2026年4月20日 (月)

本法寺 日親と本阿弥家

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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昨日の記事の小川通に面して本法寺の仁王門があります。江戸時代に建立され、両脇に那羅延(ならえん)金剛、密遮(みっしゃく)金剛の金剛力士像が安置され、宝鏡寺宮筆の玄額「叡昌山」がかかっています(京都府有形文化財)。

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「本法寺」は、山号を叡昌山(えいしょうざん)という日蓮宗京都16本山の一つです。仁王門を入ると右手に「大魔利支尊天社」があります。

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室町時代中期の1436年に、本阿弥清信が日親上人を開祖にして、東洞院綾小路に創建したのが始まりとされます。清信は刀剣の鑑定士として将軍に仕え、本阿弥光悦の曾祖父にあたります。下は「本堂」

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現在の本堂は江戸時代後期の1797年に建立され、以下の建物の多くは京都府有形文化財です。本堂には光悦筆の扁額「本法寺」がかかり、本尊「法華題目牌」、「釈迦如来像」、「多宝如来像」、「日親上人坐像」を安置しています。

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日親(1407-1488)は上総国に生まれ、1427年に上洛して日蓮宗(法華宗)の布教を始め、後に中山門流の総導師として九州・肥前で布教活動を行いました。しかし、激しい性格だったようで、1437年には厳しい折伏により門流を破門されました。「鐘楼」

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1439年には将軍・足利義教の屋敷へ赴き、「世の中が乱れているのは法華経を信仰していないから」と諌暁(かんぎょう、日蓮宗への改宗)を迫りました。本堂の右手に日親が辻説法を行ったとされる「説法石/清明石」があり、安倍晴明の館にあったともいわれます。

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驚いた幕府は諌暁を禁止しましたが、日親は諦めず身命を賭けて諌暁書「立正治国論」を提出したため将軍の怒りに触れます。翌年投獄され、1436年に創建したばかりの本法寺を焼かれました。下は「開山堂」。

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1441年赤松満祐の謀反で足利義教が暗殺されると日親は赦免されました。赦免後、同じく投獄され日親への帰依を深めた本阿弥清信により本法寺が再建され、後に寺は本阿弥家の菩提寺となりました。本堂左に「光悦手植えの松」と「光悦像」があります。

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寺の伽藍のほとんどは1788年の天明の大火により焼失し、その後、紀州家などの寄進により再建されたものです。下は「多宝塔」で、本堂の裏(西)にある庫裡に向かいます。

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1536年には比叡山衆徒による洛中洛外の日蓮宗21寺を襲った「天文法華の乱(天文法難)」が起こり、寺は焼かれて堺に一時逃れました。1542年後奈良天皇より勅許が下り、天文年間(1532-1554)に一条戻橋付近に本法寺が再建されました。拝観入口の「庫裡」

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宝物館の前庭は「十(つなし)の庭」と呼ばれますが、石は9つしかなくもう一つの石は見る者の心中にあるとか。沙羅の木が植えられ、向うの建物は祖師堂です。

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10まで数字を数えるときに、十(とう)だけは「つ」を付けないので「つなし」と読むのだそうです。正面は唐門で向う側に説法石があります。

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安土・桃山時代の1587年、豊臣秀吉の聚楽第造営に伴い本法寺は現在地に移転しました。その際、10世・日通は寺領千石の寄進を受け、本阿弥光二・光悦父子も私財を投じて再建に尽力しました。

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宝物館には安土・桃山時代の絵師・長谷川等伯による紙本濃彩図「釈迦大涅槃図」(重文)があります。等伯は日通と親交があり、26歳で急逝した息子・久蔵の7回忌(1559年)に寄進したもので、京都三大涅槃図(他は東福寺、大徳寺)のひとつとされます。

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沙羅双樹の下で入滅する釈迦と、その周りに集まった羅漢や動物たちを描いています。釈迦の左の木の陰にいる緑の衣の人物は等伯自身だといわれています。写真はパンフレットからの転載で、特別公開の期間以外は複製を展示しています。

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1599年に本堂が再建され、長谷川等伯が本堂に龍図を描きました。江戸時代には後水尾天皇、水戸藩の徳川光圀、紀州徳川家の庇護を受け寺は興隆しました。日蓮宗の上方三山の一つになり、末寺34を数えたといいます。書院に行く途中に「光悦垣」。

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書院の南に光悦が作庭したという「蹲踞(つくばい)の庭」があり、光悦作の蓮弁模様の蹲踞が据えられています。

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書院の前庭は光悦作庭とされる「三つ巴の庭」あるいは「巴の庭」と呼ばれる書院式枯山水庭園です。庭の中央に横筋が入った丸石、手前に蓮池があり、宗祖・日蓮の「日」と「蓮」を表しています。

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三巴とは、3つの築山が中国の神仙島を表し、それぞれが巴形(渦巻き)に見えるからです。古代中国の神仙・蓬莱思想の伝説では、渤海(ぼっかい)湾中に、蓬莱山、方丈山、瀛洲(えいしゅう)山という三つの神仙(島)があったとされます。右の巴

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神仙には仙人が住み、不老不死の神薬があると信じられ、後に道教が生まれる背景となりました。中央の巴には滝石組による三尊石が置かれ、枯川が蓮池に向かっています。

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日本にもたらされた神仙・蓬莱思想は、永遠の理想郷を求める絵師や書家、工芸家、庭師など芸術家の重要なテーマになりました。長年の風雪によって巴の形は分かりづらくなっていて、特に左の巴は起伏がほとんどありません。

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三巴の庭は江戸時代の『都林泉名勝図絵』にも光悦作庭として載っていて、1972年に中根金作により修復、1986年に国の名勝に指定されました。

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2026年4月19日 (日)

堀川通を歩く 上御霊前通から寺之内通

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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桜の季節で中断しましたが、約1か月ぶりに堀川通の続きです。TOPの「上御霊前通」は東の賀茂川西岸の加茂街道から、西の智恵光院通までの東西の通りで、名称は応仁の乱勃発の地である上御霊神社の門前を通ることが由来です。

交差点の南西の「シナモン」はインド・ネパール料理店です。ランチが評判で、巨大でモチモチのナンにミニライス、さらに美味しいチキンティッカ、サラダ、ドリンクもついて驚くほどのボリュームとか。

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交差点の南東は「エクセル堀川」、築1980年、11階建、31戸、1LDK/3LDK/3SLDKのマンションで、管理人 巡回、エレベーター、バイク置き場、駐輪場、平面駐車場ありです。

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「ジーワンゴルフ」 1964年に五条壬生川で京都第一ゴルフ五条店を創業したのが始まりで、京都におけるゴルフショップの先駆けです。創業当初より工房を併設し、カスタムゴルフクラブを製造販売、2002年から大手メーカーのカスタム受注生産品も展開。

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「京都市立北総合支援学校」 2004年に元成に逸小学校の跡地開校した特別支援学校です。小学部・中学部・高等部があり、通学区域は北区・上京区の一部・中京区の一部・左京区の一部で、約240名の児童生徒が在籍しています。

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「教蔵院」 背後(東)にある本法寺の塔頭寺院です。「本法寺」は、山号を叡昌山(えいしょうざん)という日蓮宗本山(由緒寺院)の一つです。山号は後援者の狩野叡昌に由来、叡昌の娘・理哲尼は戦国時代の武将・長尾実景(さねかげ)の妻です。

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室町時代中期の1436年に、本阿弥清信が日親上人を開祖にして、東洞院綾小路に創建したのが始まりです。清信は刀剣の鑑定士として将軍に仕え、本阿弥光悦の曾祖父にあたります。こちらは本法寺の西門で、山門は一筋東の小川通に面しています。

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「TaTE680」 レンタルスペースで、飲食店、撮影、教室、ワークショップ、映画会、物販イベント、ギャラリー、作業所、パーティーなどに利用できます。飲食店営業許可と菓子製造許可を取得しています。

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「裏千家センター」 1979年に「茶道資料館」が設置され、裏千家歴代が収集してきた茶道に関する図書を収蔵する「今日庵文庫」を併設。茶道美術の展示公開や研究活動、様々なメンバーシップを通じての茶道普及活動などを行っています。

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「コスモ堀川寺之内」 築1995年、11階建、72戸、3LDKのマンションで、管理人 日勤、オートロック、防犯カメラ、エレベーター、駐輪場、
宅配ボックスありです。

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「ホープ堀川」 築1996年、11階建、36戸、1Kのマンションで、管理人 巡回、オール電化、ごみ出し24時間OK、エレベーター、バイク置き場、駐輪場ありです。

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「「knot(ノット)」 インテリア用品店で、色とりどりのラグとカーテンのコレクションを揃えています。カーテンシリーズは遮光や洗濯機対応といった機能を備え、ラグシリーズは日本の伝統的な製作技術を用い、細部まで丁寧な仕上げを行っています。

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「茶道具みやした 茶道資料館前店」 長次郎に始まる楽焼と玉水焼歴代を展示しています。茶道資料館前とは上述の表千家センターの近くという意味です。茶道具みやしたの店舗は少し南にあり、東京道場前店は裏千家東京道場の近くにあります。

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「カイ動物病院」 犬・猫を中心に一般診療・治療・手術、フィラリア予防や各種ワクチン接種等の予防医療、健康診断から日々のケアまでおこなっています。

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「シルクハウスとなみ2」 築2014年、7階建、49戸、1Kのデザイナーズマンションで、管理人 巡回、オール電化、ごみ出し24時間OK、オートロック、防犯カメラ、エレベーター、駐輪場、宅配ボックスありです。

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「リーガル京都西陣Ⅱ」 築2021年、7階建、32戸、1LDKのマンションで管理人 巡回、タイル貼り、ごみ出し24時間OK、オートロック、防犯カメラ、エレベーター、駐輪場、宅配ボックスありです。

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「慈受院(じじゅいん)」 山号を広徳山という臨済系の単立寺院です。かっては、皇室、将軍家、摂関家より女性が入寺する尼門跡寺院で、烏丸御所、竹之御所とも呼ばれました。

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室町時代中期の正長元年(1428)、夫の室町幕府4代将軍・足利義持の没後に出家した日野栄子(法名・慈受院浄賢竹庭)が、亡き夫と子の菩提を弔うために創建したといわれます。(下2枚は以前の写真で、右に薄雲御所の門柱があります。)

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一方、同時期に創建された「総持院」も創建以来摂関家や皇室の息女等が入寺して、称光天皇(1401-28)より「薄雲御所」の号を授かりました。大正8年(1919)総持院が現在地に再興される際、両寺院は合併して慈受院と薄雲御所の名が残りました。

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「表千家会館」 かっては帯地メーカーの河合美術織物のビルでした。講習会などが開かれることがありますが、主として表千家や同門会の事務所になっています。

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「りらくてぃぶ」 完全個室のエステサロン。マイクロスコープで頭皮をチェックしてお客に合うトリートメントで本格ヘッドスパ、フェイシャルエステで小顔リフトアップ、まつ毛パーマとマスカラパーマも人気とか。最後は寺之内通です。

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