2024年5月26日 (日)

夕暮れの社家町を歩く

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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先日上賀茂神社で葵祭を見た後、社家町を歩きました。一の鳥居を出て「酒殿橋」を渡ります(上の写真)。神社の境内を流れてきた「ならの小川」は橋の下で「明神川」 と「菖蒲園川」に分かれます。

菖蒲園川は中世には乙井川と呼ばれ、南に流れていき賀茂川に注ぎます。「明神川」は社家町に沿って東に流れていきます。

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社家町space椋」 純和風の雰囲気の貸しギャラリーです。

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土産物店の「京雷堂」 「雷」は上賀茂神社の正式名称の賀茂別雷神社にあやかったそうです。滋賀の旧家出身で、富岡鉄斎からの手紙などの家宝を展示、社家の建物や庭園も公開しています。

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「御すぐき處 京都なり田 上賀茂本店」 国内三ヵ所に漬物野菜の自社農場を持ち、すぐき漬けを始め京漬物を製造・販売しています。12月15日からすぐき新漬けを出荷、オンラインショップもあります。

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この地域は国の「上賀茂伝統的建造物群保存地区」に指定されています。通りは「上賀茂本通」で、西の御園橋東詰から東は下鴨中通まで続いています。地元では「藤ノ木通」とも呼ばれるそうです。

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この通りの古い建物は。かっては上賀茂神社の神職の家屋「社家」でした。現在ではそれぞれ所有者が変遷し、お店をしている建物もあります。

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「京都産業大学上賀茂研修所」と「京都産業大学同窓会館」 

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「京料理 さくらい」 京会席は天然ものにこだわった海のものや上賀茂の地のものなど、季節のうつろいを目でも楽しめるとか。結婚式の披露宴もできるそうです。

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「西村家庭園」 上賀茂神社の社家(錦部家)を明治時代に西村家が所有して、公開しています。庭は平安後期の作で古い社家庭園の趣きを残し、市指定名勝になっています。

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京都市では、「上賀茂郷界わい景観整備地区」に指定して、美しい町並みを維持するために電線などを地中に埋めています。

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鴨のカップルがいました。

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手前は「上賀茂 玉屋」、上賀茂神社御用達の京料理、仕出し料理のお店です。昼の膳、夜のおまかせ会席が各種あり、披露宴もできます。

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斜め向かいは「草橋」があるお宅、今の時期は青々としています。

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「伊之助」 数年前にオープンした和食堂で、ボリューム満点のおばんざい、ランチメニューのうた姫膳やビーフカレー、ハイシライスなどがあります。ご主人は小川珈琲にいらしたそうで、カフェも充実しています。既に閉まっていました。

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車が通れる広い橋がある建物は「葛栖庵」、GoogleMapでは宿泊所とありますが一般向けの宿ではないようです。

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社家町のはずれには樹齢500年の大クスノキがあります。その下にある「藤木社」は上賀茂神社の境外末社で、明神川の守護神・瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)を祀ります。

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葵祭では上賀茂神社の社頭の儀の前に、この神社の神輿渡御が行われます。

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「金谷歯科クリニック」 最後の写真は社家町を振り返って。

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2024年5月25日 (土)

蝉丸神社と逢坂関

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昨日は京阪電車で滋賀県大津の石山寺と三井寺に行ってきました。その途中の大谷駅で降りて旧東海道沿いにある「蝉丸神社」と「逢坂関」に立ち寄りました。

蝉丸神社の石段下の「車石」 大津と京都を結ぶ東海道は、米をはじめ多くの物資を運び、江戸時代中期の安永8年(1778)には牛車だけでも年間15,894輌が通行しました。重い荷物を引いて、雨の日などは大変な苦労だったそうです。

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京都の心学者・脇坂義堂は、文化2年(1805)に一万両の工費を出して、大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12kmの間に車の轍(わだち)を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ、牛車専用通路として通行に役立てました。

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「蝉丸神社」は、平安中期の天慶9年(946)蝉丸を主祭神として祀った神社で、街道沿いの石段の上にあります。(急な石段を上ったところに神輿庫があります。)

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蝉丸は盲目の琵琶法師として知られ、平安時代の天禄2年(971)には円融天皇から綸旨(りんじ、勅旨を文書にしたもの)が下され、以後歌舞音曲の祖神として芸能に携わる人々に崇敬されてきました。(舞殿)

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当時芸能の興業をするには、蝉丸神社の免許が必要とされたといいいます。蝉丸はこのあたりに住んでいて、峠を行きかう人々を思い浮かべて詠んだのが百人一首の「これやこの ゆくもかえるもわかれては 知るも知らぬも 逢坂の関」です。

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上の歌には「ゆきかふ人を見て」という詞書きがありますが、盲目の蝉丸がどうやって「ゆきかふ人を見」たのかは定かではありません。実際に目が見えなかったのではなく、世間に対して心を閉ざしていたのを比喩的に表現したものだという説もあります。

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蝉丸は『今昔物語集』では式部卿の宮の雑色、『和歌色葉』では盲目の道心者、『平家物語』の「海道下り」では醍醐天皇の第四皇子とされています。逢坂関の周辺には蝉丸を奉った関蝉丸神社もあることから、関所の守神だと考えられています。

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江戸時代前期の万治3年(1660)に現在の社殿が建立され その際に猿田彦命(さるたひこのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめ)が合祀されました。

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隣にある摂社「皇大(こうたい)神宮社」 天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀ります。

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蝉丸神社を出て、旧街道を上ったところにある逢坂関に向かいます。

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「逢坂関」(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境となっていた関所で、相坂関や合坂関、会坂関などとも書きます。(向うの峠の上にあります。)

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飛鳥時代の大化2年(646年)に初めて関所が置かれた後、延暦14年(795)には一旦廃絶されました。その後、京都に都が移されると、東海道と東山道(後の中山道)の2本が逢坂関を越えるため、交通の要となりました。

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斉衡4年(857)に同じ近江国の大石および龍花とともに再び関所が設置されました。寛平7年(895)の太政官符では「五位以上及孫王」が畿内を出ることを禁じ、この関所を畿内(山城国)の東端と定めています。

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逢坂関はやがて旅人の休憩所としての役割も果すようになり、藤原道綱母の『蜻蛉日記』には天禄元年(970)に逢坂越を通った際に休息したことが書かれています。

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向うの大きな看板に『石山寺縁起絵巻』の一部で更級日記の作者菅原孝標女(たかすえのむすめ)が逢坂関を通過する場面が描かれています。その後の鎌倉時代以降も逢坂関は京都の東の要衝として機能してきました。

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南北朝時代以降には園城寺(三井寺)が支配して関銭が徴収されるようになりました。しかし、貞治6年(1367)に園城寺の衆徒が南禅寺所轄の関を破却したため、仕返しに侍所頭人の今川貞世によって逢坂関は焼払われました。

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その後、逢坂関は再設されましたが、戦国時代の寛正元年(1460)に、大谷・逢坂の両関が一時廃されました。経済上の理由から室町幕府が園城寺の関所を支配下に置こうとしたためだと考えられています。

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その後も逢坂関は存在して、応永25年(1418年)に足利義持が伊勢神宮に参詣した際に通過したとの記録があります。下は「逢坂関址」の碑、このあたりは「逢坂の関記念公園」というそうです。

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昭和初期には旧東海道とほぼ同じルートをとおる国道1号線(左)が開通して、逢坂関で旧東海道を交わります。

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逢坂関は平安京の東の出入口にあたる場所で、都を離れる人々を送別する場所として様々な和歌に詠まれ、近江の代表的な歌枕となりました。(看板のこちら側には大河ドラマに関連したイベントや三井寺・石山寺の案内がありました。)

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百人一首でも三つの歌に登場します。蝉丸(左)以外は三条右大臣(中央)「名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな」、清少納言(右)「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」。

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また、『枕草子』の第51段では「関は逢坂の関、須磨の関、鈴鹿の関…」などと書かれています。この後、もう一度京阪電車に乗って石山寺と三井寺に向かいました。

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