2026年6月12日 (金)

木屋町通を歩く 四条小橋から十軒町橋

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日は木屋町通に出かけました。TOPは四条小橋の上から北、かってこの辺りに立っていた高札のような看板があります。客引き禁止の標語「いかのさしみ」が書かかれていました。「客引きを しない させない ついていかない」など五つの標語です。

四条小橋の北側には「角倉了以と高瀬川沿革図は230メートル上る」という道標があります。北に角倉了以の偉業を称える記念碑があることを示しています。木屋町通は江戸時代初期に角倉了以による高瀬川開削に伴って開通した通りです。

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四条通との交差点北東は「マツモトキヨシ」、ドラックストアで医薬品、化粧品をはじめとした日用品、食品など幅広く商品を取りそろえています。京都府には18店舗あります。以下では、主に木屋町通の東側のお店を紹介します。  

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「杉玉 京都河原町」 大衆寿司居酒屋で、安くて旨いにこだわった鮨や肴があります。それらに合う日本酒も各種豊富に用意しています。お一人でも気軽に利用でき、2名以上の予約には各自ドリンク1杯のサービスがつき、宴会もできます。

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「立ち飲み みもじ」 大衆的な立ち飲み海鮮の居酒屋で、海鮮三種盛りが美味しいとか。お揚げを炙った揚げ物や焼き鳥などの焼き物もあります。

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「活魚居酒屋マルフク」 おススメは好きなだけタルタルにつけて頂ける立ってるエビフライ、1度食べたらハマる牛タンと海鮮のコラボ・牛タン海鮮焼き、自家製チャーシュー・鮮魚のお造り3種盛り合わせ含む全9品のコースです。

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「喫煙所」 京都市は条例で、市内全域で屋外の公共の場所(路上や公園など)での喫煙が禁止されています。2026年6月11現在で、京都河原町駅周辺で9箇所の喫煙所があります。

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右は2月にリニューアルオープンした「京都ハンバーグ食堂コネル」、左は「居酒屋 まるや」 充実したお料理とお酒の飲み放題、食べ飲み放題コースがあり、飲み会・打ち上げ・歓送迎会にピッタリとか。

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大坂や伏見から薪炭・木材が高瀬舟に積まれて集まり、この地に材木問屋・材木商の倉庫や店舗が立ち並んだことから「木屋町」と呼ばれたそうです。通りや橋に当時の地名が残っています。 「ファミリーマート 四条木屋町北店」

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「AlterEgo(アルターエゴ)」 開店前ですが、悪魔と天使のコンセプトカフェ&バーだそうです。6月11日~13日は制服イベントを開催、現在キャスト大募集中です。

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「かしわ 木屋町店」 ロースターで一気に焼き上げる元祖とりやきのお店。熊本産天草大王、鹿児島産さつま知覧鶏など、九州直送のブランド地鶏を焼肉スタイルで楽しめます。おススメは朝引きの国産地鶏をさっと焼いてあっさりレモンで頂く「塩ハラミ焼」。

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「フォーラム木屋町先斗町」 1階はキャバクラの「乙女坂21」、おばんざいバーの「きよきよ」、2階はラウンジ「桑名」、「SAUBER]、3階はクラブ「Dawn」、「UNITY」、「bar fish」、「Dynamic」、4階はクラブ「KAID」、5階はクラブ「MEET」が入っています。

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高瀬川にかかる「真橋」、真橋通が通っています。橋を渡ると左(南)から西木屋町通が始まります。

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西木屋町通にある「喫茶ソワレ」、昭和23年(1948)創業の老舗喫茶店で、店名はフランス語で夜会、素敵な夜という意味だそうです。左は吉井勇(1886-1960)の自筆の歌碑「珈琲の香に むせびたるゆうべより 夢みるひととなりにけらしな」。

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店内の青い光は上村六郎氏(1894-1991、元国際染織美術館館⻑、⼤阪学芸⼤学・京都⼥⼦⼤学教授)の「青い光は、⼥性が美しく、男性は若々しく⾒える」というアドバイスからとか。今年、建物が国の登録有形文化財に登録されました。

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真橋通の中ほど南に「古高俊太郎邸址」 近江出身の古高俊太郎(1829-1864)は尊皇攘夷派の志士で、湯浅吉右衛門という名で薪炭商を営んでいました。元治元年(1864)6月5日に新撰組に捕らえられ、池田屋騒動のきっかけになりました。

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木屋町通に戻って「THE CITY 木屋町」、1階に「大分唐揚げ 勝男」、2階に神戸牛の「にやま」、3階に居酒屋「鶏ヤロー!」、4階にポーカールーム「京都 de ポーカー」、5階にバー「夜伽」があります。

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九之舟入跡」 高瀬川は明治2年(1869)の京都府移管以降も物資運送に利用されましたが、鉄道の開通などによって次第にその機能を失い、大正9年(1920)に舟運が廃止されました。舟入は物資の積み下ろしのために舟を引き入れる水路です。

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「マスカラス」、烏丸三条のメキシカン居酒屋Comida Latina COSTAのアンテナショップで火曜日のみのプレプレオープン中。マスカラスはタバスコに替わるオリジナルのホットソースで人気急上昇中とか。オープニングスタッフ大募集で建物は伊藤ビル。

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「春爛 京都」 すき焼き専門のハラル料理のお店です。大きなA5ランクの和牛が4枚あり全部部位が違います。一人で一鍋スタイルで、好きなタイミングでお肉を入れながら楽しめ、〆のうどんもおいしいとか。ハラル料理はイスラム法にのっとった料理です。

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「創作料理 壮樹(そうじゅ)」 2020年にオープンした和洋中韓にとらわれない創作料理のお店です。人気はプリプリのエビマヨ、デミグラスミンチカツ、帆立とズッキーニのバター醤油焼、キーマカレーの春巻き、クリームポテコロサラダなど。

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「十軒町橋」、橋を渡った左(南)に「酒ト和食 ほっこり 京都木屋町本店」があります(最後の写真)。コンセプトは大人のめしやで、京のおばんざいをはじめ本格和食を堪能できる居酒屋です。

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2026年6月11日 (木)

三条会商店街 周辺のお寺と神社

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の最後の「三条通」は平安京の三条大路に相当し、東は山科区四ノ宮から西は右京区の嵐山・渡月橋に至ります。鴨川に架かる三条大橋が東海道五十三次の終点、河原町通から寺町通はアーケードの三条名店街商店街になっています。

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ここ堀川通から千本通までは「京都三条会商店街」といい、西日本最大級の全長800メートルのアーケード街です。この商店街は大正3年(1914)油小路~大宮間の72店舗で発足、大宮通より西は田畑で夜ともなれば遠く嵐山や太秦の灯が見えたそうです。

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この日は商店街のお店は見て回りませんでしたが、近くにあるお寺や神社だけを紹介します。先日紹介した神泉苑も近くにあります。下は商店街の全体で途中に13本もの南北の通りをまたいでいます。

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黒門通との交差点北西に「八坂神社 又旅社」があります。平安時代の貞観11年(869)京に疫病がはやり、神泉苑に当時の国の数の66本の鉾を立て、祇園社より神輿を迎えて祈祷を行なったのが「祇園祭」の始まりです。

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又旅社は広大な神泉苑の南端に当たり、御霊会が行われた地に設けられた「斎場」に建つ祇園祭発祥の社です。祇園祭の期間の7月23日 オハケ清祓い式が行われます。オハケとは水辺を表す芝生に神の依り代の御幣を建てた物で、

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池のほとりに見立てた斎場を表します。7月24日の祇園祭還幸祭では又旅社の「奉饌祭」が行われ、7月25日の「千団子 お授け」では、奉饌祭にお供えした、無病息災を祈願した団子を地域の方に振る舞います。この横が黒門通です。

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三条大宮公園の西に「妙泉寺」の参道があり、その入口の小さな地蔵堂には子授け地蔵の大日如来と火難除けの延命地蔵尊を祀っています。「妙泉寺」は正式名称を法性山専求院妙泉寺という浄土宗百万遍知恩寺の末寺です。

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安土桃山時代の1582年、織田信長の家臣・道泉(涌法道泉善士)の妻・妙泉(涌岳妙泉善女)が開創、徳蓮社天誉上人(1638年没)を開山に迎えました。徳蓮社は宗脈を相伝した人に許される称号です。山門の横は「弘法大師自刻福寿辨財天像」の碑。

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江戸時代の天明の大火(1788年)により類焼、文化年間(1804-18)に19世・界誉上人により、本堂、書院、玄関が再建されました。本堂には安阿弥(快慶作)と伝えられる本尊・阿弥陀如来三尊像を祀り、西国三十三所観音像三十三体他が安置されています。

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下は源琦(げんき)の襖絵「釈迦像」と墓石。「源琦」(1747-97)は京都の根付彫り職人の家に生まれ、絵を円山応挙に学び、『平安人物誌』(1775年)では応挙、伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村、呉春、曾我蕭白などとともに源琦の名があります。

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商店街の中程にある神泉苑通の東に細長い路地があり、その奥に「三寶寺」があります。山号を大應山という浄土宗鎮西派の寺院です。安土桃山時代の天正10年(1582)、浄土僧・天誉により創建されたといわれています。

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江戸時代の元禄4年(1691)岌誉(きゅうよ)上人が中興するも、天明の大火(1788年)により被災、寺伝などの記録は焼失してしまいました。開基の天誉や中興の岌誉とも、生没年を始めとして全く記録がないそうです。「書院」(本堂)

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寺宝は元禄4年(1691)に制作された刺繍の「釈迦涅槃図」です。縦285cm、横252cm、白地綾織りの絹地に多彩な色糸や金糸を多用して涅槃図が刺繍で表現されています。釈迦像は金糸による別製で、糸で結び留めて取り付ける珍しい着脱式です。

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神泉苑通を南にしばらく歩いたところに「武信(たけのぶ)稲荷神社」があります。平安時代初期の貞観元年(859)藤原良相(よしみ)によって創建されました。

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藤原良相(813-867)は右大臣・正二位まで上り詰めた公卿で、この付近に藤原一族の学問所・勧学院と病人を救護する延命院を建て、神社はそれらの守護社として祀られました。後に一族の藤原武信が社殿を整備したので武信稲荷と呼ばれました。「拝殿」

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本殿には、宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さだひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおおかみ)を祀り、商売繁昌、家内安全、健康長寿、交通安全、火難や盗難除けなどの信仰があります。

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ご神木には坂本龍馬と妻おりょうの逸話があります。神社の南には幕府直轄の六角獄舎があり、幕末には勤王の志士が多数収容されていました。その中におりょうの父の楢崎将作が捕らえら、おりょうは龍馬と共に何度か訪れました。

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その後、龍馬は命を狙われて身を隠し二人は離れ離れになってしまいました。おりょうは二人で何度も訪れた武信稲荷神社の榎に龍馬独特の字で『龍』の字が彫ってあるのを見つけました。自分は今も生きていて京都にいるという龍馬からの伝言でした。

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最後の写真は商店街の西端の千本通側の入口です。励みにしていますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。

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