2025年12月14日 (日)

大原・来迎院 2025秋

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事で呂川を遡って来迎院の山門前まで来ました。「来迎院」は、山号を魚山という天台宗総本山・延暦寺の別院です。

平安時代の仁寿年間(851~854)に、天台宗を開宗した伝教大師最澄の直弟子・慈覚大師円仁が、この地に声明(しょうみょう)の修練道場を創建しました。

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円仁は唐に留学したとき、五台山の太原(たいげん)を中心に盛んに行われていた五台山念佛(声明)を比叡山に伝え、中国の太原にちなんでこの大原の地を声明の根本道場としました。(山門を入った正面は「会館」で参拝受付があります。)

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藤原時代(平安時代中・後期)、大原は俗化した比叡山を離れた僧が修行する隠棲の里となり、寂源が勝林院を、叡山東堂の堂衆であった良忍が来迎院を建立するなど多くの僧坊が営まれました。(本堂は右手の石段の上の高台にあります。)

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良忍上人(1073-1132)は念仏三昧の一方で、来迎院と浄蓮華院を創建し、分裂していた天台声明の統一をはかり、大原(魚山)声明を完成させました。(梵鐘は室町時代の永享7年(1435)藤原国次作で京都市指定重要文化財です。)

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本堂は室町時代中期に火災により焼失 室町時代後期の天文2年(1533)に再建されたものです。

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本堂には、藤原時代の薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来の三尊像(いずれも重要文化財)を安置しています。脇侍は不動明王(左)と毘沙門天&右)で、こちらも藤原時代後期の作です。

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天井に極楽浄土に舞う天女が描かれています。 本堂では、11月1日~30日の期間、如来蔵所蔵絵画 秋季特別公開として「比叡山の高僧と曼荼羅展」を開催していました。

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比叡山で修業した4人の高僧の掛け軸が展示されていました。左から、「聖応大師(良忍上人)」、「恵心僧都源信」、「元三大師」、「伝教大師(最澄)」です。

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慈覚大師(円仁)真筆と伝わる「両界曼荼羅鵜」、「融通大念仏縁起下巻」も展示されていました。下は「五仏頂曼荼羅掛軸」、仏頂とは仏・如来像を神格化した呼称で法要に用いられたそうです。不愛想な顔を仏頂面というのはこの意味が転じたものとか。

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このときは紅葉の境内ですが、本堂の前にはツツジが植えられ、正面には呂川に面した門があります。

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本堂の右手前の小高いところに鎮守社の祠があります。

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鎮守社の左に「地蔵堂」があり、石仏は鎌倉時代の建立とみられています。

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鎮守社の右に「五輪塔」があります。鎌倉時代中期のものと見られ、大原念仏寺の弘安9年(1286)銘の五輪塔より火輪などが異なる型式を持つことから、おそらくそれよりもやや古い時代の造立と推定されるそうです。

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ところで、良忍上人が大原に隠棲して来迎院を開いたのは23歳のときです。その後46歳のとき(1117年)阿弥陀仏のお告げによって、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあう「融通念仏」を創始しました。

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後の世を待たずに、現世にだれもが速やかに智慧が輝き喜び溢れる幸せの世界に至ることができる、融通念仏の法門を授与されたといいます。(本堂の右から、良忍上人の御廟・三重石塔に参拝していきます。) 

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融通念仏を開いたとはいえ、いまだ民衆に広めることなく草庵に閑居していました。しかし、ある時鞍馬寺の多聞天王が姿を現し「尊い融通念仏を授かったのに、どうして人びとに勧めて救済しないのか」と告げられたといいます(律川を渡ります)。

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この言葉に励まされ、良忍上人は天治元年(1124)はじめて市中に出て念仏の勧進を始めました。やがて上人の名は朝廷にも達し、鳥羽上皇は宮中に招いて皇后や官人らと融通念仏会を修して、自ら日課として念仏を唱えました。

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鳥羽上皇は自ら製作した融通念仏勧進帳の最初に自分の名を書き、序文をしたためました。さらに、勅願により河内に日本初の念仏道場を開き、後に融通念佛宗の総本山の大念佛寺となりました。良忍上人は来迎院で亡くなりここに葬られています。

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山門まで戻る途中に新しく建てられた収蔵庫の「如来蔵」があります。寺宝が重要文化財に指定されると、耐火機能がある収蔵庫に保管しなければいけないそうです

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良忍上人が呂川の上流にある滝の前で声明の修行をしていると、声明と同調してついに滝の音が消えたという伝説があります。その滝は「音無の滝」と呼ばれ、来迎院から歩いて15分くらいの場所にあります。

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ところで、来迎院の寺宝『伝教大師度縁案並僧綱牒』は最澄の得度や受戒に関わる文書類3点を一巻としたもので、最澄の伝記資料としてきわめて貴重なもので国宝に指定されています(東京国立博物館に寄託)。

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また『日本霊異記 中下 2帖』は平安時代後期にさかのぼる日本霊異記の古写本で、同書の中・下巻の現存最古本として日本文学史上貴重なもので、こちらも国宝に指定されています(京都国立博物館に寄託)。

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このあと、特別公開されている来迎院の支院・蓮成院を始めて訪れました。励みになりますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。

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2025年12月13日 (土)

竹林の小径から小倉池へ 2025秋

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、天龍寺を訪れたあと北門から出て「竹林の小径」を歩きました。北門から右手を行くと野宮神社がありますが、左にある大河内山荘の方に向かいます。

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最初は緩やかな上りで、振りかえると天龍寺の紅葉が見えます。坂を上ったところで、竹に刻まれた落書きを発見しました。

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10月13日の日テレニュースで「名所で落書き相次ぐ 嵐山の竹林に350本以上」と報じられました。京都市によると、竹は一度傷つけられると細胞は再生せず、傷が原因で枯れてしまうことがあるので、ひどい竹は伐採を検討しているそうです。

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竹林は高い柵で囲まれ、私が見たところ落書きがあるのは柵の外に生えている竹のようです。イニシャルやハートマークが多く、竹林を訪れた記念のつもりかも知れませんが、やめてほしいと思います。

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この場所にライブカメラがあります。再生ボタンを押すと現在の竹林の小径が見えます。

平安時代にこのあたりは貴族の別荘地でした。竹が唐が原産のモウソウチクであることから平安時代には竹林があったという説がありますが、確かではありません。

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江戸時代には竹林があったことは確かで、その竹を用いた造園や竹細工などの技術が栄えました。竹林の小径は「大河内山荘」の敷地に突き当たってT字路になっています(写真は今来た方向を振り返って)

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T字路から左(南)にいくと嵐山公園になりますが、こちらに行く人は多くありません

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嵐山公園(亀山地区)はここでは傾斜した斜面になっていて、下の石畳の園路は保津川下りの船着き場に至ります。ここから、右の道を更に上ります。

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向うは亀山の稜線で展望台があります。

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ここから、保津川の渓谷と正面の山腹に大悲閣が見えます。正式には「大悲閣千光寺」という禅寺で、慶長19年(1614)豪商の角倉了以が二尊院の僧、道空了椿(どうくうりょうちん)を招いて建立しました。

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保津峡を開削して整備した了以は、晩年はここに隠棲しました。大悲閣に以前に上ったことがあり、保津川やこちらの亀山、京都市内まで見渡せました。

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大悲閣の下には「星のや京都」があります。渡月小橋からやってきた送迎船が停泊しています。星のや京都へは大堰川(保津川)右岸の散策路を歩いても来ることもできます。

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コンビニ船が保津川下りの船を迎えに来ました。右にあるのは貸切の屋形船です。

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T字路に戻り、左に大河内山荘の拝観受付があります。大河内山荘の紅葉やそこからの眺めも素晴らしいのですが、この日は二尊院まで行きたいので、立ち寄らず右の坂道を下りました。

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坂道を下ったところに、嵯峨野観光鉄道(嵯峨野トロッコ列車)の嵐山駅があります。JR嵯峨嵐山駅の隣の嵯峨駅から嵐山駅、保津峡駅を通って亀岡駅に至る約25分の行程です。

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トロッコの駅に向かって左は、野宮児童公園を通って落柿舎の方や渡月橋が通る長辻通に行けます。こちらも紅葉が美しいようです。また、最近京都市が整備した「竹林の散策路」にも行けます(まだ訪れたことはありません)。

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駅に向かって右に歩くと直ぐに「小倉池」があります。小倉池は数年前から水質改善と水中生態系の保全を目的に整備工事が行われ、現在は一面に蓮の葉が広がっています。

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散策路は小倉池の東を通り、対岸の「御髪神社」は、日本で唯一の髪の毛や理容・美容(化粧品・洗髪剤・育毛剤・カツラ等)にたずさわる業界の守護神を祀る神社です。

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祭神として、藤原鎌足の末孫、藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)を祀ります。最近では小倉池は蓮の花が美しい観光名所になっているそうです。

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池の北はライフスタイルコンサルタント森孝之氏が整備した庭園「庭宇宙アイトワ」です。森氏は荒地に1,000本の木を植え、生ゴミや屎尿を還元する菜園を作り、省エネ、自然エネルギーを利用して、半自給的なエコライフを実現しています。

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ここから北に向かう散策路は紅葉のトンネル(春は桜のトンネル)となります。最後の写真は森孝之氏の奥さんで人形作家の森小夜子さんが経営するカフェとスタジオ・ギャラリー「アイトワ」です。

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