2020年1月29日 (水)

宝鏡寺(人形寺) 特別公開

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京の冬の旅で特別公開(1月10日~2月29日)されている宝鏡寺に行ってきました。寺之内通の堀川東入に大門(山門)があります。

「宝鏡寺」は山号を西山(せいざん)という臨済宗単立の尼門跡寺院で、百々御所(とどのごしょ)、人形寺とも呼ばれています。本尊は聖観世音菩薩で、伊勢の二見浦で漁網にかかった際、小さな円鏡を手にしていたことが寺号の由来となっています。 

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宝鏡寺の開山は景愛寺(けいあいじ)第6世の光厳天皇皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼です。(斜め向かいに和傘の「日吉屋」があります。)

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大門を入って右にある「人形塚」 像は吉川観方作、武者小路実篤の詩文「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ」が刻まれています。

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南北朝時代の応安年間(1368-1375)に御所に祀られていた聖観世音菩薩像が、禅尼によって景愛寺の支院であった建福尼寺に奉納安置され、

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本尊の由緒にちなんだ「宝鏡寺」の名前を後光厳天皇より賜り、名前を改めて開山したのが始まりです。(本堂の前庭)

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また寛永21年(1644)後水尾天皇皇女第20世仙寺院宮久厳理昌禅尼(せんじゅいんのみや くごんりしょうぜんに)の入寺以来、紫衣を勅許され、以後歴代皇女が住持を勤める尼門跡寺院となりました。

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天明8年(1788)の大火で類焼しましたが、本堂は文政10(1827)年再建され前後三室からなる六間取の方丈形式です。

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本堂には、宝鏡を手にした本尊・聖観世音菩薩像を安置し、堂内には江戸初期の絵師・狩野探幽筆と伝わる「秋草図」の襖絵があります。(室内の写真は京の冬の旅のガイドブックからの転載です。)

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現代の画家・河股幸和が手がけた「葡萄と鹿」など趣の異なる襖絵も描かれています。

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本堂の東庭、紅梅が咲いていました。

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本堂の右奥に阿弥陀堂「勅作堂(ちょくさくどう)」があり、光格天皇勅作の阿弥陀如来像、後光厳天皇妃の崇賢門院像、日野富子像などを祀っています。その向うに白梅も咲き始めていました。

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書院は寛政10年(1798)再建、中庭・大門・阿弥陀堂・玄関・使者の間の6棟も復興され、本堂も含めて京都市指定有形文化財になっています。 (本堂と書院に囲まれた中庭)

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書院の東には、江戸幕府14代将軍・徳川家茂に降嫁した皇女和宮が、幼い頃宝鏡寺に住まわれた折に遊んだという「鶴亀の庭」が広がっています。

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正面の築山が亀で、鶴は手前の空堀だそうです。

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書院には円山応挙筆の愛らしい小犬の杉戸絵をはじめ、円山派の絵師による障壁画が残つています。

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四季折々の農村の風景を情緒豊かに描いた円山応震(おうしん)筆の襖絵「四季耕作図」は、皇女たちが目にしたことのない農村の仕事を学ぶこともあつたといわれています。

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書院の庭の奥に茶室が見えます。

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寺宝として、江戸時代最後の天皇・孝明天皇遺愛の御所人形「孝明さん」(下の写真)、着替えの着物や身の回りの道具類まで備えた三折り人形「万勢伊さん」や、そのお付きの人形「おとらさん」「おたけさん」、

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雛祭に宮中から贈られた気品溢れるお雛様など、貴重な人形が特別展示されています。3月1日(日)からは春の人形展が開催されます。

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御朱印を頂きました。左は本尊の奉拝記念、右は先日の三時知恩寺の「鬼は外」とコラボした「福は内」です。

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2020年1月28日 (火)

白峯神宮 崇徳天皇と球技の神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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堀川今出川の東にある白峯神宮に行ってきました。「白峯神宮」は 球技の神、スポーツの守護神として知られていますが、それに至る歴史を振り返りながら境内を見て回ります。

幕末の緊迫した情勢のなか、孝明天皇は保元の乱(1156)によって非業の死をとげた崇徳天皇の御霊を慰め、未曾有の国難に加護を祈るため、その御霊を京都に遷そうとしましたが、病で急死して叶いませんでした。

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明治元年(1868)、父の遺志を継いだ明治天皇は、公卿の「飛鳥井家」の邸宅地跡に社殿を建造して、四国・坂出の「白峰山陵」から崇徳天皇の御霊を遷して祀りました。これが白峯神宮の創建です。(舞殿)

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崇徳天皇は父の鳥羽上皇に疎まれ、即位後すぐに近衛天皇に譲位させられました。近衛天皇の急逝後、せめてもと、子・重仁親王の一時的な即位を望みましたが、異母弟の後白河天皇が即位、その子・守仁親王が皇位継承者・皇太子となりました。

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朝廷の権力を握っていた鳥羽法皇が没すると、1156年崇徳上皇は左大臣・藤原頼長らと挙兵しましたが(保元の乱)、破れて讃岐国に流されました。授与所の前にある「三葉の松(三鈷の松)」は落葉が黄金色になるため金銭松ともいわれます。

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崇徳上皇は讃岐から後白河天皇に謝罪をして都に帰りたいと懇願しましたが聞き入れられず、1164年に天皇家を呪いながら讃岐で憤死したといわれます。

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その後、1176年頃から後白河天皇や忠通に近い人々が相次いで死去、延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ケ谷の陰謀が起こり社会を不安に陥れ、崇徳天皇の怨霊の祟りとささやかれました。

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その後、約100年ごとに朝廷を脅かす大きな災いや争乱が起きます。13世紀中期の元寇、14世紀中期の南北朝の争乱、15世紀中期の応仁の乱、16世紀中期から後期の戦国時代。その後の200年間は平穏ともいえますが、朝廷の権限が奪われた時期です。(本殿)

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19世紀中期から尊王攘夷運動が高まり、朝廷の権限が復活しつつありましたが、外国からの圧力も増し、長州藩による蛤御門の変で都が焼け野原となりました。崇徳天皇没後ちょうど700年目でした。(参拝のときこの鈴を抱えて鳴らします。)

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この時代でも崇徳天皇の祟りを信じる人が多かったといわれます。明治6年には淳仁(じゅんにん)天皇の御霊を淡路島南端の御陵から遷して合わせ祀られました。

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淳仁天皇は、奈良時代中期の758年孝謙天皇が譲位した後、藤原仲麻呂の推挙で即位しましたが、道鏡の処遇をめぐり孝謙上皇と対立しました。

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764年仲麻呂は乱を起こすも敗死、淳仁天皇も廃帝となり淡路に流され、765年逃走が失敗して亡くなりました。白峯神宮の建立によって、崇徳、淳仁天皇の霊はそれぞれ、1100年、700年ぶりに京都に戻りました。

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「飛鳥井家」は平安時代末の藤原氏北家の流れをくむ難波家の忠教(1076-1141)に始まります。その子・頼輔は蹴鞠の祖といわれ、孫の参議・雅経(1170‐1221)も蹴鞠に長じ、藤原俊成に歌道も学びました。(舞殿の横に蹴鞠場があります。)

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室町時代の権中納言雅世、権大納言・雅親父子も歌道の発展に尽くしました。以後、飛鳥井家は代々蹴鞠と和歌の師範として名声を築きました。(手水舎の向こうに樹齢数百年の小賀玉の木があります。)

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手水舎の「飛鳥井」は、清少納言が『枕草子』で九つの名水の中にあげてほめ讃えています。賀玉の木もかって邸宅にあったとされ、天然記念物です。

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宮司で歌人でもある西村尚の歌碑「小賀玉のしじ葉が もとの 飛鳥井の井筒 むかしの物語せよ」。

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「蹴鞠の碑」 蹴鞠にゆかりの地ということで、当神社は摂社も併せて、球技、武道、学芸などの上達、縁結び、厄除け、延命長寿・無病息災、織物和装繁栄、学業成就などのご利益があるとされています。

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けまりは、ボールを落とさない事・落ちない事から、学力を落とさない・試験に落ちないなどの縁起がよいとされています。「地主社」はかって飛鳥井家に祀られていた「まり」の守護神「精大明神」が祀られています。

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蹴鞠から始まり、サッカーやラグビー、バレーボールやハンドボール、野球やソフトボール、ゴルフやボーリングなど、球技全般の上達や必勝祈願に訪れる人々が多くあります。

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左は「崇徳天皇欽仰之碑」、欽仰(きんぎょう)とは崇拝し慕うことだそうです。崇徳天皇は幼少時より和歌・管絃の道に秀で、数々の名歌を残しています。右に小倉百人一首の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」 

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「伴緒社(とものおしゃ)」 祭神として、保元の乱で崇徳天皇に付いた父・源為義と、敵対する後白河天皇に付いた子・為朝が祀られています。二人とも弓の名手とされ、武道・弓道上達の神として崇められています。

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「潜龍社」 昭和30年11月23日に行われた火焚祭の最中に炎の中から出現した潜龍大明神(水神)を祀っています。 潜龍大明神は普段は潜龍井に鎮まっていて、

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家系にまつわる諸々の悪縁を水に流して良縁に変え、病気平癒、事業隆昌など寿福長命にご利益があるとされます。下は「笑い龍」 「笑いは心の常備薬」を表現した石像だそうです。

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例大祭として、4月14日の「淳仁天皇祭」では、蹴鞠保存会による恒例の「蹴鞠」が奉納されます。9月21日の「崇徳天皇祭」では「薪能」が奉納されます。 

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その他の神事として、2月3日「節分祭」、「柊大明神祭」、「柊護符」特別授与、5月5日「子供祭武道繁栄祭」、「古武道奉納奉告祭」、7月7日「精大明神祭」、10月「観月献燈祭」、11月15日「伴緒社祭」、11月23日「新嘗祭」が行われます。

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