2024年7月19日 (金)

祇園祭2024 前祭山鉾巡行 後半

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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昨日に続いて、河原町御池で見た祇園祭・山鉾巡行の後半です。「孟宗山(もうそうやま)」 「筍山」ともいい、ご神体は中国の史話二十四孝から取材。病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍を掘りあてた姿をあらわしています。

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ご神体の人形は七条大仏師康朝左京の作といわれ、唐人衣裳に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立っています。

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胴懸は平山郁夫筆の「砂漠らくだ行(日)」と「砂漠らくだ行(月)」。見送は昭和15年以来竹内栖鳳筆の白地墨画竹林図が用いられています。地味な墨画の見送は、極彩色豊かな他の山鉾のなかにあって、かえって異彩をはなっているとか。

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「月鉾」 鉾頭の新月型(みかづき)からこの名で呼ばれ、真木のなかほどの「天王座」には夜の神・月読尊(つきよみのみこと)を祀ります。屋根裏の金地彩色草花図は天明4年(1784)円山応挙の筆。

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前懸、後懸はインド絨毯、胴懸はインドやトルコの絨毯を用いており、北面の「中東蓮花葉文様」、南面の「幾何菱文様」とも最近の復元新調。近年下水引は皆川月華作の花鳥図に、見送も同作の湖畔黎明図にかえ、前懸のインド絨毯も復元されました。

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「太子山」 聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、この山だけは真木に杉を立て、その樹に小さな如意輪観音像を祀っています。太子は少年像で右手に斧、左手に衵扇を持ちます。

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前懸は緋羅紗地に阿房宮の刺繍、胴懸は金地孔雀唐草図のインド刺繍、見送は平成15年新調の波濤に飛龍文様錦織を用いています。またご神体の向こうに「舞台裏中釣幕」という懸装品があるそうですが見えませんでした。

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「四条傘鉾」 織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態の傘鉾の一つです。踊りとはやしは、室町時代に京都から広まった風流踊で、赤熊を被った棒振りと花笠を被った鉦、太鼓、ササラの各2人づつの計8人の小学生です。

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傘の上には御幣と若松を飾ります。明治4年の巡行以来途絶えていましたが、昭和60年、町内の人々の努力が実り傘鉾の本体が再興。昭和63年から巡行に欠かせない踊りとはやしが復元され、32番目の山鉾として巡行に加わることになりました。

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「蟷螂山(とうろうやま)」 カマキリが前脚をあげて大きな車に向かってきたという中国の故事があります。南北朝時代、足利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資(1292~1352)の戦いぶりが上の故事の「蟷螂の斧」のようであったことから、

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渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇が卿の死後25年目の永和2年(1376)、四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれます。その後、焼失・再興を繰り返し、昭和56年に117年ぶりに再興されました。

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かまきりと御所車の車輪が動くなど、山鉾としては、唯一のからくりが施されています。前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがあります。

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「菊水鉾」 町内に古くからあった井戸・菊水井にちなんで名付けられ、元治元年(1864)の兵火で焼失、昭和27年、88年ぶりに松本元治氏の熱意が実り再興されました。稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童で能装束の舞姿です。

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鉾頭には金色の透かし彫の菊花をつけ、真木のなかほどの天王座には彭祖像を祀っています。

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昭和29年に皆川月華作唐獅子図の胴懸、飛鶴図の前懸が作られ、30年には月華作孔雀図の豪華な見送が完成。その後山鹿清華作の下水引、皆川泰蔵作の二番水引が加えられ、38年には三輪晁勢筆天井絵が制作されました。

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近年、小林尚珉氏によって錺金具が製作され、最近晁勢筆の天水引、月華作の下水引、岩澤重夫筆の深山菊水図綴織見送があらたに完成しました。昭和の鉾として、年々装飾が充実してきたのが特徴です。

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「木賊山(とくさやま)」 謡曲「木賊」から、我が子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁は、腰に蓑をつけ、左手に木賊、右手に鎌を持っています。水引は日輪鳳凰文様の綴錦及び道釈人物刺繍、前懸は唐人交易図刺繍。

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左右の胴懸は平成11~13年に復元新調した中国故事人物図の綴織。見送は中国明代の牡丹双鳳文様綴錦。

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「郭巨山(かっきょやま)」 中国の史話二十四孝の一人郭巨釜掘りの故事にちなみ、「釜掘り山」ともいわれます。ご神体(人形)の郭巨と童子は寛政元年(1789)金勝亭九右衛門利恭の作です。昭和58年から上村松篁原画による秋草図の前懸、

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花の汀図および春雪図の胴懸、都の春図綴織の見送と順次新調されました。見送は今年の干支にあわせて、昭和56年(1981)染色作家 皆川月華製作の「昇り龍図染彩」です。

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「占出山(うらでやま)」 「鮎釣山」ともいい、神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って三韓征伐の戦勝の兆としたという説話によります。

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ご神体(人形)は金の烏帽子に太刀をつけ、右手に釣竿、左手に釣り上げた鮎を持っています。神功皇后は古くから安産の神として祀られ、山鉾巡行の鬮(くじ)順が早いとその年はお産が軽いといわれます。

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水引(台座の上部)は三十六歌仙図の刺繍。前懸・胴懸は日本三景の綴錦で天保2年(1831)の制作です。見送は、近年復元新調した花鳥龍文様の綴錦です。

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「放下鉾」 鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来します。かつては長刀鉾と同様「生稚児」でしたが昭和4年以降稚児人形にかえられました。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名され、

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巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られています。破風正面に三羽の丹頂鶴があり、幸野楳嶺(1844~95)の下絵を高浮彫し大正6年に完成しました。下水引は平成6年から栂尾高山寺の国宝華厳宗祖師絵伝を下絵にした綴織。

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前懸・胴懸は花文様のインドやペルシャの絨毯、見送は文政11年(1828)京都西陣で作られたものです。

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「岩戸山」 天岩戸を開いて天照大神が出現する日本神話から取材。山とはいえ室町時代狩野永徳の洛中洛外図屏風で見られる岩戸山にはすでに車輪が描かれており、鉾と同じ車をつけた曳山です。屋根には鉾柱ではなく真松が立っています。

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中に白衣姿で胸に鏡をかけた天照大神と、脇に白衣に唐冠をかむった手力雄尊が祀られています。屋根の上には太刀をさし天瓊矛(あまのぬほこ)をつき出した伊弉諾尊を安置しています。天瓊矛は伊弉諾尊夫婦神が国産みにつかった神話の矛。

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前懸は玉取獅子図中国絨毯、胴懸は唐草文様インド絨毯、見送は日月龍唐子嬉遊図の綴織(一部刺繍)を用いています。

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最後の「船鉾」が来ました。神功皇后の三韓征伐の説話によって鉾全体が船の型になっています。鉾の上には皇后と陪従して皇后を守る磯良・住吉・鹿島の三神像を安置しています。舳先には中国の伝説の鳥・鷁(げき)、

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艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文様の舵をつけ、船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破風入母屋造りの屋根からは紅白の長旒・吹流しをひるがえします。鷁は宝暦年間(1751~64)長谷川若狭の作で、舵は寛政4年(1792)制作。

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最後の車両は信号機の向きを元どおりに変える作業車です。

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2024年7月18日 (木)

祇園祭2024 前祭山鉾巡行 前半

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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昨日行われた祇園祭の前祭山鉾巡行を見てきました。今日はその前半です。午前9時に四条堺町を出発した行列が、ここ河原町御池に到着したのは10時10分頃です。

長刀鉾」 「くじとらず」として毎年巡行の先頭にたち、人形ではなく生稚児が乗るのも今ではこの鉾だけです。鉾先きの長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もとは三条小鍛冶宗近作、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀の複製品を鉾頭としています。

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真木の真ん中の「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の人形を祀っています。前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など、

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16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていましたが、現在はその復元品を使用。見送は昨年(2016)に若冲の「旭日鳳凰図」を織物で再現されました。前懸、胴懸、見送りは山鉾の前、横、後の側面の懸飾りです。この交差点からは鉾の「辻回し」がよく見えます。

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「油天神山」 古くから町内(風早町)に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路にあるところからこの名となりました。また勧請の日が丑の日にあたっていたので「牛天神山」とも呼ばれます。今年の山一番です。

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山は正面に朱の鳥居を立て金箔置の社殿にはもと風早家に伝来し、後に町内の祠に祀っていた寛永7年(1630)製作の天神像を安置しています。真木の松の他に菅原道真ゆかりの紅梅の枝をはなやかに立て鈴をつけています。

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水引はパリのクリュニイ博物館所有のタピスリーを図案に用いて新調、見送は平成2年梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織を、前懸は平成6年に龍図錦織を新調、胴懸は左右共に前田青邨原画で、平成12、13年新調の紅白梅。一回りしてくれました。

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「伯牙山(はくがやま)」 「琴破山」ともいわ、中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期との物語に取材、伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事をあらわしています。人形は手に斧を持ち前に琴が置かれています。

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前懸には上下詩文、中央に人物風景の有名な「慶寿裂」をかけその下に龍文様の錦を用い、さらに人物図の押絵切付の水引によって飾っています。胴懸は花卉尾長鳥文様の綴錦で、見送には「柳絲軒」在銘の仙人図刺繍を用いています。

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「白楽天山」 唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問う場面です。前懸は万延元年(1860)蟷螂山より買受けた毛綴の三点継で、トロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図が中央にあります。

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道林禅師は、緞子地の紫衣を着け、藍色羅紗の帽子をかぶり手に数珠と払子を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣裳に唐冠をかぶり笏を持って立っています。胴懸と水引は昭和53年フランスから購入した17世紀製作の毛綴。

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見送は昭和28年より山鹿清華作の北京万寿山図の毛織錦を用いています。この山はかぎ手が全員外国人で、この山は2回回って喝さいをあびていました。

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「函谷鉾(かんこほこ)」 中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなんで名付けられています。

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この鉾は天明8年(1788)の大火で焼失、50年後の天保10年(1839)に再興されましたが、それ以後は「嘉多丸」という稚児人形を用いています。

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前懸は、旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴(重文)を復元新調したもの。胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚である。見送は最近新調した皆川泰蔵作「エジプト天空図」。

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「山伏山」 山伏姿のご神体が乗ります。昔八坂の法観寺の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしています。

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ご神体は左手に刺高数珠、右手には斧を持ち腰には法螺貝をつけています。巡行の数日前から聖護院の山伏たちの巡拝があり、八坂神社からの清祓も行われ、神前に供える三宝も仏式の黒塗のもので、明治初年の神仏分離以前の姿を見ることができます。

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前懸は雲龍文様の刺繍、胴懸は花卉胡蝶文様の綴錦、見送は龍波濤文様の綴錦で、平成11年に復元されました。

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「綾傘鉾」 山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つで、大きな傘と棒振り囃子の行列として巡行してきました。棒振り囃子は、赤熊をかぶり、棒をもった者が、鉦、太鼓、笛に合わせて踊るもので、壬生村の人々により奉仕されていました。

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その後途絶えていましたが、町内の人々の復興の努力が実り、昭和54年から巡行することになりました。二つの傘につける垂りは、人間国宝の染織家森口華弘の友禅「四季の花」(左)と平成4年に町在有志の寄贈になる綴錦「飛天の図」(右)

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「保昌山(ほうしょうやま)」 丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語が題材で、保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折っている姿をあらわしています。

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前懸の緋羅紗地に蘇武牧羊図、胴懸の張騫巨霊人に鳳凰虎を配した刺繍は円山応挙(1733~95)の下絵で、近年それらを復元新調しました。水引は雲龍波濤文様に鳳凰鶴虎を配し、特に孔雀の羽根を縫込んだ刺繍の逸品とか。

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見送は福禄寿、弁財天に唐子を配した綴錦で寛政10年(1798)の作です。山の故事にちなみ宵山には「縁結び」の御守りが授与されます。*このあと「鶏鉾」がくるはずでしたが、車輪の故障でリタイアしたそうです。

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「霰(あられ)天神山」 戦国時代・永正年間(1504~1520の大火のとき、霰が降り猛火はたちまちに消え、そのとき一寸二分の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりといわれます。

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山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置します。

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「芦刈山(あしかりやま)」 謡曲「芦刈」から、故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿をあらわしています。ご神体の旧御頭は天文6年(1537)七条仏師運慶の流れをくむ康運作。

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天正17年(1589)銘をもつ重要文化財指定の「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」は山鉾最古の衣装とか。現在の前懸と見送は山口華楊原画の段通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)、胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」(1994)。

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