2018年12月18日 (火)

鹿王院 2018秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

紅葉が美しいことで知られる鹿王院(ろくおういん)に行ってきました(12月4日)。嵯峨野でも、天龍寺や竹林とは少し離れたところにあり、嵐電では鹿王院駅で降ります。総門の扁額「覚雄山」は、足利義満の22歳ごろの真筆とされています。

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「鹿王院」は山号を覚雄山(かくゆうざん)、正式名所を大福田宝幢(ほうどう)禅寺という臨済宗の単立寺院です。(山門の脇の拝観受付を過ぎると、参道は紅葉で覆われていました。)

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室町時代の1379年、将軍・足利義満が春屋妙葩(しゅんおくみょうは、普明国師)を開山として宝幢(ほうどう)寺を創建しました。そのとき、後に鹿苑院の前身となる開山堂も建てられたとみられています。(雨は上がっていますが、まだ道は濡れています。)

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1387年、春屋の塔所(墓所)として開山堂を含む鹿王院が建立されました。野鹿が群れをなして現れたので、鹿王院の院号になったともいわれ、翌年春屋は亡くなりました。(参道の楓はまだ色づいていないものもあり、嵯峨野では遅い紅葉です。)

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1420年の義満十三回忌は、天皇の行う法事(済会)にならって宝幢寺で行われ、義持と公卿らは、20数台の牛車を連ね参詣したといわれています。(参道の左手に鎮守社の二つの社があります。)

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室町時代前期に宝幢寺は最盛期を迎え、禅寺十刹の第5位に列せられる大寺となりました。4代将軍・足利義持、6代将軍・義教、8代将軍・義政ら歴代将軍も参詣しました。(参道の左には竹林もあります。)

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臨済宗大徳寺派の禅僧・一休宗純も12歳の頃、当院で維摩(ゆいま)経の提唱を聴いたといわれています。(中門をくぐると境内になります。)

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1468年、応仁の乱の兵火で天龍寺や宝幢寺は全焼してしまいました。その後、宝幢寺は衰退し塔頭の鹿王院だけが残りました。(正面の石畳の先に拝観受付の庫裡があり、左の方には玄関があります。)

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宝幢寺は全国に30カ所の荘園がありましたが、守護大名や地頭の台頭によって次第に失われました。以後、宝幢寺は再建されることはありませんでした。

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安土桃山時代の1596年伏見大地震により鹿王院は倒壊。江戸時代前期の寛文年間(1661-1673)、酒井忠知の援助により、子・虎岑(こしん)が鹿王院を再興しました。この頃天龍寺の塔頭となりました。(庫裏から客殿に向かう途中にある玄関から)

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酒井忠知は徳川四天王の一人である三河の武将・酒井忠次の5男で、徳川秀忠の小姓、直参旗本となりました。虎岑は忠知の5男で酒井家が藩主を務める鶴岡藩(庄内藩)の外護を得て鹿王院を再興、12世住持になりました。

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客殿の前に「本庭」が広がります。当初は8代将軍・足利義教の命により僧・任庵主が作庭した池泉式の庭園があったといわれています。現在の庭園は、後の室町時代作庭の浄土庭園とされますが、江戸時代中期の1763年頃に作庭されたともいわれています。

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室町時代の石組みや樹齢400年といわれる木斛(もっこく)の銘木があり、京都市指定名勝となっています。こちらの客殿は、明治時代初期に再建されたものです。

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庭の西よりの中央には「舎利殿(駄都殿)」が建っています。江戸時代初期に建てられ、中には鎌倉時代に源実朝が宋より招来したという仏舎利を納めた多宝塔が安置されてい、ます。

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方3間の宝形造、単層、裳階付き桟瓦葺で、優美な唐様です。向うには借景の嵐山が見えます。舎利殿の左に釈迦如来、文殊・普賢菩薩の三尊石、その手前に礼拝石(坐禅石)が置かれています。

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客殿の扁額「鹿王院」も足利義満の真筆といわれます。左下に道号「天山」の印があり、出家した38歳以後の揮毫とみられています。出家後、義満は「鹿王院 天山 道義」(院号、道号、法名の順)と名乗りました。

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客殿の端から瓦敷の歩廊が伸びています。

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歩廊の途中に「本堂」があります。江戸時代の延宝年間(1673-1681)に虎岑によって再建され、開山堂と仏殿を兼ねています。本尊の釈迦如来と十大弟子像を安置していて、どちらも運慶作と伝わっています。(ここから建物の外形は見えません。)

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舎利殿の前から本堂の建物が見えます。方3間の寄棟造で桟瓦葺です。宝幢時が創建された当初の開山堂

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舎利殿の中央に宮殿風の大厨子があります。中に源実朝が宋より持ち帰った銅製鍍金の多宝塔が収められ、さらにその内に仏牙(釈迦の歯)が釈迦の教えの象徴として安置されています。仏牙は当初鎌倉の円覚寺にありました。

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北朝初代の光厳天皇の命により仏牙は京都に遷され、南北朝時代の1374年、北朝第4代後光厳天皇が普明国師に賜わり、鹿王院に遷されました。大厨子の横に涅槃図が掲げられ、周囲の壁には十六羅漢画像が描かれています。

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客殿の奥に茶室「芥室(かいしつ)」があります。昭和11年(1936)映画俳優・大河内傳次郎が寄進して、住持の隠居所になりました。芥室は普明国師(春屋)の号で、取るに足りない小さなものという意味だそうです(非公開)。

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昭和43年(1968)、鹿王院は天龍寺から独立して単立寺院となりました。この後、夕食を予約している嵐山まで歩きました。

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2018年12月17日 (月)

嵐山花灯路2018 竹林から常寂光寺・落柿舎へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

本日(12月17日)が最終日の嵐山花灯路の後半です。渡月橋から長辻通を北に行くと、嵐電の駅前にある「嵐山昇龍苑」の入口から奥庭まで和傘がライトアップされていました。昇龍苑は京漬物だし茶漬け、湯豆腐などのお店で、花灯路の協賛事業だそうです。

下は私がときどき入る「嵯峨とうふ稲 本店」 天龍寺の前にあり、見晴らしのよい2階で様々な御膳がお手頃な値段で頂けます。少し歩いたところに北店もあります。

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竹林の小径に入ると、最初は大変混雑していて道端の露地行灯の写真が撮れません。

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しばらく歩くと、「野宮(ののみや)神社」があります。平安遷都後の800年頃に建立され、伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が1年間ここに籠って精進潔斎する習わしがありました。

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祭神は天照大御神で、縁結びのご利益があるとされます。

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源氏物語の「賢木」の巻の舞台とされ、授与所の横から奥に入ると、嵐山をモデルにした苔庭や歌碑、いくつかの摂社があります。

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野宮神社から竹林の径が分かれ、大河内山荘の方は一方通行になっていました。また、ここから引き返す人もいて混雑が少し緩和されました。

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この露地行灯はロームのLED電球を使用して、あたたかみがあり、陰影が日本情緒豊かに散策路を照らしています。

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天龍寺の北門を過ぎると、両側が背の高い竹林で囲まれます。このあたりは途切れなく人が歩いていて、露地行灯が見えません。

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散策路の所々にボリューム感のあるいけばな作品が展示されていて、「ロームが灯す
灯りと花の路」と呼ぶそうです。

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竹林の径は大河内山荘に突き当ります。そこは一番高い場所で、今歩いてきた道を遠くまで見下ろすことができます。

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大河内山荘の前から嵐電嵐山駅の方に下ると、「小倉池」があります。左にある小倉山には藤原定家が百人一首の選定を行った時雨亭がありました。右が散策路、左は御髪神社。

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「御髪(みかみ)神社」は、日本で唯一の理容・美容など髪の毛の守護神を祀る神社です。

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池から少し歩いたところに人形作家の森小夜子さんの喫茶・ギャラリー「アイトワ」があります。雰囲気がいいお店ですがもう閉まっていました。

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常寂光寺が夜間特別拝観をしていました。「常寂光寺」は、山号を小倉山という日蓮宗の寺院です。今日はお寺の説明は省略します。

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途中に立派な仁王門があります。

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山門をくぐると正面に本堂に行く石段、右手にすこしなだらかな坂道があります。おそらく、石段から上り、坂道を下るように考えられていると思います。

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石段の上から、仁王門とその向うに市内の明かりが見えます。ここからは紅葉が美しいところです。

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「本堂」 3年前に修復工事が完了して新しくなりました。本尊として十界大曼荼羅を安置しています。

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いつもは本堂の裏から見晴らしのよい高い場所に上るのですが、夜間は危ないので行けないようになっていました。鐘楼の横を通り下りの道に向かいます。

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下りの坂道、向うに仁王門が見えます。

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閉門時間になって受付の方が門を閉めに出かけると、猫ちゃんがお留守番をしていました。

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常寂光寺から落柿舎の前の広場(畑地)に来ました。向うの落柿舎の前に大きな行灯が見えます。

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落柿舎の前は「嵯峨美術大学ナイトギャラリー」となっていて、学生さんの巨大行灯の作品が飾られています。落柿舎も夜間特別拝観をしていましたが、午後8時で受付終了でした。

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二尊院の方に行く道の途中にある公園「長神の杜」もライトアップされています。「コトノハ行灯」(記念のメッセージを書いて円柱状の行灯に貼り付ける)以外に、創作行灯デザインコンペの過去の最優秀作品が飾ってあります。下は第6回の「京人」。

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左は第9回の「こつづみ」、右は第1回の「洛花灯」。ここから二尊院まで露地行灯が続いていますが、夜間特別拝観はありません。

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