雪の京都を歩く 祇園白川
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日に続いて、白川沿いの道を歩きます。TOPの「新橋通」は東大路通から川端通まで、花見小路通より東は飲食店が並ぶ繁華街になっています。一方、新橋通のこちら側は、両側に町家の旅館や料亭、レストランが並ぶ風情のある通りです。
下は「祇園新橋」のたもとにある甘味どころ「小森」、今日はお店の詳しい説明はありません。店の前に「特別保存修景地区」という石碑がありますが、説明はのちほど。
左は白川南通(祇園白川)で中央は「辰巳神社」。名称は京都御所の辰巳(南東)の方角という意味で、この地域の守り神として元吉町の皆さんが毎日お世話をしています。最近は外国人観光客に人気のようです。
祭神の辰巳大明神は狸だったといわれています。その狸は下の「巽橋」に住み着いていて、橋を渡る人を化かしては白川の中を歩かせていました。困った祇園の人々が、この狸を祀る祠を立てたところいたずらが収まったと伝わっています。
初午など年4回の神事には、伏見稲荷大社から神官が来ます。玉垣には祇園の芸舞妓さんやお店、俳優や映画会社、観光に関連する会社などの名前が見えます。
橋の向こうの通りは「切り通し」。一般に切り通しとは山や丘を切り開いてできた通りのことですが、こちらは祇園の中心的な通りの一つです。通りにあった「近安楼」で行われた土佐藩と広島藩の会合は明治維新の倒幕のきっかけとなりました。
ところで、この界隈は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、電柱がなく石畳が敷かれ、古い建物が保存されています。石畳は、明治28年(1895)に日本で初めて開業し、昭和53年(1978)に廃止された路面電車(市電)の敷石が使われています。
重要伝統的建造物群の保存計画では「当地区は,主として江戸末期から明治初期にかけての質の高い洗練された、町家が整然として建ち並び、さらに美しい流れの白川や石畳、樹木などと一体となってすぐれた歴史的風致を形成している。」
「現在、当地区内の建造物は約75戸で、このうち伝統的建造物群を構成している伝統的建造物は約70パ-セント」、「伝統的建造物については、主としてその外観を維持するため修理を実施し」 としています(下はその添付資料)。
「かにかくに碑」 歌人、作家の吉井勇(1886-1960)は京都を愛し、都おどりの復興など祇園のためにも尽力しました。「かにかくに 祇園はこひし 寝ぬるときも 枕のしたを 水のながるる」はお茶屋遊びの風情を詠んだ歌です。
11月8日の「かにかくに祭」は、これまで関係者で営んできましたが、没後65年となる昨年は主催する祇園新地甲部組合が、歌碑近くに茶席を設け、芸舞妓が薄茶で一般の客をもてなしました。
上の添付資料で、上で紹介した小森や辰巳神社の社殿は重要伝統的建造物群に指定されていますが、白川南通(祇園白川)の北側の建物のほとんどは指定されていないことが分かります。よく見ると竹垣が龍安寺(金閣寺)垣になっています。
先ほどの昭和51年の重伝建は文化財保護法に基づく国の指定でした。一方、その前の昭和49年に、京都市市街地景観条例によりこの一帯が「祇園新橋特別保全修景地区」に指定され、小森の前の石碑はこちらの京都市の指定を示しています。
「伝統的建造物以外の建築物等については、当地区の伝統的建造物群の特性と調和するよう次に定める基準に準じて修景を実施するものとする。」とあります。上のスナック「よっしゃ」の門も修景されています。
「修景を実施」とは、建造物の通りに面した面のみ、建築物の形態・意匠・色彩を周囲の景色に調和させることだそうです。料理旅館「白梅」
ちなみに、京都市の他の伝統的建造物群保存地区は「産寧坂伝統的建造物群保存地区」、「嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区」、「上賀茂伝統的建造物群保存地区」です。下は大和大路通で、ここから西は重伝建や修景地区には指定されていません。
この白川南通は車道で、車の度重なる通行によって石畳が劣化したり割れたりして著しく損傷し、歩行者がつまずくなど支障をきたしていたといいます。
そこで平成27年(2015)から29年にかけて、この区間の通りを対象に舗装工事を行いました。敷設する石の1割は既存の石材を再利用し、残りは白、さび色、桜の3色の花崗岩を使いました。大和橋の上から。
重伝建や修景地区は京都市が維持管理を行うので、財源が必要です。上の写真をよく見ると、ペットボトルや空き缶、割りばしなどが散らかっています。この辺りは自動販売機や食べ歩きの店はないので、上流から流れてきたと思われます。
露店や自動販売機でものを買うと、どこにもゴミを捨てる場所がなくて困ることがよくあります。最近では食べ歩きが当たり前のようになっていますが、ゴミ箱や回収ホックスの設置やマナーの徹底をお願いしたいと思います。風が吹くと雪が舞います。
大和大路通から西も同じ桜並木ですが雰囲気が違い、ビルが建っています。
大和大路と川端通の中ほどにある「八重桜の記念樹」 第800回例会記念、平成八年という字が読めます。鴨川沿いに桜を植樹をしてきた京都鴨川ライオンズクラブのものではないかと思っていますが、確証はありません。
冬に来たおかげで弁財天社の前の「陶匠 青木聾米宅跡」という石碑に気が付きました。青木聾米(ろうべえ、1767-1833)は祇園新地繩手町の茶屋「木屋」に生まれ、30歳で陶工の道に入り青蓮院宮の依頼により、粟田口に御用窯を開窯しました。
代表作は「兎道朝暾図(うじちょうとんず)」で幕末三名人の一人です。下は四条大橋の上から上流、このあと本格的な雪を求めて叡山電車で鞍馬に向かいました。最後の写真は大和橋。
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