱で焼失しましたが間もなく再建され、当時は広い境内を所有していたようです。

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現在の祭神は天照大神、八幡大神、春日大神で、開運厄除けの神として信仰を集めています。天照大神を祀る神社を神明神社というそうです。

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そして、室町時代末の1565年には宥玉法院が社僧となり、「神明寺宝性院(高松神明宮宝性院)」という神宮寺となり、真言宗・東寺宝菩提院の末寺となりました。この頃は神仏習合の時代でした。1590年豊臣秀吉は釜座通と小川通を開き境内は半分に縮小しました。

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さらに江戸時代末の1864年「蛤御門の変」で境内や社殿はさらに縮小しました。 明治の神仏分離令で神宮寺は廃寺となり、神社は高松神明神社と改称し、明治時代の1883年に社殿を新造、1911年に現在の社殿の大部分が造営されました。

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時代を遡りますが、関ヶ原の戦い(1600)で西軍が敗れ、武将・真田幸村(1567/1570-1615)は紀州九度山(くどやま)の伽羅陀山に蟄居させられ、毘沙門天とともに地蔵尊を日々拝んだといわれています。

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江戸時代中期の1794年、当時の社僧が真田幸村の念持仏の地蔵尊を拝領して、地蔵堂を建てて安置しました。

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地蔵尊は半迦思惟坐像で、蔵堂の台石をさすり、自分の子供達の頭を撫でると智恵を授かるとして、「幸村の知恵の地蔵尊」として崇敬を集めてきました。

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神社創建千年を記念して、2014年地蔵堂の横に水琴窟が造られました。嵯峨野の「造園ウエダ」の設計・施工だそうです。

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ところで、真田幸村のゆかりの地は京都では珍しいといわれています。妙心寺塔頭・大法院は幸村の兄で松代藩初代藩主の信之の孫・長姫の建立とされます。

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社務所の向かいの壁に日本画家・林屋拓蓊(たくおう)氏が壁画「平成神幸行列」を描くそうで、その下絵が飾ってありました。

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また、「幸村」の名は真田信繁の死後60年近く後の1672年に制作された軍記物『難波戦記』に初めて現れ、その作者の一人は京都所司代・板倉家の門客の万年頼方(まんねんよりかた)といわれています。

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絵馬が結び雁金と六文銭のデザインです。

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