2020年7月 5日 (日)

岩屋寺 不動尊霊場と大石内蔵助

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

大石神社から山沿いの近道を通って岩屋寺(いわやじ)に来ました。「岩屋寺」は正式名称を神遊山金地院岩屋寺という曹洞宗永平寺派の寺院です。「忠誠堂(納骨堂)」

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忠誠堂の前に「大石内蔵助良雄の遺髪塚」があります。討ち入後自刃した内蔵助の遺髪を寺坂吉右衛門が持参したものです。ここにある経緯は後ほど。

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昨日の記事のように、平安時代前期の897年宇多天皇の勅命により山科神社が創建されました。北に隣接して神宮寺の岩屋寺が開かれ、当初は天台宗に属し「比叡山三千坊」の一つだったといいます。「山門」

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その後、山科神社とともに衰退し、安土桃山時代の1571年には織田信長の比叡山焼討ちとともに焼失しました。江戸時代初期の1656年に再興されました。「光明不動尊」

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元禄年間の1701年7月、大石内蔵助の親戚で郷士・進藤源四郎が保証人になり、内蔵助は西野山村に移りました。家屋を新築して永住を偽装したためといわれます。

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本堂には、秘仏の大聖(だいしょう)不動明王の木像立像や赤穂47士の位牌が祀られています。本尊の不動明王には逸話があります。

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近年、西野山村の家で発見された旧記によれば、永禄年間(1558-70)住人の進藤仙介(進藤家の祖)が所有する土地に不動明王像があって、かっては叡山三千坊の中の一坊があった跡だといいます。

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毎夜夢の中に、清い所に堂を建てこの像を祭れば永く村家を護るというお告げがあり、地主はさっそく村人に伝えて、山科神社の境内に一宇を創建、護摩堂、庫裡、納屋を建てたのが現在の岩屋寺といいます。

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それから岩屋寺は山科神社の神宮寺となったとされます。「大石弁財天」

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その子孫の進藤源四郎は大石内蔵助の母型の大叔父で、この地に内蔵助のために住居を建てた事情はうなずけます。内蔵助は、朝夕山科神社に参拝して本願成就を祈願したといわれます。

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茶室「可笑庵」、内蔵助の住居の古材を使い、左に内蔵助の手植えといわれる梅があります。

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1702年1月には内蔵助宅に同志が集まり、山科会議が開かれました。主家の再興を目指していた大石内蔵助は、吉良を打ち取ろうとする江戸急進派を説得するためです。「庫裡」

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しかし、浅野内匠頭の弟、浅野大学の閉門が決まり、浅野家再興の道が事実上閉ざされると、内蔵助や江戸急進派をはじめとした旧浅野家家臣は円山で会議(円山会議)を開き、討ち入を決意します。

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同年の9月頃江戸に出発しました。吉良邸への討ち入り後内蔵助は邸宅、田畑などすべての財産を岩屋寺に寄進、内蔵助ら赤穂浪士は切腹を命じられて高輪・泉岳寺に葬られました。

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前述の遺髪塚は、後の安永4年(1775)江戸の人宮部義正(通称孫八)と上田正並(恵五郎)が建立し、碑文を書いたのは伏見の住人龍公美です。内蔵助の閑居跡に遺髪を葬ることにより、その義挙を永く伝えるためだそうです。

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その後岩屋寺は荒廃し、幕末の嘉永年間(1848-1854)、京都町奉行・浅野長祚(ながよし)らの寄付を受け、堅譲尼(けんじょうに)が再興しました。「大石稲荷」

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現在の本堂は文久年間(1861-1864)の建立です。稲荷社の横の石仏。

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「近畿三十六不動尊霊場」の第二十四番札所で、不動尊霊場で唯一の尼寺だそうです。ご詠歌「大聖の 祈る力は げに岩屋 石の中にも 極楽ぞあり」

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「尼寺三十六所霊場」の札所でもあります。こちらは関西から中部地方の尼寺からなります。山門への参道の両側は庭(緑地)になっていて、その一角に観音菩薩の石像が立っています。

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向かいには、多くの石碑が立っています。正面は「左 神遊山金地院岩屋寺」という道標。

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「十三重塔」と「隠棲旧址碑」、先ほどの遺髪塚の下にあります。

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参道を下ります。

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新大石道に面して、参道の入口があります。

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2020年7月 4日 (土)

山科神社 宇多天皇と宮道氏

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の大石神社の社務所の横から、山沿いの道を行くと「大石大夫 遺髪塚 岩屋寺近道」の道標があります。しばらく水平な山道を歩き、

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岩屋寺の境内に出ます。歴史上の話のつながりから、岩屋寺は後で訪れることにして境内を横切ると、

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「山科神社」の参道に出ます。

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石段の上が社務所のようです。

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この参道は麓の新大石道から続いています。

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社伝によると、「山科神社」は平安時代前期の寛平9年(897)宇多天皇の勅命による創建といわれ、当地の豪族・宮道(みやじ)氏の祖神ともいわれます。下は「一の鳥居」で、ここから急な参道を上ります。

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当初から山科神社の祭礼「山科祭(やましなのまつり)」が存在したことが知られ、『本朝月令』では、寛平10年(898)3月に山科祭が官祭とされたと書かれています。

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当時、山科栗栖野(山科区)には豪族・宮道弥益(みやじのいやます)が住み、娘の宮道列子(れっし)は公卿の藤原高藤(たかふじ)に嫁いでいました。「拝殿」

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藤原高藤は左大臣・藤原冬嗣の孫で、正三位・内大臣となり、小一条内大臣、勧修寺内大臣などと呼ばれました。「手水舎」

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列子と高藤が出会った経緯は『今昔物語』の「高藤の内大臣の語」などに記され、下級貴族の娘が公卿の高藤と結ばれたことは当時の人々に「玉の輿」として話題となったようです。「神庫」

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鷹狩が趣味だった高藤は、15、16歳の時に鷹狩のため南山階(現在の山科区)に来まし。にわかに雨が降り始め、馬の口取をしている舎人とともに通りがかった郡の大領である弥益の屋敷で雨宿りをしました。

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勧められて弥益の邸に1泊した高藤はその娘に一目ぼれして一夜の契りを結びました。翌日、鷹狩から帰らぬ息子を心配して待っていた高藤の父・良門は激怒し、高藤が今後鷹狩に行くことを厳しく禁じてしまいます。

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それから6年後、舎人の案内とともに高藤はようやく列子と再会すると、列子には娘がいました。6年前の一夜で宿した子でした。紫式部は二人の子孫で、源氏物語の光源氏と明石の方の恋のモデルといわれます。

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父の弥益は山城宇治郡の郡司となり、882年には従五位上、主計頭(かずえのかみ)に昇りました。(石段上の本殿と石燈籠2基は江戸時代の創建で、京都市の有形文化財に指定されています。)

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さらに、二人の間に生まれた藤原胤子(いんし)が宇多天皇の女御となりました。宇多天皇は当時権勢を誇っていた藤原氏に対抗して菅原道真を重用したことで知られます。

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そして、胤子が醍醐天皇(在位:897-930)の生母になり、山科の豪族だった宮道氏は醍醐天皇の外戚(外曾祖父)となりました。山科神社が創建され、その山科祭が官祭となったのはこの頃です。

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本殿には、日本武尊、その子・稚武王(わかたけのみこと)、宮道弥益、列子を祀ります。一方、896年に没した胤子を弔うために、醍醐天皇の命により898年に宮道神社が創設され、弥益の邸宅が寺に改められて高藤の諡号から勧修寺と名付けらました。

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928年には山科神社に正四位下が授けら、山科祭(4月と11月)には勅使が遣わされ、走馬10頭が奉じられたといわれています。以後、「山科一ノ宮」とも呼ばれ、この地の総社、産土神(うぶすながみ)として住民の崇敬を集めました。

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かつては社領を丹波、山城に持ち、社殿も大きかったといわれますが、応仁の乱から戦国時代ににかけての度々の兵火のために焼失、社領も消滅したようです。(末社が並んでいます。)

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安土桃山時代から江戸時代にかけて、当社の奥の院だった「岩屋神社」と勧修寺にある「宮道神社」とあわせて、岩屋三社とも呼ばれました。「権殿」、本殿の仮社です。

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江戸時代の元禄年間、大石内蔵助がこの地に隠棲、後の忠臣蔵の流行とともに、山科神社は再び脚光を浴びます。「護国社」

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その最有力候補地とされるのが山科神社の神宮寺(神仏習合時代に神社を管理する寺)であった岩屋寺ですが、明日の記事の予定です。

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