2023年9月28日 (木)

寺町通四条下ルを歩く 空也寺まで

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

寺町通の四条下ル、河原町通に抜ける脇道との交差点(T字路)から南に歩きます。上はT字路の突き当り(西)にあるマンション「HF四条河原町レジデンス」、今日は変わりつつある寺町通を目にすることになります。

T字路の南東の角には「Kindal カインドオル 京都四条」古着屋さんです。

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こちらは寺町通の西、先ほどのマンションの隣に「朝日新聞四条寺町店」、新聞の販売店です。この店の一画に「寺町電計社」の店舗移転のお知らせが貼ってありました。

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寺町電計社は家電やオーディオ、パソコンなどを販売する電気店でしたが、2018年に北白川に移転しました。名称はそのままで、外観はパッとしないがスタッフも商品もすごく、昭和の爺ちゃんから若者まで覗いてみる価値があるといわれています。

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この辺りの寺町通は「電気街」として知られていました。当初は小売店が集まり、次第に無線ラジオなどマニアックな電子部品を扱う店が増えはじめま、ちょっとした秋葉原の雰囲気でした。下はGoogleマップ、ストリートビューの2013年9月の写真。

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その後の電気街には、周辺機器なども充実したパソコン系ショップが増え、ゲームが盛んとなるとゲーム機やソフトの店も増えてきました。隣は韓国料理店の「ミリネヤンコプチャン」。

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向かい(通りの東)は「しゅん逢 紗々木」会席・懐石料理のお店で、お昼は8千~1万、夜は1.2万~1.5万程度で、コースの中身は旬の食材を選ぶのでその日によって変わります。まだ開店していません。

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時代は平成の1990年代になると、インターネットやパソコンが一般家庭にも普及してきます。(韓国料理店の隣の空き地は駐車場ですが、明らかに何らかの建物があった跡なので、こちらもストリートビューの過去の写真を調べてみました。)

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「寺町電気街」がもっともにぎわったのはこの頃といわれています。(2018年8月の写真を見ると、「HOOH(フー)」という美容室があり、アットフォームな雰囲気で知られていたそうです。)

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「山本仏具店」 様々な種類の仏壇、位牌、具足、りん、灯籠、珠数などの仏具、仏像や仏画の掛け軸、天蓋や木魚、密教法具など寺院用仏具などを販売しています。本来の寺町を思い出させます。

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寺町電気街が華やかだったころは、中小の小売店に加えて、高橋電気店、二ノミヤムセン、タニヤマ無線にJ&Pの大型店が立ち並んでいました。こちらは東側、奥に「関西電力送配電 寺町変電所」があります。

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しかし、2000年代になると京都駅近辺の再開発にともなって。大型家電量販店が駅前に出店や移転しはじめます。さらに、ネット通販が台頭して、離れた店の間でも価格の比較も簡単にできるようになりました。こちらも山本仏具店。

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このような状況で、一か所に店が並び電気街を形成する意味がなくなってきました。向かいは「(株)リーベン」日傘と傘の専門店ですが、表に「閉店案内」の貼り紙がありました(内容は読めませんでした)。

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寺町通の小売店だけでなく家電量販店も経営が苦しくなり、撤退する店が増えだします。手前は「(株)アヅマギャラリー」額縁販売店で、洋館のようなレトロな建物の1階にあります。

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そして、2009年にはJ&Pが閉店、最大の大型店であったタニヤマ無線がエディオン傘下となり四条河原町に開店、寺町電気街は事実上消滅しました。同じレトロな建物に「三密堂書店」古本屋さんです。

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こちら(西)は「仏光寺通」、平安京の五条坊門小路にあたり、東は鴨川右岸堤防から西は佐井西通まで続きます。ただし河原町通と寺町通の間は中断しています(先日の脇道が仏光寺通なのかも知れません)。

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角にある「西村彌兵衛商店」元禄10年(1697)創業の諸流表具用刷毛(はけ)の老舗です。

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通りの東に「空也寺」があり、山号を光勝山という浄土宗の寺です。平安時代の天禄3年(972)空也上人が錦小路西洞院に創建したのが始まりで、当初は天台宗の寺だったといわれています。

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門の脇に半分埋まっていますが「永代 常夜灯」という石碑。常夜灯は街路樹の役目をする灯籠で、永代常夜灯は「火」によって心の不浄を焼き払い家内安全を祈るもので、寺社の門前にあることが多いそうです。搭は見当たりません。

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空也(903-972)は948年比叡山に登り座主の延昌について具足戒を受け、大僧名「光勝」を与えられました。当初は天台宗に属していました。951年、都で悪疫が流行、自ら十一面観音を刻んで車に乗せ市中を曳き廻したとされます。

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そのとき、病人に茶を授け、太鼓・鉦(かね)・瓢箪・鉢などを打ち鳴らし、節をつけて念仏や和讃(わさん)を唱えながら踊り病魔を鎮めたといわれています。正面の本堂は平成12年に竣工した新しい建物です。

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本尊の阿弥陀三尊像、脇壇に鉄製の鎌倉期作と伝わる釈迦座像、木造立像で高さ79㎝の地蔵が祀られています。この地蔵は、昔から発作痙攣症に霊験があるとされます。

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本堂前に石造りの布袋像があり、七五三に詣でた子どもがこの穴をくぐると元気に育つといわれています。

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空也は、諸国を巡歴し南無阿弥陀仏の名号を唱え、各地で橋を架け、道路、感染防止のため井戸(阿弥陀井)の整備、遺棄された骸を火葬し荼毘(だび)に伏すなどの社会事業も行いました。「庫裏」

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時宗の一遍は空也を踊念仏の祖とし、念仏踊りは時宗の布教ともに全国に広がり、六斎念仏として今に伝わっています。また、空也の菩薩行は行基につながり、称名念仏は、後の法然、親鸞の専修念仏に影響を与えました。

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空也寺は室町時代に敬蓮社見誉により中興され、浄土宗に改宗しました。さらに、安土桃山時代(1591年)秀吉の都市計画により現在地に移転しました。

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本堂横に露地があり家が並んでいます。表の寺町通とは異なる時代に来たようです。寺町通の散策はまだ続きます。

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2023年9月27日 (水)

新柳馬場通を歩く

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は寺町通をお休みして、仁王門通周辺の通りを歩きます。前回の記事で、南北に走る新堺町通と新間之町通を歩きました。今日の出発点はそれらの通りと仁王門通の交差点です(TOP)。

「中井金物店・中井住宅設備」 仁王門通の北側にあります。窓まわり、壁紙、塗り壁材、フロアタイル、タイルシート、パイプ、塗料などのDIY商品や工具などを販売しています。京都市指定ごみ袋取扱店のステッカーがあります。

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「道人」 会席料理のお店で、ご主人は円山の未在や祇園の大渡などで修行、良質な素材の目利きと調理の腕前からオープンしてあっという間に予約が難しい店になったそうです。高級店にしてはかなりお手頃な値段とか。

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「72Kitchen(ナツキッチン)」2016年にオープンした焼き菓子とクッキーのお店です。焼き菓子はバターを使用・不使用があり、特にバターと卵不使用の豆乳スコーンは評判だとか。通販もあります。左の入口は「アトリエ仁王門」。

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「高はし食品」 品揃えが多い食料雑貨のお店です。向うに「新東洞院通」と「元新洞小学校」の建物が見えます。

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左は「新柳馬場(やなぎのばんば)通」で、ここを南に下ります。右は仁王門通で、市街地では最も高いホテルオークラ京都のビルがいつも見えています。

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「Schonbrunn(シェーンブルン)」、築2008年、4階建、21戸、1Kのマンションです。

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「英語塾BtB」受験、英検、スキルアップのためマンツーマンで英文法を徹底的に鍛える英語塾。英会話中心の英語教育を否定はしませんが、他の科目や趣味の時間を犠牲にしなければならず、短時間で必要とされる英語の能力を目指すそうです。BtBはBask to Basics

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こちらは民家のようですが、右に二つの祠があります。手前は地蔵尊で、その向うには「駒薬師如来」という立札があります。

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この辺りは、宝永5年(1708)の大火の後、現在京都御苑がある柳馬場丸太町上ル駒薬師町の町民を移して開町したものです。「駒薬師如来」がかっての町内に祀られていたものかは分かりません。立派な如来像がありました。

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「Pieni pesa」、築1971年、4階建、15戸、1Kのマンションです。学生マンションの紹介サイトには、京都大学医学キャンパス 1592m、京都大学時計台 2061m。京都大学北部キャンパス 2657mとあります。

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「サンコーポハットリ」、築1981年、4階建、50戸、1Kのマンションです。

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町屋に「洛陽未生流 いけばな教室 家元総務 山田恵美」と「裏千家 華道教室」という看板がかかっています。洛陽未生流は明治36年に創流され近畿を中心に活動、現在は新たな視覚表現による現代花や小品花等も使っています。

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「就労継続支援B型事業テンダーハウス」 障碍者向けサービス&支援組織だそうです。

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「エル菊鉾」、築2015年、3階建、8戸、1K/1DK/1LDKのアパートです。築年は新しいのですが、鉄骨構造のものはアパートと呼ぶそうです。

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建物はアパートの「すみれ荘」、築1986年、3階建、18戸、1Kのマンションです。アパートのような名称ですが建物が鉄筋(RC)なのでマンションです。左の入口は「社会福祉法人 菊鉾会 テンダーホームきくほこ」。

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「西村兄弟印刷所」 創業1962年、従業員17名の印刷業社です。外に、幾つかの製紙会社の名前が書かれた木枠が積んであります。用紙が入っていた木枠だと思われますが、どのように印刷するかは知りません。

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看板は「西村印刷所」となっていますが、建物や機械のいたるところには西村兄弟と書いてあります。前に置いてあるのはバッテリーで動く「リーチ型フォークリフト プラッター50」だそうですが、どのように使うのか想像できません。

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「SAKURAMAISON​東山​三条」、築1992年、4階建、36戸、1Kの単身用マンションです。こちらには、日本語センター、 アークアカデミー、京都日本語教育センター、YMCA、同志社大学、京都大学などが近いと書いてあります。

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「菊鉾邸」、築2020年、3階建、6戸、3LDKのアパート(軽量鉄骨造)です。ところで、「菊鉾」という名前が何回も出てきましたが、ここは「柳馬場通仁王門下る菊鉾町」だそうです。祇園祭の菊鉾のことだと思っていたら違いました。

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町名は明治6年(1873)に命名され、明治初年より下御霊社(現中京区)の還幸祭に菊鉾を出すことに由来するそうです。東西に走る「孫橋通」を横切ります。左手前に「柳湯」、その向かいに居酒屋「まいど」があります。

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下御霊神社は「寺町通丸太町下る」にあり、菊鉾とこの地域との関係が分からなかったのですが、本多健一氏の論文「16世紀京都における御霊社・御霊祭の考察」に下御霊神社の氏子地域が掲載されていました。

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菊鉾町は現在も下御霊神社の氏子地域で、還幸祭には町内から菊鉾が出るそうです。下は孫橋通の東、右は「RESI STAY GIONDO KYOTO 東山三条」、ステイ型のホテルで、1部屋4名まで利用でき、調理器具や食器を完備、WiFiも利用できます。

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新柳馬場通を更に南に歩きます。ここから先には名称がついていない地図もあります。

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「お宿 三条町家」 こちらは三ツ星ホテルでコンシェルジュサービスや荷物あずかりもできます。三条通はすぐそこで、今日ここまでです。

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