2018年1月23日 (火)

蘆山寺・大福寺と京都七福神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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昨日の記事の遣迎院を含めて、今年になってから「京都七福神」のうちの5寺を訪ねました。今日は残りの蘆山寺と大福地を訪ねます。京都御苑の東の寺町通に面して蘆山寺の山門があります。

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「蘆山寺」は平安時代の天慶年中(938年~947年)天台座主元三大師良源によって船岡山の南に創建されたのが始まりです。明治維新までは遣迎院ともに「御黒戸四箇院」という宮中の仏事を司る四か寺の一つでした。(山門の正面は「大師堂」です。)

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大師堂は元三大師像を本尊として、左右に不動明王、金山毘沙門天、薬師如来像を安置しています。毘沙門天は聖徳太子作と伝えられています。 太子は父・用明天皇の没後皇位継承問題で排仏派の物部守屋らと戦い、そのとき戦勝祈願したのが毘沙門天でした。

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戦いに勝った太子は仏教をひろめるため四つの天王寺を築きます。大阪四天王寺は有名ですが、京都北山に建立したのが金山(きんさん)天王寺で、如意輪観音を本尊とし、脇侍に毘沙門天像を安置したと伝わります。しかしながら、金山天王寺は廃寺となりました。

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一方、廬山寺は創建後に洛北の地を転々として安土桃山時代の天正13年(1585)現在地へ移りました。そして、金山毘沙門天像を廬山寺で祀るようになったのは明治元年からといわれています。

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蘆山寺には4種類の御朱印があります。「洛陽三十三所」めぐりの如意輪観音、「紫式部邸宅址」、寺の開基「元三大師」、残る一つが京都七福神の「毘沙門天」です。

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寺町通から2筋西の麩屋町通に面して、夷川通と二条通の中間に大福寺があります。「大福寺」は正式名称を瑠璃光山利生院大福寺という天台宗の寺です。

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飛鳥時代の推古天皇の時代の599年、大和国宮田郷に建立されました。寺伝では厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)が創建したとされています。本尊の「薬師如来」は聖徳太子の自刻とされ、「菩提(ほてい)薬師」といわれています。

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平安時代初め、勅旨によって大福寺は平安京に移されました。当初は、八丁四方の広大な境内を有し、七堂伽藍が建ち並んだといわれています。江戸時代中期には菩提薬師の信仰が盛んとなりました。しか、1788年の天明の大火で炎上し寺域の多くを失いました。

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幕末には尊攘派志士の梅田雲浜(うんぴん、1815-1859)が寺を寓居としました。雲浜は小浜藩藩士で、近くの小浜藩塾・望楠軒に講主として通っていました。藩主が士籍剥奪されて浪人となると、京都で尊王攘夷活動を行い「反逆の四天王」と呼ばれました。

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1858年幕政批判により安政の大獄で捕らえられ獄中で病死しました。後妻の梅田千代 (1824-1889)は、明治維新の後新英学校・女紅場の講師となりました。(右は京都七福神の布袋尊で、杖を肩にしています。)

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江戸時代の商人が商売繁盛を願い大福寺にちなんで宝印を貰ったことから、出納長を「大福帳」と呼ぶようになったといわれています。大福寺は、現在では本堂だけとなり、こちらが本堂への出入り口のようです。

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大正11年(1922)民俗学者・田中緑紅(りょっこう)らが提唱して「京都七福会」が結成されました。当時は、松ヶ崎大黒天以外は寺町界わいの近い距離にあり、戦前は大変人気のある七福神だったそうです。(戸の横にご開帳やご朱印の授与日などが書いてあります。)

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ちなみに、蘆山寺には遣迎院が寺町にあった頃の七福神の推奨コースが記されていました。大黒天(妙円寺)→弁財天(妙音堂)→毘沙門天(廬山寺)→福禄寿(遣迎院)→恵比寿神(護浄院)→寿老神(革堂)→布袋尊(大福寺)

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当初の京都七福神のうち、福禄寿(遣迎院)は現在では拝観をしていません。護浄院には「京洛七福神」の福禄寿も祀られているので、そちらで福禄寿もお詣りするのがよいかも知れません。

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2018年1月22日 (月)

遣迎院 鷹峯に移った名刹

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鷹峯の遣迎院を訪れました。鷹峯街道を千本通との交差点から西に行くと源光庵がありますが、その前に長屋門が見えます(上の写真)。この「表門」は、備中高松城の城門を移築したもので、なまこ壁と窓が特徴的です。

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「遣迎院(けんごういん)」は、浄土真宗遣迎院派本山で山号はありません。鎌倉時代前期の1201年、証空により開山され、当初は伏見大路の東(東福寺前三ノ橋南)にあったといわれます。

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寺名の「遣」は、現世の仏である釈迦如来が「遣わした」釈迦、「迎」は来世の仏・阿弥陀如来が「迎える」という意味があるそうです(発遣釈迦、来迎弥陀)。左の看板には「ゆけよ 遣釈迦 こいよ 迎弥陀 本尊」と書いてあります。

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証空(しょうくう、1177-1247)は、村上源氏の流れをくむ久我一門源親季の長男で、1185年、内大臣・久我通親の猶子になり、1190年に14歳で出家。浄土宗開祖・法然の弟子になり、善恵房證空と名付けられ、以後法然が没するまでの23年間師事しました。

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上と下は「桃隅蓋」 隅蓋は屋根瓦の取合部の防水のために用いられ、様々な形があります。桃は魔除けの意味があるそうです。

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1198年、法然が九条兼実の請によって浄土宗の根本聖典「選択本願念仏集」を撰述した際に証空は勘文の役を務め、1199年には法然に代わり九条兼実邸で選択集を講じました。「勘文(かんもん)」とは、朝廷から諮問を依頼された学者が由来・先例等を調査して報告を行った文章のことだそうです。

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証空に帰依した摂政関白・九条道家の屋敷を後に仏閣としたともいわれています。当初は、浄土、天台、真言、律の四宗兼学道場でした。また、宮中の仏事を司り仏殿を守る「四箇本寺」(他に廬山寺、二尊院、般舟院)のひとつでした。この「蟇股」は装飾材です。

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また、これらの寺は「御黒戸四箇院」とも呼ばれ、住職晋山(就任)の際には参内し、紫の衣を贈られる慣例がありました。宮中の御内仏殿に用いられている「黒戸」から名がつけられ、現在でも京都御所には「黒戸の間」があります。

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本尊として釈迦如来・阿弥陀如来の二尊を祀っています。遣迎院は拝観を行っていないので、本堂の中には入っていません。

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安土・桃山時代に豊臣秀吉の大仏殿(後の方広寺)建設の敷地となり、立ち退きを迫られました。結局大仏殿は渋谷・仏光寺境内に建造されることになりましたが、その経緯の中で遣迎寺は二寺に分割されることになりました。

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一寺は旧地に残り浄土宗西山禅林寺派の南遣迎院になりました。もう一寺は北之辺町(京都御所の東、寺町通り広小路上る)に移され、禁裏御内仏殿で寶祚無窮(ほうそむきゅう)を祈る天台宗の道場となりました。

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「寶祚無窮」とは、天つ日嗣(あまつひつぎ、天照大神の系統をうけつぐ天皇家)が栄えることは、天地とともに永久につづき、窮まることがない、という意味で、日本書紀には「寶祚之隆 天壌無窮」と記されているそうです。

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江戸時代には天台宗別格本山で徳川幕府とゆかりが深い上野・寛永寺の末寺となり、朱印寺領53石を授かりました。しかしながら、宝永の大火(1708)、天明の大火(1788)で焼失しました。(ご住職に少しお話を伺いました。ありがとうございます。)

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昭和30年(1955)に寺町から現在地の鷹峯に移り、天台宗から浄土真宗遣迎院派の本山となりました。(「丸に四つ目菱」の紋は清和源氏の流れを汲むそうですが、この瓦がどの家系に由来するか分かりません。)

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聖天堂に祀られている福禄寿は、慈覚大師・円仁(794-864)が唐から持ち帰ったという。福神、禄神、寿神の三神合体像です。鹿に乗り巻物を持ち、福寿増長のご利益があるとされます。

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寺が寺町通にあった頃は、「京都七福神」の一つとしてにぎわったそうですが、聖天堂も現在は拝観をしていません。

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実は今年になって、松ヶ崎大黒天に始まり七福神のいくつかをお参りしてきたのは「京都七福神」を巡ってきたのです(京都七福神の話は後の記事に続きます)。長屋門の脇部屋には門兵が控えていたそうですが、納屋になっていました。)

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この後、少し周囲を歩いてから千本通を下りました。

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